ヴァンゼー会議の全貌に迫る映画『ヒトラーのための虐殺会議』、小島秀夫、成田悠輔、久米宏、森達也、岩井志麻子ら各界著名人より激賞コメント到着!

1,100万ものユダヤ人絶滅政策を決定したヴァンゼー会議。その史上最悪な会議の全貌に迫る映画『ヒトラーのための虐殺会議』が、ヴァンゼー会議が開催された日からちょうど81年後の2023年1月20日(金)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほかにて公開される。

1942年1月20日正午、ドイツ・ベルリンのヴァンゼー湖畔にある大邸宅にて、ナチス親衛隊と各事務次官が国家保安部長官のラインハルト・ハイドリヒに招かれ、高官15名と秘書1名による会議が開かれた。 議題は「ユダヤ人問題の最終的解決」について。「最終的解決」はヨーロッパにおける1,100万ものユダヤ人を計画的に駆除する、つまり抹殺することを意味するコード名。移送、強制収容と労働、計画的殺害など様々な方策を誰一人として異論を唱えることなく議決。その時間は、たったの90分…。 すべてのドイツ占領下および同盟国から東ヨーロッパの絶滅収容所へのユダヤ人強制送還の始まりとなった“ヴァンゼー会議”の全貌に迫る本作は、出席者のアドルフ・アイヒマンによって記録された会議の議事録に基づき、80年後の2022年にドイツで製作された。 ちなみに、そのアイヒマンは、敗戦後ドイツ国外に逃亡し身分を偽り生活していたが、1960年にアルゼンチンで身柄を拘束。そして世界中が注目した裁判(アイヒマン裁判)で明らかになった数々の蛮行により、今から61年前の1961年12月に死刑判決を受けた人物である。

今回解禁となった場面写真には、国家保安部長官でナチス党内ではその冷酷さから「金髪の野獣」と呼ばれたラインハルト・ハイドリヒが鋭い視線で議事を進行する場面や、会議の議事録を作成したアドルフ・アイヒマン、親衛隊中将のハインリヒ・ミュラーそしてハイドリヒが並び立つシーン、また舞台となったヴァンゼー湖畔を望む庭先で親衛隊少佐のアドルフ・ランゲらが一息つく様子など、全ユダヤ人の絶滅という恐ろしい議題を話しているとは思えない、淡々とした会議の光景が広がっている。

そして、本作をいち早く鑑賞した小島秀夫(ゲームクリエイター)、成田悠輔(研究者)、久米宏(フリーアナウンサー)、森達也(映画監督・作家)、田原総一朗(ジャーナリスト)、岩井志麻子(作家)、楊睿之(COTEN RADIO パーソナリティ)、佐々木俊尚(作家・ジャーナリスト)、大谷昭宏(ジャーナリスト)、大澤聡(批評家/メディア研究者)、マライ・メントライン(ドイツ公共放送プロデューサー)、柳原伸洋(ドイツ近現代史研究者/東京女子大学准教授)、深澤真紀(獨協大学特任教授)、真魚八重子(映画評論家)ら総勢14名の各界著名人より激賞コメントが到着。

“人種の終焉”を議論する悪夢の112分。ガス室で実行された“民族浄化”のドキュメント映像は誰もが観た事があるはずだ。

あの20世紀最悪の虐殺計画(最終解決)は、如何に決定されたのか? 15名の高官と書記が招集された秘密会議。流血も戦闘も遺骸も描かれない。

ベルリンの会議室で、我々は戦争の真の狂気を目撃する。

──小島秀夫(ゲームクリエイター)

地獄は悪魔が作るのではない。

賢くマメで、タダ飯に弱く、周りをキョロキョロしながら

隣の席の上司にはつい相槌を打ってしまい、

後悔しても帰り道の酒で忘れるような凡人こそが作るのだ。

──成田悠輔(研究者)

この会議は史実です 議事録が残っているのです

今 世界のどこかの国で 或いは どこかの谷間の集落で

このような会議が行われているかも知れません

我々人間はどうしてこのようなことを・・・・・

──久米宏(フリーアナウンサー)

ヴァンゼー湖畔の白を基調とした邸宅は、ひっそりと清潔だった。会議室に通された。元は食堂だったらしい。平日の昼のせいか、人は誰もいない。靴音だけが響く。その印象を一言にすれば静謐だ。

でもかつてこの邸宅に召集された15人のナチス高官は、「ユダヤ人問題の最終的解決」について議論して、結果として大規模なホロコーストが現実化した。

アーヴィング・ジャニスがその著書である『集団浅慮』で説くように、人は集団で思考すると間違える。周囲に迎合し上の人を忖度し、ありえない結論に辿り着いてしまう。

防ぐ方法はひとつだけ。個を失わないこと。でも群れて生きることを選択した人類は、常に集団に埋没するリスクを内在している。つまりこれは昔話ではない。現在進行形だ。そう思いながら観てほしい。15人は彼岸の人ではない。

