愛媛FCの森脇良太が語る!同い年の天才、前田俊介 「家長昭博と2人はスーパーだった」

愛媛FCは12日、元日本代表DF森脇良太と2023シーズンの契約を更新したことを発表した。

2011年のアジアカップ優勝メンバーとして知られる森脇。昨季はJ3の愛媛で8試合の出場にとどまったが、加入2年目となる来季はぜひその力を示してほしいところだ。

そんな森脇に先日、Qolyは単独インタビューを敢行!

インタビュー第3弾となる今回は、“最強”サンフレッチェ広島ユース時代や、チームを率いていた現U-17日本代表の森山佳郎監督、“天才”前田俊介などを中心に聞いた。記事ではその一部を紹介する。

(取材日:2022年11月9日)

――(前略)森脇選手と言えば、2000年代前半に「最強」と言われたサンフレッチェ広島ユースの一員でした。

僕はちょこっと、コツンっていただけなんですけどね本当に(笑)。すごいメンバーが揃っていましたねあの時は。

――当時の高校年代は広島を中心に回っていると言っても過言ではないくらい強いチームでしたよね。

森山佳郎監督がものすごくいい親分で、熱血漢だったので、選手もそれに引っ張られて、日本全国からものすごい選手たちがたくさん集まってきていました。

なので、僕もユースに入った時に、とんでもないところへ来てしまったなと。入寮させてもらった瞬間、もうホームシックになって「母ちゃん迎えに来てくれ」と電話をしたくらい、インパクト大だったことを覚えています。

――(中略)当時のチームだと先ほど名前も出ました、前田俊介選手がいわゆる天才というか本当に素晴らしい選手だったと思います。どんな選手でしたか?

仰る通り、天才でした。本当にすごいなと思うくらい、次元が違いましたね。僕らの世代は「前田俊介か、家長昭博か」と言われるくらい、2人はスーパーだったと今でも感じます。

試合でも、困ったら「俊介にボールを預けろ」というのがサンフレユースの鉄則でした。それを言ったら怒られるかもしれないですけど、みんな困ったら俊介を見ていました。

俊介の個人技で多くのタイトルを取らせてもらったと思っています。見ていても、一緒に練習で対戦していても、本当に次元が違うなという選手でしたね。

動画では他にも、森脇の得意技と言える「切り返しての左足シュート」や、ユース時代の森山監督との思い出、1歳年下のチームメイトだった槙野智章と柏木陽介、さらにはニュージーランドから練習参加でやってきた舞行龍ジェームズの身に起きた「事件」など、たっぷり聞いているのでそちらもぜひ!

【関連記事】日本代表、カタールワールドカップで評価を上げた6名の選手

なお、森脇自身も認知していた「サンフレッズ」の流れや、浦和レッズでの7年間、自身のYouTubeチャンネルなどについて聞いたインタビュー最終回の動画はYouTubeの『Qoly公式Ch.』にて近日配信予定なのでこちらもお楽しみに。

© 株式会社ファッションニュース通信社