変貌と成長の折尾駅に、変わらぬ愛を注ぐ/学園&地域交流ネットワーク・蒔田加代さん

西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。

甲木:おはようございます。西日本新聞社 ナビゲーターの甲木正子です。

井上:同じく、西日本新聞社の井上圭司です。

甲木:井上さん、この前、折尾駅に行ってきましたね。

井上:はい。折尾駅について知らないことが多くありましたが、駅に行ったことでいろんな事を教えて頂く事になりました。

甲木:では、その教えて頂いた方を今日はゲストとしてお招きしています。本日は、折尾駅が大好きな美容師さんであり、学園&地域交流ネットワーク副代表の蒔田加代さんをゲストにお招きしております。蒔田さんよろしくお願いします。

蒔田:よろしくお願いします。

井上:よろしくお願いします。

折尾駅の歴史

甲木:蒔田さんとは、7年前に“生涯現役夢追い塾”で知り合って以来のお付き合いですが、今回は折尾駅が随分と変わったということで、まずは折尾駅の歴史についてお伺いしてよろしいでしょうか。

蒔田:はい。折尾駅は去年が130周年記念だったんですけど、明治24(1891)年の頃は2つの別々の会社で数百メートル離れた所にそれぞれ駅がありました。それが乗り換えが不便と言う声がたくさんあって、たまたま立体交差をしている現在の位置に、明治28年に立体交差駅として建設されました。

甲木:その2つの会社は何という会社だったんでしょうか。

蒔田:はい。九州鉄道と筑豊興業鉄道と言う2つの会社がありました。九州鉄道が今の鹿児島本線で、筑豊興業鉄道が筑豊本線です。

甲木:今は両方ともJR九州ですが、その当時は別の会社だった訳ですね。

蒔田:はい、そうなんです。明治時代にこのような立体交差駅はなく、日本初の駅です。

甲木:凄いですね。産業遺産並みですね。

井上:19世紀ですからね。

蒔田:元々、折尾という街は100人ぐらいの小さな街で、街の名前は洞南(くきなみ)に変わりましたが、折尾駅ができた事によって駅の周辺に銀行や会社の折尾の支店ができるようになりました。それによって“折尾”が有名になり折尾駅の名前をとって、地名が折尾に変わりました。折尾の地名が付いたルーツは折尾駅なんです。

甲木:えー、そうだったんですね。

蒔田:今回、この日本初立体交差の折尾駅舎が解体されるということで、後世に歴史や誇りを語り継いでいきたいと思い活動を始めました。

折尾駅周辺の開発

甲木:蒔田さんが言われた、折尾駅舎の解体と共に折尾の駅の建て替えと、周辺の区画整理、道路整備が始まっていますけども、全ての工事で20年以上かけて行う大工事ですよね。

蒔田:今年の3月に鉄道の高架事業だけが終わって、今からその他の工事も始まります。

甲木:高架になったという事は日本初の立体交差がなくなったということで、蒔田さんもいろんな思いがあると思いますけど、その辺のお話しをお伺いしてよろしいでしょうか。

蒔田:はい。折尾駅は先ほども申し上げたように立体交差駅で、上の線路は鹿児島本線、下の線路は筑豊本線が通っています。改札口は、東口・西口・北口仮改札、更に、東口改札を出て150メートルのところに短絡線(福北ゆたか線)の改札口がありました。それが、線路の高架化によって折尾駅の改札口は1つになりました。

折尾駅の歴史を後世に伝えたい

甲木:便利にはなりましたが、蒔田さんが好きだった立体交差は無くなり、折尾駅の駅舎も解体されたという事で、折尾駅の歴史を語り継ぎたいという運動を蒔田さんが始めたという事ですね。

蒔田:はい。先人から語り継がれてきた折尾駅の歴史を、私が語り継がなかったら、この歴史が無かった事になるのではないかと言う危機感があるので、記録など残したいと思いました。そしてこのバトンを次に渡す事が、私の役目ではないかと思うんです。

甲木:蒔田さんご自身はJRの職員でもなく、ご家族の中にJRの方がいるという事でもないんですよね。でもどうして、後世に伝えていきたいと思ったんでしょうか。

蒔田:母の実家の白石書店というのが、折尾駅のすぐ隣にあるんですけども、人が集まってきて商売ができるのも折尾駅があるお陰なので、母も叔母も折尾駅には凄く感謝していました。その駅が無くなるという情報が分かった時に、母や叔母も折尾駅舎は残さないといけないと言って一緒に活動しました。

