「世界の盗塁王」実はホームラン208本も打ってた。太くて重い「すりこぎバット」使った福本豊さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(10)

1978年の福本豊さん。自己最多の171安打を放ったシーズンだった。

 プロ野球のレジェンドに、現役時代やその後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第10回は断トツの通算1065盗塁で知られる福本豊さん。歴代随一のスピードスターは太くて重たい、通称「すりこぎバット」で208本塁打も放った。「世界の盗塁王」が大いに語った打撃の持論とは。(共同通信=栗林英一郎)

 ▽無頓着だからバットを替えるのに抵抗はなかった

 すりこぎバットは南海(現ソフトバンク)の藤原満さんが野村克也監督から「このバットを使うたら試合に出したる」って言われて使っててね。それを阪急(現オリックス)の大熊忠義さんが「おいチャイ(藤原さんのあだ名)貸してくれ」って借りて打ちはったら、ものすごく楽やったと。右打ちするんでも(バントで)送るんでも。打球もまあまあ強いの打てるし。それを見た僕がちょっと貸してもらった。重たかったけど、練習で軽くミートするだけで良い打球が打てた。これは面白いなと、ゲームで使った。ロッテ戦で村田兆治からやったと思うんですけど、アウトコースをレフトへライナーのいい打球が打てたんですよ。重さはメーカーに削ってもらって1060~1080グラムぐらいにした。僕は短く持つから、そんなに重さは感じないし、うまく扱えるようになりましたね。

阪急に入団したルーキーの福本豊さん。当時の背番号は「40」だった=1969年1月

 あれは使ったのは、レギュラー取ってしばらくしてからですね。それまでのバットは全然違いますね。940グラムぐらいでした。バットを替える抵抗は全然なかった。僕は無頓着ですから。ちょっと太いかなあぐらいで、どうってことない。振りにくいとかいうのもなかった。先の方はちょっと丸く削っとるんです。バランスを調整しましたね。メーカーの人が球場にも来てくれはりますんで、その時に「ちょっと軽くしよか」とか話して。最後に(形が)決まる時期にはオフに工場へ行きました。
 バットが軽かったら負けますよね。差し込まれる、遅れるというか、押されるというか。重いバットであれば、ミートする感じでスイングしたらはじき返せる。マルカーノとか外国人選手は1キロのバットで強烈な打球を打つんで、重いと僕らでもいい打球が打てるいう考えでしたね。

1972年9月の南海戦で二盗に成功する福本豊さん。この年は106盗塁のシーズン最多記録をつくった=西宮

 ▽盗塁ばかりでなく本塁打も評価して

 阪急監督の西本幸雄さんからは「大きいのが打てなくても、強く速い打球を打て」と言われた。(身長169センチの)体を見たら自分は1番バッターなんですけど、ツボに来たらカーンといく怖さを持ったバッターになれと。フライ打ってフェンスの前で捕られるんやなくて、強い打球で外野の間を抜けてツーベース、スリーベース、そのおまけがホームラン。ホームランを狙ったのは練習の遊びでやったぐらいなもの。ゲームになれば、球をしっかり捉えるということだけに集中してましたね。

1984年8月の南海戦で通算1000盗塁を達成した福本豊さんは記念のベース板を掲げる=大阪

 僕は盗塁、盗塁と言われるけども、本塁打のことももっと言うてよ。ノムさん(野村克也さん)と話しとって「フク、おまえホームラン何本打った? 100本打ったか」と言うから、ちょうど八木沢荘六さんが横にいてはって「ノムさん、フクは200何本打ちました」って。ノムさんが「いやあ、おまえホームランバッターやな」と冗談で言うてました。自分のタイミングでしっかり芯に当たったら飛んでいくいうことですよね。力じゃないんです。「人間の体の理に逆らうな」いうてね。要らんところに力が入っても打球は飛ばんやろと。タイミングさえ合うて、きれいに体が回れば弱い力でも飛ばせると僕は証明したというかね。

