「1年前に戻りたい」北新地ビル放火事件の遺族が訴えるもの 最愛の人を奪われた痛みとメディア不信、支援制度に不備も

北新地ビル放火事件の遺族が寄せたコメント

 昨年12月17日、大阪・北新地の心療内科クリニックで発生したビル放火殺人事件から1年がたった。犠牲になったのは、精神的な悩みや不調を抱えながら、就職や復職に向けて再起を図ろうとしていた人たち。その努力を支えてきた遺族の喪失感は深く、心の傷は今も癒えない。
 12月6日、夫を亡くした女性2人が弁護士らを通じてコメントを発表した。「夫がいない初めての子どもの運動会を迎えた時。頑張っている子どもたちの姿を見て、私だけが他の家族たちと違う涙を流し、空を見上げて『一緒に見てくれているかな』と心の中で(夫に)話しかけていました」
 この1年の歩みを振り返る文面に刻まれていたのは、被害者支援制度の課題やメディアへの不信感、そして最愛の人を「返してほしい」という切なる願いだ。遺族が今求めていることは何か。支援者への取材も踏まえて考えた。(共同通信=白神直弥、稲垣ひより、山本大樹)

北新地ビル放火事件の現場前に供えられた献花と手を合わせる人=2021年12月

 ▽薄れゆく子どもの中の記憶、時間が止まったままなら…
 クリニックに通院していた夫を亡くした女性は、子育ての喜びを伴侶と分かち合えない苦しみを切々とつづった。
 「この1年は、本当ならば彼がいたはずの家族の誕生日や子どもの行事などに、この先もずっと『彼がいない』という形がわが家の形になることを実感せざるを得ない日々の積み重ねでした。毎月、17日が来ることが不安でした。17日という日が無事に過ぎてくれるとほっとする。その繰り返しは、いつまで続くのか分かりません」
 喪失感や経済的な不安が尽きることはないが、残された家族とともに一日、一日を生きていく。その覚悟を「彼の気配が残るこの家で、この場所で、子どもとの生活を続けることが私のプライドです」と記した。
 同じく夫を亡くした別の女性も、幼い子が父の姿を忘れてしまうのではないかと胸を痛める。
 「私は生涯のパートナーを失い、子は大好きな父親を失いました。子はまだ幼く、父親の写真や動画を見て『パパ』であることは分かっていても、なぜ今いないのかは理解できていないと思います。幼いがゆえ、父親との思い出もどんどん忘れていくでしょう。私はそれが本当に寂しくて悲しいです」
 死んだ人はもう戻ってこない。頭の中では分かっていても、クローゼットの中にある服、げた箱の靴、使っていたシャンプーや歯ブラシでさえもそのままにしてしまう。時の経過とともに深まる葛藤をこう表現した。「できることなら1年前に戻りたい。時間が戻らないことは分かっているけれど戻ってほしい。いっそ夢の中で生きていきたい。私の時間はあの日で止まっています。あの日にとらわれたままなのです」

遺族コメントを発表する「犯罪被害補償を求める会」のメンバー=12月6日、大阪市

 ▽病気療養中で「無職」扱い、給付金制度の穴
 今回コメントを発表した女性2人が、強く改善を求めているのが犯罪被害者等給付金制度だ。
 この給付金は殺人など故意の犯罪行為でけがや障害を負った被害者、あるいは亡くなった被害者の遺族らに対して国から支給される。問題は、支給額が被害者の年齢や収入などに基づいて算定され、子どもがいる場合はその年齢や人数によっても変わる仕組みだ。被害者が亡くなった場合の上限額は約3千万円で、支給するかどうかは都道府県の公安委員会が判断している。
 北新地の放火事件で亡くなった被害者の大半は、精神的なケアを受けながら職場復帰に向けた「リワークプログラム」に参加する通院患者らだった。つまり、亡くなった時点では無職で収入がない、あるいは休職中で極めて少なかった人も多い。それを基準に算定されると、遺族への給付金は大幅に減額される恐れがある。
 1人目に紹介した女性も、コメントの中で現行制度の不備に言及し「(事件)当時、病気で仕事を離れていた夫は『無職』による算定になることを聞いた時は本当にショックでした。夫の命の価値を被害に遭ったその瞬間の『収入』で計られ、あなたの家族の命は軽いのだと言われたように思いました」と訴えている。
 遺族に代わって記者会見した「犯罪被害補償を求める会」(神戸市)の奥村昌裕弁護士も、国に制度の見直しを求めた。「遺族は子どもを学校に通わせられなくなるなど、経済的な不安を抱えている」

