知られざる日本の暗部「子の死因検証」が進まぬ訳

愛知県碧南市の栗並えみさん(43)は12年前、認可保育園の事故で長男を亡くし、それ以来、保育施設での事故再発を防ぐための活動を続けている。その中で痛感したのは、事故直後のタイミングで調査することの重要性だったという。長男の事故では、行政の調査が始まるまでに1年半もかかった。日本では、事故や虐待などで亡くなった子どもの死因を検証し、予防につなげる「チャイルド・デス・レビュー(CDR)」という取り組みが動き始めているが、子どもの命を守る体制は本当につくれるのか。

■意識戻らぬまま、39日後に死亡

えみさんの長男・寛也君が事故に遭ったのは、2010年10月29日午後3時半ごろだった。碧南市の認可保育園で、おやつの時間にベビーカステラをのどに詰まらせて窒息、救急車で病院に運ばれた。

えみさんが病院に駆けつけると、寛也君は集中治療室でいくつもの点滴チューブにつながれていた。

「人工呼吸器も付けられて、目も半開きでうつろな顔をしていました。聞こえているのかなと思いながら『お母さん来たよ』って言って。『かえるの合唱』が好きだったので、歌ってあげました」

医師から見せられた脳のCT画像は、生命維持に関わる中央部分を残し、真っ白になっている。「もう意識は戻らない」。そう覚悟を決めた、えみさんと夫の秀行さん(43)は、残された時間を充実させようと、眠ったままのわが子と病院で共に過ごした。

寛也君は、何度か危篤状態に陥りながら小康状態を保っていたが、事故から39日後の12月7日、母に抱っこされながら息を引き取った。1歳5カ月だった。

寛也君が亡くなった直後、病院に来た警察官に事情を聴かれた。解剖をするかどうかも問われた。解剖は断ったが、小さな子を育てる穏やかな生活の中に、警察が関わることなどなかった。えみさんは振り返る。

「これは普通のことじゃない、何かしなきゃいけないって思いましたね」

事故直後、園側からは「適切に見守りを行っていた」という大雑把な説明を受けてはいたものの、葬儀の後で問い合わせると、園は事故の経緯さえ確認していなかったことが判明した。数日後、夫と共に園に出向くと、園長や担当の保育士、市役所の職員らが待っていた。差し出された事故顛末書には、次のように記されていた。

「昼寝から目覚めておやつを食べている間、担当保育士はずっと横についていた」

「担当保育士がお茶を飲ませなかったのが窒息の原因」

さらに、今後については園児に食べさせるとき「お茶を飲ませる」「かみかみごっくんしようねって声をかける」としか書かれていなかった。

「人が亡くなっているのに、これだけしか出てこないのかと思いましたね。子どもの側に原因があるとされているように感じてしまって、すごく嫌だなって」

大人が付いていながら、なぜわが子の容態が急変したのか。その肝心な点がわからない。えみさんは「寛也に何が起きたのか知りたい」と、保育士たちから事故時の状況を聴き取っていく。すると、園側のずさんな運営体制が見えてきた。

保育園での事故で亡くなった栗並寛也君(写真は家族提供)

■当初の説明と異なる事実が判明

まず事故当時、保護者の知らぬ間に、在籍していたゼロ歳児クラスから1歳児クラスに移されていた。事故の直前、ゼロ歳児の預かりが増えたため、部屋が手狭になり、異年齢の子ども計26人を1つの部屋で保育していたという。

おやつは、カステラだけでなく、その前にラムネも食べていたことがわかった。1円玉を7枚重ねたくらいの大きさ。ラムネは家でも食べさせたことがない。

園側による当初の説明は、ほかにも事実と異なる点がある。大きな問題は、寛也君のそばに付いていたとされる保育士が、事故の時には短時間、離れていたことだ。「適切に見守りを行っていた」という説明と明らかに食い違う。当該の保育士は、当時の状況を覚えていなかったが、周囲にいた保育士はその保育士をかばい、事実関係を伏せていたという。

12年前の出来事は、栗並夫妻にいろいろな“暗部”を見せつけた。とくに目についたのは、真相究明の調査に消極的で、互いに責任を押し付けあう行政同士の姿だった。事故や自殺などで子どもの命が失われるたび、真相究明に及び腰な当局の姿勢がいつも問題になる。栗並さん夫妻の例もまさにそうだったわけだ。

寛也君を亡くした後、えみさんらは事故の調査に着手しようとしない保育園を見切り、保育園を指導・監督する立場の愛知県に対して、専門家を交えた第三者委員会を設置して、調査するように求めた。しかし、県は「碧南市が対応すべきだ」と取り合わない。そのため、えみさんらは、県が主体となって事故の原因究明と再発防止策を検討するよう求める署名活動に乗り出した。

開始から4カ月ほどたった2012年2月、約3万筆の署名を集め、県知事に提出。さらに3カ月が過ぎた5月、医師や弁護士らでつくる県と市の第三者委員会がようやく設置された。この時点で、寛也君の死から1年半もの時間を要している。事故の原因を知りたいだけなのに、なぜこんなに時間がかかるのか――。

■一定の役割を果たした第三者委員会

それでも第三者委員会は一定の役割を果たした、とえみさんは考えている。委員会は、寛也君を1歳児クラスへ移すなど保育形態が変更されたにもかかわらず、保育士の見守りが不十分な状態だったとして、園側の対応に問題があったと指摘。そのうえで、愛知県と碧南市の検証遅れについて「事態を正確に把握することを困難にする」と批判した。