 今はもうなんせ、フルスイングが流行してますね。みんな軽いバットになって、ぶんぶん振り回したら飛ぶと思ってる。全部が全部ホームランになるわけない。もったいないなと思いますよね。振らなくても、しっかり捉える確率を高くして、自分の持つちょうといい力をインパクトで伝えたら、どんなチビさんでも飛ばせるんですからね。ホームランも「あれ、力入ってた?」みたいな感じで。バットを下から出して振り上げるのは違うでしょうと僕は思いますね。昔の先輩たちを見てても下から振り上げてないですからね。ちゃんとレベルスイングで、そういうスイングの癖をつけるようにしていた。

 ▽1球目を打っても投手を苦しめられない

 高校の時からボール球を打つな、プロに入っても打つなと言われ続けた。ボール球を打たないために何を基準にしたか。僕は高めの内角球を基準にしてました。何でやというたら、インコースの速い球が一番扱いにくいやないですか。手があってバットの長さがあるから、差し込まれるバッターが非常に多いんで、一番攻められて困るところをマークした。目線を高いところに合わせ、そこから低いのはストライクで高いのはボール。当たり前ですけど。ノムさんとも、その話をしましたね。「おまえ、どこマークする」と言うから「インハイです」って。内角高めは僕は好きです。うまくたたけば飛んでいってくれますからね。高い球は失投や言うから、やっぱりそれをつかまえる確率を高くしろということやね。阪急に入った時に「インコースがさばけなかったらレギュラーは取れんぞ」と言われました。それで内角高めのスイングをずっとして、それで自然とレベルスイング、体がバランスよく回るスイングが勝手に身に付きましたね。

1988年10月、引退発表の記者会見後に当時の上田利治監督(右)と握手する福本豊さん=大阪・梅田

 僕は初球から打たなかったです。「俺は三振せえへんねや」みたいな変な自信持ってて。ぽんぽんとストライク取られてもファウルで粘ってフォアボール、そんな感じでした。四球でランナーに出るいうのは特別、頭にない。やっぱりヒット打って、走る(盗塁)でしたからね。僕はバッターですから、打って出塁せんと。打ちにいったおまけがフォアボール。僕はプロ入りして最初は、ものすごく三振が多かった。シーズンで70個ぐらいしていた。すぐ追い込まれてしまうから「早う打て」と言われた。1球目から打ったら三振はせえへんのですけど、1球でもたくさん放らせろという指示もあるし。大鉄高(現阪南大高)の時に監督から「1球目から打つな」と指導を受けたのが残っているんで。よーいどんでコーンと打って、ゴロやフライで終わるより、七つ八つ放らせて後ろのバッターに見せろと、ものすごく言われた。それがあったからフォアボールも増えた(通算1234四球は歴代8位)。
 ボール球を振らされる打者は技術がやっぱりまだまだやなと思う。それを一つ見極めるから次の球で勝負できるんや。10球放って10球振らされるのを三つ、四つ見逃せよって。コーチにうるさく言われましたね。今はみんな最初から打ちますよね。ぼんぼん打って三振少ないって、そりゃそうやろと。1球目のストライクを打って非常に打率が良かったらいいですけど、投手を苦しめるいうことはないですね。相手に嫌だなというものを与えるのが1番打者やないかな。こいつを塁に出したら嫌だなと、要らんことをバッテリーが考えるしね。

福本豊さんは2022年11月で75歳になられた=2019年6月、東京都文京区で撮影

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 福本 豊氏(ふくもと・ゆたか)大阪・大鉄高(現阪南大高)―松下電器(現パナソニック)から1969年にドラフト7位で阪急(現オリックス)入団。シーズン106盗塁、通算1065盗塁と盗塁王13度、115三塁打はいずれもプロ野球記録。83年9月、2千安打に到達して名球会入り。阪急が53年の歴史を終えた88年に引退。歴代5位の通算2543安打。47年11月7日生まれの75歳。大阪府出身。

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