甲木:そうだったんですね。

駅の歴史を語り継ぐ活動のきっかけ

甲木:蒔田さんは生まれも育ちも、折尾なんですよね。

蒔田:はい、折尾駅のすぐそばで生まれ育ちました。今、住んでいる所は駅から5分もかからない高台の所で家から駅が見えます。

甲木:では、生まれたときから折尾駅と共に生きてきた人生なんですね。

蒔田:はい、そうです。

甲木:元々、今のような活動をする前は、街づくりに関わっていらしたそうですね。

蒔田:そうですね。父が脳梗塞で車椅子の生活になって安心して外出できなくなり、折尾駅周辺が開発されるということで、世界一のバリアフリーの街をつくることが目標で、住環境コーディネーターの資格を取得して、街づくりに参加していました。

甲木:その運動をしているさなかに、駅舎の解体の事を知ったんでよすね。

蒔田:そうなんです。歴史建造物部会という所で、折尾駅の価値を知ったのにもかかわらず解体されるということを聞いて、それに対して疑問を感じ、駅の歴史や価値を語り継ぎたいと思いました。

活動の内容は・・・

甲木:最初に申し上げた “生涯現役夢追い塾”と言うのが、地域づくりのための塾で、地域を良くするプロジェクトを発表し合ってプロジェクトリーダーの元で皆で実現に向けて活動するという塾で、この塾で蒔田さんが発表されたのが折尾駅の立体交差の歴史を語り継ぎたいというプレゼンだったんですよ。それに賛同した私たち塾生が蒔田さんのチームに入って蒔田さんのプロジェクトを応援するという事になったんですよね。ところで、駅のホームに横断幕を掛けていらっしゃいましたよね。

蒔田:折尾駅が解体されたら、誰もこの駅が立体交差駅だった事が分からなくなるので、立体交差のあった場所に掛けて頂けました。“折尾のルーツは東西南北から人や物が集まり折尾の街ができた”という感じの横断幕です。

甲木:なかなか、個人ではできることではないですよね。

蒔田:それを許可してくれたJRの方に、ほんとに感謝しています。

甲木:JRの方も、折尾の街を愛する住民からそういう要望があった時に、その意見を取り入れてくれるところが凄いところだなと思いました。蒔田さんは駅が変わった後も、JR九州ウォーキングとか、高齢者がお勉強する穴生学舎、そういう方たちをご案内してウォーキングイベントの講師役をされたり、冊子やパンフレットなども作られたりしていますよね?

蒔田:はい。冊子やパンフレットはたくさん作りました。

甲木:駅にもたくさん置いていますので、リスナーの方で蒔田さんの話を聞いて駅に興味を持たれた方は、是非、駅へ行ってパンフレットをお持ち帰りください。図解もあるし、写真もあるし、ほんとに分かりやすい資料です。

蒔田:それから、駅の1番のりばへ行ってガラス張りからの景色を見てください。

これから取り組みたい事

甲木:これから蒔田さんが取り組みたい事はありますか。

蒔田:念願の駅の汽車道ができるので、来年はそれを写真に残した資料を作ろうと思っています。

甲木:ということで、蒔田さんの活動はこれからも続きそうですね。あっという間に時間がきてしまいましたが、井上さんいかがでしたか。

井上:古い素晴らしい事とから、新しく素晴らしい事へ変わっていく瞬間を聞かせて頂いて、ほんとにありがとうございました。

甲木:蒔田さんがおっしゃっていましたけど、この歴史を残していくことが自分の仕事で、更にこれからどうするかは、未来の人に託すと言う凄く良い話しだと思います。この思いを次世代の人に継承してほしいと思います。今回は、折尾駅が好きな学園&地域交流ネットワーク副代表の蒔田加代さんにお話しを聞きました。蒔田さんありがとうございました。

井上:ありがとうございました。

蒔田:ありがとうございました。

〇ゲスト:蒔田加代さん(学園&地域交流ネットワーク副代表)

〇出演:甲木正子(西日本新聞社北九州本社)、井上圭司(同)

(西日本新聞北九州本社)

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