FBIの元特別捜査官が語る仕事術−−組織を守るために最重視する「コード」とは?

アメリカ国内の事件捜査を担い、質と倫理性の高さで知られるFBIの仕事術は、多くのビジネスパーソンの参考になるのではないでしょうか?

そこで、元FBI特別捜査官で防諜責任者を務めたフランク・フィグルッツィ氏の著書『FBI WAY 世界最強の仕事術』(あさ出版)より、一部を抜粋・編集してFBIのコア・バリューを紹介します。


FBIの「8つのコア・バリュー」

すべてのよくできた行動規範には、ある共通の特徴がある。組織のコア・バリューを反映していることだ。

企業・学校・チーム・家族など、活動の指針とするコード(自らの価値観を反映した規範)を作りたい組織は、まずコア・バリューを固めなければならない。FBIがコードを維持管理するときには、次の「8つのコア・バリュー」からスタートする。

通常、私たちの規範の元になるものは外から与えられる。両親、聖職者、企業経営者、コーチ、そのほか私たちに影響を及ぼす人たちなど、高い所から降ってくることもある。そうでなければ、規範はボトムアップで作られ、補強されていくことになるが、その場合は、誠実さの模範がどのようなものになるか予測できず、組織で最も大切にしていることがうまく表現できない可能性がある。ずっと後になって、私はFBI主任監査官に任命され、世界中のプログラムや成果をレビューする責任者になった。そこでは時折、FBIのチームにおいて、まれには地方局全体において、悪いリーダーが好ましくない風土を生み、間もなくコア・バリューが置き去りにされるだけでなく、最も低俗な共通項にリセットされるのを目にした。

そうしたリーダーやチームは、あるいは地方局さえ、周りに害を及ぼすようになることがある。その場合、問題の人物は、常軌を逸した価値観が取り返しのつかないところまで広がらないうちに追い出されるか、配置転換された。特別な事情がある場合ではあったが、まれに、連邦捜査官が職務を履き違えて、起訴状の内容や有罪判決という結果にこだわるあまり、手段を選ばずに法廷で勝とうとしたこともあった。このような捜査官は長くは続かない。たいていは同僚や職務責任局、刑事司法制度が誤りを正し、追い出すことになるからだ。

リーダーが勝つことのみに重きを置き、勝ち方をいい加減に考えたり、途中過程で人や価値観をないがしろにしたりすると、チームや企業、とくに政府は見る見るうちに崩壊する。そのような組織のメンバーには、リーダーに抗って共同の価値観をさらに強いものにするか、負けに甘んじて、ねじれた価値観を受け入れるという選択肢しかない。しかし、FBIのように深く根付いた価値観と内部の執行プロセスを作り上げた組織は、倫理のガードレールが傷ついても、壊れることはまずない。

「集団の価値観」と「個人の価値観」が合致しているか

2019年5月1日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙の論説欄で、元FBI長官ジェームズ・コミーが、コードを持っていないように見えるトップに幹部のコードが試される状況について書いていた。コミーはドナルド・J・トランプ大統領の下で働いた経験から次のように述べている。

「内面的な強さを欠いたまま人格ができあがってしまった人物は、ミスター・トランプの下でやっていくために自分の意見を引っ込めてしまい、それが積み重なって取り返しがつかないことになる。ダメージを受けないようにするには、(元国防長官)マティスのような人格が必要だ。なぜなら、ミスター・トランプは人の魂を少しずつ食べてしまうから」コミーが語っているのは、コードを持つことについてだ。コードとは、言い換えると、辛辣な攻撃を切り抜けるために必要な、個人や組織の価値観である。

FBI共通の良心は、職務責任局で実務に結びついている。そこで私が合衆国の東半分を担当する裁定ユニット長を務めたのは、入局後、街頭捜査官、FBI本部の防諜管理官(2年間)、サンフランシスコの経済スパイ・凶悪犯罪専門のチームの管理官(3年間)を務めた後だった。

職務責任局の担当業務として、そして、他部局の上位の管理職の責務として、ニューヨーク、ワシントン、マイアミ、ニューアーク、フィラデルフィア、ボストンなど、アメリカ最大規模の地方局のFBI職員に対する重大な違反行為の告発に関して、懲戒の裁定に取り組み、多くの苦渋の決断を下した。職務責任局のユニット長には、勧告から口頭注意、書面でのけん責、出勤停止、解任まで、懲戒処分の決裁権限があったが、決して気分のよいものではなかった。