──森達也(映画監督・作家)

彼らはいずれも堂々と、なぜ効率的にユダヤ人を抹殺しなければならないのかと

リアリティをこめて述べている。

なぜ今この映画を作らねばならなかったのか。

監督ほか制作者たちに問いたいことが次から次へと出てくる。

──田原総一朗(ジャーナリスト)

観ない方がいいのかと、観る前に躊躇った。

観た後に、これは観るべき映画だったと確信した。

──岩井志麻子(作家)

人類史上最悪の虐殺行為は、美しい湖畔に立つ屋敷で計画された。まるで来年の予算を決めるかのように淡々と進む会議のもと、時には笑いを交えながら、命が数字に置き換えられ処理されていく。禍根の歴史の裏側に迫る、真摯で恐ろしい作品だ。

──楊睿之(COTEN RADIO パーソナリティ)

血も凍るような残虐きわまりない提言や判断が、なんとも官僚的で静かな会議で繰り出されている。そのギャップに戦慄した。哲学者ハンナ・アーレントの言った「凡庸な悪」がまさに具現化されたような物語。

──佐々木俊尚(作家・ジャーナリスト)

ユダヤ人絶滅のためベルリンの静かな湖畔に集まった15人のナチス親衛隊と政府高官。いつしか自分も16人目としてその場に居合わせた錯覚に陥る。虐殺の方法は? 輸送は? 女性と子どもは? ドイツ人との混血は? 死体の処理は?… 1100万人を虐殺するための会議はわずか90分。金縛りにあったように最後までひと言も発せられなかった自分に、ただただ戦慄を覚えるのだった。

──大谷昭宏(ジャーナリスト)

会議はいつも一抹の不満と後悔を残して跡形もなく消えさる。

テーブルのうえにはレールの転轍点がいくつかあったはずなのだ。

たとえ狡猾に計画された結論ありきのテーブルであっても。

現場から遠く離れた密室で言いだせず呑みこんだ意見とともに、

死産した別の可能性の亡霊たちがうずたかく積みあがる。

そのうえに私たちの歴史は建っている。

──大澤聡(批評家/メディア研究者)

本作が浮き彫りにするのは「良識vs邪心」ではなく、免罪符が必要か不要かという議論だ。それは伝統的理性と新興の疑似理性システムの戦いであり、後者を司るナチス親衛隊の集合意識とは何だったのか、に印象の比重を置いた点が、同じ舞台を描きながらハイドリヒをキャラ立ちさせた名作『謀議』との大きな違いであり、とても興味深い。

──マライ・メントライン(ドイツ公共放送プロデューサー)

この優れた会話劇は、否応なしに観衆をヴァンゼー会議に「出席」させるだろう。失言すればキャリアを失うような会議、この議題が「大量殺戮」だったとしたら、あなたはどのような態度で臨むだろうか。この会議の先には、個々人の苦しみと絶望と死がある。こう考えたとき、ロシア・ウクライナ戦争などが起きている地球上で生きる私自身もまた、「命が消えゆく瞬間を現場で見ない者」のひとりだと気づかされるのだ。

──柳原伸洋(ドイツ近現代史研究者/東京女子大学准教授)

コニャックとサーモンをつまみながら、

ドイツ人高官たちは“人道的”で“効率的”なユダヤ人の“最終解決”方法を話し合う。

私たちもまた、この“実務者会議”の出席者になるかもしれないのだ。

──深澤真紀(獨協大学特任教授)

人間はここまで整然と異常な議論ができ、理知的に恐ろしいことを考える。これも確かに人の真の姿だ。だが、彼らにショックを受ける人道的な愛と正義感を持つ、観客のあなたたちがいる限り、人は報われると信じたい。

──真魚八重子(映画評論家)

マッティ・ゲショネック監督は「私は第二次世界大戦の終焉から7年後の1952年に東ドイツで生まれた。ドイツの歴史、特に国家社会主義の歴史を学ぶことは、私の幼少期と青年期における決定的なテーマだった」と語り、本作映画化にあたっては「ヨーロッパにいる全ユダヤ人の駆逐が、冷静な会話によって議論され決められていく様子を事実に基づいて描こう」と多くの文献資料を研究したことに加えて、ホロコーストの歴史を専門とする歴史家たちと協力したと明かす。 ヴァンゼー会議からちょうど81年後の来年1月20日。ホロコーストに関する重要文書であり、一部のみが残されたアドルフ・アイヒマンによる議事録が明らかにする衝撃の全貌から、混沌とした現代社会に生きる我々は何を学ぶのか……見逃せない一作がいよいよ公開となる。

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