ペペだけじゃない!「帰化した国の代表でレジェンドになった選手」10名

FIFAワールドカップ・ラウンド16のポルトガル代表対スペイン代表の試合でゴールを決めたペペ。

すでに40歳を目前にしているものの、未だ代表の中心として活躍。年齢を感じさせないようなエネルギーを見せつけている選手だ。

ただ、彼は実はポルトガル出身ではなく、もともとはブラジルで生まれた人物。今回はそんな「他の国に帰化してレジェンドになった」選手たちをご紹介する。

ペペ

もともとの国籍:ブラジル

代表:ポルトガル

数多いブラジルからポルトガルへの帰化組のなかでも、その実績はピカイチだ。18歳のころにポルトガルへ渡り、クリスティアーノ・ロナウドの出身地でもあるマデイラ島のマリティモと契約。2006年にはブラジルのドゥンガ監督(当時)から連絡を受けたものの、すでにそのころには帰化を志していたため辞退していた。

そして2007年8月にポルトガルの市民権を獲得。それから15年以上にわたって代表の中心選手として活躍し、EURO2016の優勝メンバーにもなった。

デコ

もともとの国籍:ブラジル

代表:ポルトガル

そしてもちろんブラジルからポルトガルへの帰化という点で欠いてはいけないのがデコだ。1997年にヨーロッパへと渡ってその能力を開花させ、1999年にFCポルトへと移籍。そして2004年にはチャンピオンズリーグを制覇した。

同国で6年間を過ごしたあとでポルトガルの市民権を獲得し、国を二分する議論の末に代表入り。多くの批判もあったもののピッチ上でのパフォーマンスでそれを黙らせ、2010年まで見事な活躍を見せた。

ジエゴ・コスタ

もともとの国籍:ブラジル

代表:スペイン

ブラジルとスペイン両方の代表キャップを所有している珍しい選手だ。親善試合でセレソンのユニフォームを2回着たあと、6年以上住んでいたスペインへの帰化を決断。ブラジルの批判を受けながらビセンテ・デル・ボスケ監督の誘いを受けて鞍替えした。

2014年2月に初めてスペイン代表のユニフォームを着て出場し、それから24試合で10ゴールと結果を残した。同国の黄金時代が終わった直後だったのでタイトルには恵まれなかったが、インパクトは大きかった。

ルーカス・ポドルスキ

もともとの国籍:ポーランド

代表:ドイツ

ポーランドの工業都市グリヴィツェで生まれたポドルスキ。彼が2歳のときに西ドイツへと移住し、父方の祖父母がドイツの市民権を持っていたために帰化の資格が与えられた。

2003年にブンデスリーガでの活躍からポーランドにも注目されたものの、結局招集されることはなかった。19歳のときにドイツの初招集を受けて2004年にデビューしている。

ネヴェン・スボティッチ

もともとの国籍:アメリカ

代表:セルビア

スボティッチはまだユーゴスラビアが存在している間に生まれており、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、そしてアメリカの代表資格を持っていた。

1999年に亡命していたドイツでの許可が切れたため、アメリカへ移住。そちらで年代別代表に選ばれていたものの、行き違いによって協会と対立。そしてボスニア・ヘルツェゴヴィナの誘いを拒否し、2008年にセルビアのフル代表へと移っている。

チアゴ・モッタ

もともとの国籍:ブラジル

代表:イタリア

2003年のCONCACAFゴールドカップではブラジルの代表としてプレーしていたチアゴ・モッタ。U-23の公式戦にも出場していたが、彼自身は父方の祖父のルールであるイタリアに入りたいと考えていた。

フル代表の経験はなかったためにFIFAは彼に1度だけ国籍変更のチャンスを与え、それをモッタは受け入れた。2011年にイタリアへ招集され、ドイツとの親善試合でデビュー。EURO2012、ワールドカップ2014、EURO2016に出場してきた。

カカウ

もともとの国籍:ブラジル

代表:ドイツ

ブラジルからポルトガルに帰化する選手はかなり多いが、ドイツに行くことはあまり多くない。のちにセレッソ大阪でもプレーするカカウはその珍しいケースの一人だ。

ブラジルではアルバイトをしながらプレーしていたという無名であったが、ドイツの5部リーグへと渡ってからステップアップ。2009年に8年以上居住したドイツのパスポートを取得し、2010年にはワールドカップでもプレーした。

ミロスラフ・クローゼ

もともとの国籍:ポーランド

代表:ドイツ

いまだワールドカップの通算最多得点記録を保有する伝説的なストライカー。ドイツの英雄はもともとポーランドの都市オポレで生まれた男だ。8歳のときに家族とともにドイツへと移住した。

カイザースラウテルンで遅咲きながらブレイクした彼にはポーランドからも誘いがあったそうだが、クローゼ自身がドイツでのプレーを希望して代表入り。そして日韓ワールドカップでハットトリックを決めるなど活躍し、一気に世界屈指の選手になった。

マルコス・ピッツェーリ

もともとの国籍:ブラジル

代表:アルメニア

あまり知名度は高くはないものの、帰化して英雄になったという点ではアルメニアのピッツェーリは典型的なブラジル人選手だ。サン・カルロスという小さなクラブでプレーしていた彼は20歳でアルメニアに渡り、いきなり多くのゴールを量産した。

そして2008年にアルメニアの市民権を獲得して代表入り。それから2019年まで68試合に出場するなど中心選手として貢献した。自分をサッカー選手として認めてくれた国に対して「僕はむしろブラジル人ではなくアルメニア人」と感謝を述べていた。

ジョルジーニョ

もともとの国籍:ブラジル

代表:イタリア

ある意味ではチアゴ・モッタの後継者と言えるかもしれないジョルジーニョ。ブラジルのインビトゥーバという街で生まれ、2007年に15歳でイタリアへと渡った。同国は彼にとって父方の曽祖父の出身地だったため、2012年にイタリアの国籍が取得できたという。

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そしてナポリで大ブレイクを果たしたことにより、2016年には初めてイタリア代表に招集。

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