事実、つらいことが多かった。

職務責任局では、積み荷を降ろすのを待っている貨物列車のように、違反行為についての分厚い内部調査報告書が私の未決箱に並んだ。各報告書には、あるときは軽微な、またあるときは悲惨な失敗を犯した捜査官、分析官、専門官、幹部職の物語があった。調査報告書は、私のチームの審判官たちが、事実認定・前例・妥当な処分の範囲に関する分析を添付した上で、私の机に届く。チームとしての仕事はそこでほぼ完了だが、私の決断はそこから始まる。たいていは私個人の価値観とFBIコードを組み合わせることで難しい判定を下すことができた。

ほとんどのFBI職員は、入局したときには個人の価値観を強く持っている。しかし、それは同僚の価値観や組織の価値観と必ずしも完全に同じ方向を向いているわけではない。年齢、性別、文化、人生経験、それに地理的な要因さえ、個人の世界観と組織の世界観にズレを生じさせる元になることがある。属する集団の価値観や使命と、メンバー個人の価値観がきちんと同じ方向を向いていないと、企業、組織、そして家族さえもが機能不全に陥る。だからチームには、コードを守るために、最終的にはチームの未来を守るために、組織構造と実行手順が必要なのだ。

コードは「外的要因」に左右されかねない

FBIコードには、その信頼性を守るさまざまな仕組みがあるが、そのうちの1つが、職員は出身地には配置されにくいことだ。今でも、アカデミーを出たばかりで出身地に配属されるのはまれである。私は25年間コネチカットに戻ろうとしてきたが、ついに認められなかった。

これは捜査官を不安定な状態にしておくためではない。捜査官がFBIの内部コードよりも外的な要因に影響されるリスクを低減するためだ。だから当然のこととして、コネチカット・ヤンキーである私は訓練終了直後にジョージア州アトランタに異動になった。

アトランタに着いて2週間しないうちに、私は刑務所暴動への対応に駆り出されることになる。キューバのフィデル・カストロがいちばんの凶悪犯たちをまとめて船に乗せ、合衆国に向かわせたのだが、当時、その一部がアトランタの連邦刑務所に無期刑で収容されていて、不満が募っている状態だった。その受刑者たちが流血の暴動を計画的に実行し、看守を人質に取り、刑務所に火を放ったのだ。

受刑者1人が殺され、2人の看守が負傷。騒動は11日間続いた。現場が連邦刑務所なので、看守を救出し、騒ぎを終わらせるために、FBIが対応全般と、最重要事項であるスペイン語での人質解放交渉の指揮を執ったのだ。

私がどこにいたのか、お聞きになりたいだろうか?

第4塔のはるか上階。煙と炎に包まれ、私は双眼鏡と無線機とリボルバーを携えて中庭を見下ろしていた。飲食物は滑車で運び上げなければならなかった。そこでは私が唯一の連邦捜査官で、ほかには看守が2人。私の正式な担当任務は、暴動の指導者の動きを(煙越しに見ることができたら)情報センターに無線で伝えることだったが、もっと大変だった仕事は、怒り心頭の看守の1人が暴動を指揮している受刑者に向かってライフルを撃たないようにすることだった。

看守のライフルは私の拳銃より大きい。その看守は、約30分おきにライフルを塔の窓から外に向けて引き金を引き始める。看守はなかなか私の説得に耳を貸さなかったが、なんとか11日間にわたって、確実に人質全員の死につながるような行動を踏みとどまらせることができた。

今になってみれば、私のコードが彼のコードよりも筋が通っていることを彼にわからせたのだと言えないこともない。

「倫理観」を見失った警察官

FBIは人権に関する事件の調査を主導する国家機関だ。その役割のために、アトランタでは、地域文化とFBIコードがまったく正反対ということが発生した。私たちは、黒人の教会で十字架が焼かれ、建物に放火された事件をいくつも調査したし、私がいた当時、KKKが市内の通りをデモ行進する警護も担当した。1950年代の話ではない。1980年代終わりから1990年代初めのことだ。

私は、着任後間もなく、ジョージア州警察官2名の職権濫用の告発に関する案件を上司から渡された。逮捕報告と被害者とされる人物の申し立てに目を通した後、参考人に事情聴取をする準備をした。そのとき初めて、コネチカットから来た新米FBI捜査官である私は、人が自分との会話で黒人に対する差別語を使うのを聞いた。

