「忠臣蔵」で知られる大石主税、福井の民家に直筆の書 討ち入り8カ月前の日付…数え年で15歳

大石主税直筆とみられる書状の掛け軸を飾っている伊坂さん=福井県福井市

 福井県福井市の民家に伝わる古い書状が、「忠臣蔵」で知られる赤穂浪士討ち入りに最年少で加わった大石主税(ちから)の書とみられることが12月12日までに分かった。主税は浪士を率いた大石内蔵助の長男で、専門家によると直筆の書は極めて珍しい。酒の飲み方が書かれ、酒に関する主税の史料は例がないという。

 書状(縦28センチ、横32センチ)は、福井市の伊坂晃さん(65)宅にある。父修一さんの遺品整理で見つかった。修一さんの妹の嫁ぎ先が、鳥取県内にある大石家の子孫とされる家で、生き形見として譲り受けたらしい。主税の大叔父らの宛名がある巻物も複数見つかった。

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 赤穂市立歴史博物館(兵庫県)の木曽こころ学芸員(48)によると、若くして亡くなった主税の直筆の書は極めて少なく、筆跡での判断は難しい。だが、花押の形が同じで、大叔父ら宛ての巻物も実物とみられるため、主税の書状も直筆とみて「違和感はない」という。

 木曽学芸員らによると、書状には討ち入り(元禄15年12月14日=1703年1月30日)の8カ月前に当たる元禄15年3月28日の日付がある。主税は元服済みで、数え年で15歳。「酒之堅メ」と題され、「1日3杯まで」「大きい盃は使わない」「背いたら神の罰を受ける」など、宴席での酒の飲み方を誓った内容とみられる。

 ただ、神への誓約文のはずなのに、大石家の家臣瀬尾孫左衛門宛てで、「(3杯以上は)くだされるな」と書かれているなど、内容は疑問が多いという。木曽学芸員は「主税が孫左衛門についでもらう酒の量を定めた内容とも取れる、面白い書状」とする。

 主税が孫左衛門の酒の飲み方を戒めた内容の可能性もあるという。

 書状を譲り受けた修一さんは、書を掛け軸にし、「主税があだ討ちの決意を示すためにしたためた」との独自の見解をつづった原稿を残していた。伊坂さんも「書は主税の忠義の表れでは」と、旧暦12月14日の討ち入りに思いをはせている。

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