「修羅場くぐった経験生かしたい」 東京から伊王島に移住 島民の健康支える常勤医

 最後の10年くらいは島の医療に貢献したい-。そんな思いで長崎市伊王島町2丁目の診療所長に就任した東京出身の医師がいる。外科医、村井信二さん(62)。間もなく移住から半年。「常勤医として、いつでも住民らの健康をサポートしたい」と語る。

診療に当たる村井さん=長崎市伊王島町2丁目、伊王島国民健康保険診療所

 医師歴35年。伊王島に移住する前は東京都杉並区の荻窪病院で13年間院長を務めた。自身も外科医として週3回はオペを担当。新型コロナウイルスの出現に翻弄(ほんろう)されたが、「流行から一定の時間がたち、病院がすべきことも定まってきた。よいタイミング」と病院経営を後輩にバトンタッチすることを決意した。
 新たなステージで医療に貢献したいと考えた時、長年の夢であり目標だった離島医療が浮かんだ。ただ離島で暮らした経験がなく、東京を離れるのが漠然と不安だった。そんな中、橋でつながり、いつでも本土と行き来ができる伊王島の存在を知った。「ここだ」と思った。
 今年6月、縁もゆかりもない伊王島に移住。伊王島国民健康保険診療所(伊王島町2丁目)の所長に就いた。朝はとんびの鳴き声で目覚め、散歩でたぬきにも出くわすこともある。住民は気さくに声をかけてくれる。鮮魚店の店主から「おいしい魚が入っているよ」と教えてもらうのが楽しい。東京とは違った時間の流れと、人との距離の近さを感じている。

村井さんが所長を務める診療所=長崎市伊王島町2丁目

 診療は午前中が中心。午後、患者の元に出向くこともある。診療所では村井さんが所長に就任するまで1年以上、本土の医師が交代で診療に来ていた。「村井先生がいてくれるから安心」と住民の一人。村井さんは「長い期間を通して患者と向き合えるのが常勤医の良いところ」と話す。
 台風などで橋の通行が規制されると、たちまち架橋前の“島”に戻る。このような場合、救急隊が島に待機。「住民の持病や暮らしを把握し、救急隊と協力して、どんな時でも困った人がいれば対応したい。これまでさまざまな修羅場をくぐって積んだ経験を生かしたい」。村井さんは言葉に力を込める。
 かつての同僚が伊王島に遊びに訪れることもある。そんな時は診療所を紹介したり、まちを案内したりして回る。「離島の医療に貢献したい」と思う都会の医師らのロールモデルになれれば-との思いからだ。
 ヨットが趣味。子どもが小学生だった頃、一緒に試合に出場し優勝したことがある。海を眺めたり、釣りに行ったり。「仕事終わりの時間などを使って楽しみたい」と村井さん。医師として、住民の一人として、伊王島での暮らしが続く。


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