その言葉はただの参考人から出たのではなかった。黒人への暴行容疑で調査対象となった2人のジョージア州警察官が発したのだ。それが彼らにとっての呼び方だった。警察官1人ではなく、2人から、何度も。すべてノートに書き留めてある。コードが違う、文化が違うということかもしれない。その晩、私は家に帰ってから妻に、これはもはや現実だと伝えた。「FBIは、私たちをほかの星への旅に送り出したのだ」と。

人権に関わる事件の調査はFBIの得意分野だ。これらの案件で十分に経験を積めば、気が付いたときには〝専門家〞と呼ばれているかもしれない。しかし、FBIの手で連邦裁判にかけるレベルの案件は多くはない。それもあって、苛立ちが募る仕事だった。

また、FBIは日々警察と連携しているので、職権濫用事件で警察を相手にするのはとくに難度が高い。だから、ジョージア州アセンズ近郊で郡保安官に立候補していた主任調査官に対する告発が出されたとき、そこの小さなFBI事務所に2人しかいなかった捜査官は、当然アトランタに連絡しなければと考えた。倫理観を備えていればそうするものだ。彼らは任務を続けながら、利益相反に見えないよう、この事件に関わるのは控えた。そんなわけで、私はアセンズに車を走らせることになった。

警察官やFBI捜査官さえも、法律を自分勝手に変えてしまうことがある。それは不道徳だし、法にも反する。だが、オコニー郡の保安官になろうとしていた男は、法律を勝手に変えただけでなく、ほかの人物にも好きにさせてしまった。

ある地元企業が窃盗被害に遭った。保安官の下の2人の調査官が容疑者の前に立ちはだかり、取り調べに引っ張り、窓も電話もない取り調べ室に座らせた。企業の経営者は一方の調査官の友人だった。取り調べが不調に終わった後、調査官たちは部屋を出て、その経営者と一緒に戻ってきた。そこから事態はあらぬ方向に進み始める。

調査官が取り調べを続ける一方、その経営者が容疑者を殴打した。彼は繰り返し男を殴り、頭を壁に打ち付け、殺すと脅した。容疑者は調査官に止めるように頼んだ。容疑者は、鼓膜が破れ、目にはあざができて腫れあがり、頭にこぶができて、結果的に被害者になった。最後は、調査官が被害者をその友人の家に車で送り届けた。被害者は病院の救急外来に駆け込み、診察した医師は傷が殴られたことによるものだと確認した。

翌日、被害者は足を引きずってアセンズの郵便局の上にある小さなFBI出張所を訪れた。

捜査官たちはあざの写真を撮り、調書を作成し、被害者が治療を受けたことを確認した。人権に関わるFBIの任務は単にコードを実行するのではなく、法の支配を守ることだ。まさにその法を守ることを、保安官事務所の調査官も誓ったはずだ。その誓いのために、大多数の警察官は進んで命を懸ける。

この事件の最中にその主任調査官は保安官への選挙戦を続けていた。驚いたことに、私たちが逮捕・起訴する前に、彼は勝利していた。この新たに選出された保安官は選挙に勝つ程度に人望があったので、彼に対する裁判で、陪審員たちが彼の行いを単に〝田舎者〞の正義の形だと見てしまうのではと私たちは心配した。

しかし、ジョージア州オコニー郡の実直な市民は、保安官と違い、もっとレベルの高いコードを身につけていた。1988年12月9日、新しい保安官、もう1人の調査官、例の経営者は、被害者拘留中の人権侵害の共謀および、ほう助の罪でそれぞれ連邦裁判所に起訴された。最終的には3人とも人権侵害で有罪判決を受けている。多くの州では、警察官が重罪により連邦裁判所で有罪になった場合、二度と警察バッジを付けることはできない。

この保安官もそうなった。彼は有罪判決を受け、刑務所に収監され、そこで、彼と同じく堕落したコードに従って、またはまったくコードを持たずに生きてきたほかの人たちと一緒に過ごすことになった。

著者:フランク・フィグルッツィ (著), 広林 茂 (翻訳)
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「フランクは、ドラマチックな最前線の物語と解説を通して、シンプルだが本質的なFBIの価値観を私たちの生活の中に活かす方法として示している」 by ロバート・デ・ニーロ
「FBIの仕事の質、倫理性の高さは群を抜いている。広く見習われるべきである」――『ワシントン・ポスト』記者 デブリン・バレット
ほか、NBCニュース・主任外交編集委員、元国防長官、元CIA長官、元共和党全国委員会議長などが絶賛!

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