現場前に供えられたメッセージ付きのペットボトル=2021年12月

 ▽「心えぐられる」、メディア取材と遺族感情の乖離
 女性2人のコメントには、メディアの取材に対する不信感も強く表れていた。共同通信を含む報道各社は、事件直後から遺族取材に関する協議を重ね、身元が判明した当日や翌日には各社の中から代表社を選んでアプローチすることなどを申し合わせたが、遺族の感情とはなお乖離がある。
 1人目の女性は「(報道によって)知られたくなかったことまで広い範囲にプライバシーを公開されてしまったことは筆舌に尽くしがたい苦悩とマスコミ不信を招いた」と記した上で「事件を風化させず、二度とこのような事件が起こることのないようにという報道側の目的や使命感は理解できますが、被害者につらさや悲しみ、憎しみを語らせないと、その使命や目的は果たせないのでしょうか」と問いを投げかけている。
 2人目の女性は、ある報道機関から届いた取材申し込みの手紙に、事件に関する記事が同封されていたことよって「心をひどくえぐられた」と非難し、「もう少し心が落ち着くまでは、どうか突然の訪問や弁護士の先生を通さない直接のお手紙はお控えいただきますようお願いいたします」と求めた。

大阪被害者支援アドボカシーセンターの井上尚美支援総括責任者=12月5日、大阪市

 ▽被害者の状況、今まで通りのサポートを
 北新地の放火事件では谷本盛雄容疑者も死亡したため、大阪地検は3月に不起訴とし、刑事事件の捜査は終結した。遺族にとっては、公判を通じて真相を知る機会や意見を述べる場もなくなり、民事裁判で損害賠償を請求するすべも奪われた形だ。
 さまざまな事情が積み重なり、過酷な状況にある遺族は今、何を求めているのか。私たちができることはあるのか。この事件で複数の遺族をサポートしている認定NPO法人「大阪被害者支援アドボカシーセンター」の支援総括責任者、井上尚美さんに話を聴いた。
 ―遺族からはどのような声が寄せられているのでしょうか。
 ご家庭の事情、一人一人の思いがあるので「遺族」という言葉でひとくくりにはできませんが、「1年たっても何も変わらなかった」という人が多いと思います。最愛の家族を失った人たちにとって、1年という区切りは何の節目でもない。今回発表されたコメントのように「心の時計の針は止まったままだ」という声も聞きます。
 ―遺族を支援する制度の課題は。
 給付金制度の課題に加え、住んでいる自治体による支援の格差も問題です。犯罪被害者を積極的にサポートする自治体では、見舞金の支給に加え、事件直後に家事代行のようなサービスが利用できる事例もありますが、まだまだ少数派です。2005年に施行された「犯罪被害者等基本法」では、被害者支援を国や自治体の責務としています。全国どこに住んでいても同じような支援を受けられるよう、取り組みの拡大が必要だと考えています。
 ―遺族からは報道各社の取材姿勢に対しても厳しい批判が上がりました。われわれ報道機関の取材についてはどうお考えですか。
 報道によるメディアスクラムの被害は、以前に比べればかなり少なくなったと思いますが、それぞれのご家族が心を痛めていることも事実です。過去に別の事件でご家族をなくされた方の中には「メディアスクラムによって終生拭えないような傷を負った」と語る人もいました。被害者側に取材、報道する際は「自分が遺族だったらどう思うのか」という視点を常に意識してほしいと思います。
 一方で、遺族にしか語ることのできない思いや訴えを社会に広めるためには、やはりメディアの報道が必要です。重要なのはタイミングだと思います。事件から5年、10年と経過する中で、ようやく話ができる状態になる遺族もいます。そういう方々が「事件を風化させたくない」「社会に発信したい」と思った時には、寄り添った報道していただきたいと思います。
 ―遺族の近くにいる人たちの中には「何か力になりたい」という思いもあります。周囲の人ができることはありますか。
 事件で被害に遭ったからといって腫れ物に触るように接するのではなく、今まで通りに接してもらうのが一番だと思います。その上で、遺族が困った時に頼りやすいよう「必要な時には手伝うことができるよ」という意思表示をしてください。「この時間なら子どもを預かれるよ」とか「外出するのがしんどかったら、代わりに買い物に行こうか?」といった具体的な提案が良いと思います。

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