要は“なぜ調査の着手に尻込みしていたのか、もっと早くに取りかかるべきだった”ということだ。

えみさんがプラスに考えているのは、その先だ。

第三者委員会の報告を受けて、愛知県は重大事故時には第三者委員会を設置することなどを盛り込んだ指針を作成。碧南市は、保育事故に関する検証委員会を常設した。

さらに、えみさんらは、厚生労働省にも出向き、保育施設で起きた事故の調査や報告の義務づけを要望した。そうした訴えが通じ、2014年9月、再発防止策を議論する政府の検討会が設置され、えみさんは委員となって出席。2016年4月からスタートした有識者会議でも委員として加わり、保育事故防止に向けて意見を述べてきた。

栗並えみさん(筆者撮影)

えみさんらの活動もあって、事故に関する保育行政は全国レベルで姿を変えてきた。

2015年6月には保育施設での死亡・大けがなど重大事故の情報を集めたデータベースの公開が始まり、2016年には重大事故の際に自治体や施設がどう対応すべきかをまとめたガイドラインが出された。また、重大事故が起きた場合、施設側に報告書の提出を義務づける仕組みもスタートした。

そうした積み重ねは着実に実を結び、数字となって現れている。

内閣府の調査によると、寛也君が亡くなった2010年に全国で起きた保育施設での死亡事故は13件で、その後も毎年十数件を数えていた。しかし、2013年の19件をピークに減少に転じ、2017年からは1桁が続いている。

「事故に対する社会の見方が変わったと思うんです。今はすぐ報道もされ、事故を葬り去ることができません」とえみさんは言う。

■子どもの事故に関する情報が一元化されていない現状

寛也君が他界した際には、事故直後の調査がなされなかった。事故の真相究明が進まない状況が、どれほど親を苦しめるか。そのつらさが身に染みているえみさんは、チャイルド・デス・レビュー(CDR)が迅速に、丹念に進むことを切望している。

CDRでは、医療や福祉、教育、警察といった関係機関が「子どもの命を守る」という一点を目標にして縦割り行政を排して連携する、日本では初めての試みだ。事故の原因を徹底的に検証し、再発防止策をつくり、実践していく。

現行の制度では、交通事故なら警察、保育事故は厚生労働省といったように情報がばらばらに集約され、子どもの事故に関する情報が一元化されていない。その壁を乗り越えて多機関が手を結ぶことに眼目がある。

「(わが子の死亡事故では)直後の調査がなく、本当のところがなかなかわからなかった。だけど、専門家による第三者委員会の検証で見解が出て、子どもの名誉回復になり、私も前を向いて生きていくことにつながりました。CDRも再発防止のためだけでなく、遺族が前を向いて生きていくためにも必要だと思うんです」

事故の原因を小さな子どもの行為に求めるのではなく、事故を多角的に検証し、子どもの名誉回復を図るという観点も重要だと、えみさんは訴えているのだ。同時に、遺族の立ち直りのためにもCDRはプラスに働くだろうと考えている。

厚生労働省はCDRの和訳を「予防のための子どもの死亡検証」と名付けている。前述したように、成否のポイントは、教育や福祉、医療、警察といった行政が本当に縦割りを打破して協力できるかどうかにある。その焦点は、事故に関する情報の収集だ。

えみさんはこれまで、政府の有識者会議など子どもの死亡検証に関わる組織に参加してきた。その際、いつも問題になったのは、警察の協力が得られず、事故の基本的な情報さえ、なかなか得られないことだった。

「検証委員会が速やかに立ち上がっても、警察が(捜査のために)資料を全部持っていって、検証するための材料が(委員会側に)ないこともある。資料がなくて検証ができないと困っている自治体職員もいました」

事故現場で最初に情報・証拠を集めるのは、警察の役割だ。捜査以外の目的でそうしたものを外部機関に渡すことは、刑事訴訟法の規定もあって相当ハードルが高い。ただ、警察の情報がなくても、医療機関から情報を得て、事故原因の検証が進んだことはある。

■CDRを導入しても個別事故を検証する制度は残すべき

えみさんは、さらにこう言った。

「CDRがあれば、(教育や福祉、医療などの)個別分野ごとの検証はやらなくていいという意見も出ていますが、そうじゃないと思います」

CDRの本格運用が始まったとしても、例えば、寛也君の事故では愛知県と碧南市の検証委員会が立ち上がったように、個別の事故をきちんと検証する制度は残すべきだとの指摘だ。CDRの検証委員会には、いわゆる“大御所”的な専門家が集まり、より現場に近い人の目が反映されにくくなるかもしれないからだ。

「CDRで議論されたものを保育の検証にも生かして、議論を深めていけたら」

子どもの命を何としても守るという一点で、関係者が本当に真剣に集えるのか。えみさんは期待を込めて、CDRの行方を注視している。

(初出:東洋経済オンライン、2022年9月8日)

■チャイルド・デス・レビューに関するフロントラインプレス取材班の取材が1冊になりました。『チャイルド・デス・レビュー 子どもの命を守る「死亡検証」実現に挑む』(旬報社)。ぜひ、お手にとってお読みください。

© FRONTLINE PRESS合同会社