鉄オタの国民的作家、想像力の源は時刻表  没後30年の松本清張と鉄道150年(上)

 【汐留鉄道倶楽部】日本の鉄道は10月14日に開業150年の節目を迎えた。今年は国民的な人気作家だった松本清張の没後30年にも当たる。今も読み継がれている清張作品には、鉄道が頻繁に出てくる。登場人物がとにかくよく列車に乗って、日本各地を移動しまくるのだ。ミステリーとしての面白さだけでなく、鉄道好き、地理好きにとって魅力がてんこ盛りである。代表作の「点と線」や「ゼロの焦点」を題材に考察してみる。

 松本清張(1909~92)は福岡県での印刷工や新聞社勤務を経て、40代になってから作家活動に入った。「黒革の手帖」「天城越え」「わるいやつら」「砂の器」「疑惑」「鬼畜」「ゼロの焦点」…。推理小説を中心に膨大な作品群を残し、映画・テレビで度々映像化されているのが特徴だ。事件の背景に戦後社会の混乱や汚職、差別を折り込んで、「社会派ミステリー」とも称された。「昭和史発掘」「日本の黒い霧」といった近現代史のノンフィクションもののほか、古代史の著作もあり、多方面に足跡を残した「昭和の巨人」だ。

 その清張が、ことのほか愛したのが鉄道と時刻表である。

 

清張は「点の線」の登場人物に代弁させる形で、時刻表への「愛」を語っている

 「点と線」はこんなストーリーだ。汚職に絡む当局の捜査から逃れようと、機械工具業者の男が、心中を装って事件の鍵を握る官僚と料亭で働く女の2人を殺害。列車のほか飛行機も駆使した偽装とアリバイ工作の知恵を授けていたのは、病に臥せるその妻だった―。

 作品中に、妻がとある雑誌に寄せた一文として次のようなくだりが出てくる。

 「時刻表には日本中の駅名がついているが、その一つ一つを読んでいると、その土地の風景までが私には想像されるのである」「私がこうして床の上に自分の指を見ている一瞬の間に、全国のさまざまな土地で、汽車がいっせいに停っている。そこにはたいそうな人が、それぞれの人生を追って降りたり乗ったりしている。私は目を閉じて、その情景を想像する。そのようなことから、この時刻には各線のどの駅で汽車がすれ違っているかということまで発見するのだ。たいへんに愉しい」

 この記述について、清張は後に「自分が考えていたことをそのまま出したつもりである」と随筆に記している。

 時刻表をめくるときのわくわく感、うきうき感。デジタル世代はどうか分からないが、一定の年齢以上の鉄道ファンならば共有する心情だろう。もちろん私も共感する。この列車に乗って、あの駅で乗り換えてローカル線へ。山あいを縫い、時に川を見下ろしながら走るのだろうか。ああ、昼間の時間帯は2時間に1本か。では1本前の列車に乗るには…。私自身、時刻表を手に、こんな妄想をこれまで数え切れないほど繰り返してきた。

 さて、「点と線」では心中を偽装するため機械工具業者の男が、東京駅でこの2人が一緒に列車に乗り込むところを料亭の他の女中たちに目撃させる場面が特徴的だ。横須賀線が発着する隣のホームに導いて見させるのだが、列車の出入りが激しいため見通せる時間帯は限られる。具体的に言うと当時の12、13番線ホームから、その隣にあるホームの15番線に停車中の寝台特急「あさかぜ」に乗り込むところを見せるには、13番線と14番線のいずれにも列車がない時間帯でなければ不可能だ。

 ダイヤ上、夕刻に4分間存在するその時間帯にホームに連れ出して目撃させた。これも「時刻表マニア」である病身の妻が考えついた、という設定になっている。

 「点と線」はもともと日本交通公社が発行する月刊誌「旅」に50年代後半に連載された。当時の編集長・岡田喜秋氏は、旅慣れた読者に「リアリティに欠ける」と指摘される可能性があると考えた。そこで東京駅に赴いて駅員に尋ね、実際に午後6時前後の4分間にそういう時間帯があることを突き止めて清張に伝えたという。鉄道愛とリアルさへのこだわりが作品の質を高めたと言える。

 

JR上野駅の「地平ホーム」で停車する特急「草津」。かつてこのホームから上野発金沢行きの夜行急行「能登」に乗ったことを思い出す

 同じく50年代後半に雑誌に連載された「ゼロの焦点」は、東京に住む主人公の女性が、仕事の引き継ぎのため前任地の金沢に旅立ったきり戻らない新婚の夫を探すため、上野―金沢間を行き来する。赤塚隆二氏の著書「清張鉄道1万3500キロ」(文春文庫)によると、当時のダイヤであれば夜行急行「北陸」で片道11時間かけてたどり着く。いま北陸新幹線を使えば3時間前後で着くのだから、その長さを痛感せざるを得ない。

 私も、かつて上野発金沢行きの夜行急行「能登」に乗ったことがある。常磐線などが発着する上野駅「地平ホーム」(山手線、京浜東北線などが発着する高架ホームとは別)から出発した。1人で一つの車両を独占できるほどすいていた。「存続は難しいだろうな」と思っていたら、案の定ほどなく廃止になった。

 清張の同時期の他の作品でも、鉄道は重要な役割を果たしている。赤塚氏は56年の国鉄ダイヤ大幅改正が背景にあると見立てる。東京―大阪間の特急列車スピードアップや、東京―博多間の特急「あさかぜ」の登場など鉄道網の充実と高速化が進んだ。赤塚氏は「清張が人々の仕事、暮らしぶりの変化を見つめていて、自然と鉄道と乗客を描くようになったのだろう」と記している。実際、当時の運輸白書を見ると鉄道旅客数は年々増えている。

 清張は5万分の1の地図を手元に置いて執筆していたという。5万分の1の地図は、1センチが500メートルを表す。「これは手軽な作戦図である」「郵便局、小学校、鎮守の社、警察署などは出ている。どんな小さな橋でも記入されてあるから、その図面の通り文章で書いてゆくと、いかにもその土地に行ったように詳しく描写できるのである」。その上で「地図と時刻表とを傍に置いて、小説を考えているときが、私にはいちばんたのしい時である」と書き残している。時刻表と地図を眺めて、心を躍らせながら小説の構想を練る清張の姿が目に浮かぶようだ。

 ☆共同通信編集委員・福島聡

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