「ルームキーを返してください」高級ホテルの支配人は、ノーマスク客の宿泊を断った? 法律は宿泊拒否を認めておらず、約款にも記載なし 納得できない客は提訴

ウェスティンホテル東京=2022年12月、東京都目黒区

 2022年9月29日、弁護士の桜井康統さんは妻の誕生日と結婚記念日を兼ねたお祝いに、夫婦で東京都内屈指の高級ホテル「ウェスティンホテル東京」(東京都目黒区)を訪れた。桜井さんは、日本で大半の人がマスクを着ける姿に違和感を覚え、普段からノーマスク。スタッフから求められたマスク着用に応じなかったところ、最終的には支配人からルームキーの返却を求められ、部屋に入ることなく帰らされたと訴えている。
 旅館業法では、ノーマスクは宿泊拒否の要件になっていない。ただ、旅館やホテル業者の声を受けた政府は10月に改正法案を閣議決定しており、その内容を簡単に言うと「感染流行時に感染が疑われるのに正当な理由なく感染対策を拒んだ客は、宿泊拒否できる」というものだ。しかし、感染対策とマスクとの関係がはっきりしない上、この改正法案は国会でまだ成立していない。対応に納得できない桜井さんは12月、ホテル側に損害賠償を求めて提訴。ついに法廷闘争に発展した。(共同通信=宮本寛)

東京地裁などが入る裁判所合同庁舎

 ▽「警察呼びますよ」
 当日の様子を、訴状に沿って詳述するとこうなる。
 ウェスティンホテルを訪れた桜井夫妻は、ともに発熱やせきなどの症状はなかった。チェックインを済ませ、軽食とアルコールを提供する会員制ラウンジに向かった。ビュッフェ形式のため、食事を選んでいる桜井さんに、ホテルスタッフが声をかけた。
「お客さま、マスクはお持ちですか?」
 桜井さんが無言でいる間、スタッフは「着用をお願いします」と5回繰り返した。食事を運んで着席すると、今度は支配人が現れ、「マスクを着けてください」と連呼された。
 桜井さんは「絶対に着けません。食事中にマスクを着けてどうやって食べるんですか?」と返答。すると、支配人は「他のお客さまの迷惑になるので」と述べた上でこう言った。
 「ルールに従わないとどうなるか分かっていますか。利用禁止にしますよ」「警察呼びますよ」

訴状の一部。「マスクを着けないのなら、警察を呼ぶ」と威迫されたとの記述

 警察が来るはずはなく、警察を呼ばれることへの恐れはなかったという桜井さんだが、支配人に対して改めて「警察を呼ぶんですよね?いつ来るんですか?」と聞き返し、「それは脅しになりますよ」と告げた。支配人はこれに対しても「他のお客様の迷惑になるので」と繰り返した。
 桜井さんの1~2メートル離れた右側のテーブルには、既に酔っているとみられる顔の赤い男性客2人がおり、左側にも外国人客が一人、いずれもマスクは着用せず飲食していたという。支配人含めスタッフが他の客にマスクの着用や会話の中止を要請することはなかった。
 ここで桜井さんは「他の客への迷惑という事実がでっち上げられるかもしれない」と危ぶんだ。頭に浮かんだのは「ホテルの人間が客の横に立ち続けて会話している状況は普通ではなく、隣の客から見ればその状況自体を迷惑と感じるかもしれない」という考えだ。そこで妻とともにラウンジの外に移動。その後もマスクを着けないでいると、支配人は最終的に「お帰りください」と言ってルームキーの返却を求めた。桜井さんはキーを返して帰宅。結局、客室には入っていない。

ウェスティンホテルを提訴した桜井康統さん=2022年12月、東京都内

 ▽「強制ではございません」
 まず、マスク着用を巡る日本政府の基本姿勢を確認したい。
 諸外国の中には、コロナ禍でマスク着用や外出禁止を国民に義務付け、罰則も設けた国がある一方、日本では外出禁止やマスク着用の義務付けは一度もない。「要請」「推奨」にとどめている。
 厚生労働省が5月に出した関係各所への事務連絡文書では、屋内であっても「他者との距離が確保でき、かつ会話がほとんどない場合は、マスク着用は必要ない」と書かれている。
 桜井さんはこうした状況も踏まえた上で、SNSで「マスク着用を強要された」とホテルを批判。チェックイン時やラウンジに入る際には着用を求められなかったことや、他の客もノーマスクでロビーを歩き、ラウンジで飲食をしていたことを挙げ、「スタッフに声を掛けられた時、私は一人無言で食事を取っていただけです。支配人には料理の取り分けを終えて妻と食事を始めてからマスクを着けろと言われたのです」と振り返る。 

 SNSでこの件を知った弁護士の福永克也さんは、たまたまウェスティンに10月に宿泊予定だったため、メールでホテルにこう問い合わせた。「マスク着用は協力のお願いなのか、義務なのかお答えください」
 するとホテル側は「館内でのマスク着用は強制ではございません。もしゲストより着用できない、着用を希望しないとの申し出があった場合で他のお客さまがいる場合は、ソーシャルディスタンスをお取りいただくようにお願いしております」と回答した。
 ホテル側は、後の共同通信の取材にも同様の回答を寄せている。
 この回答内容を聞いた桜井さんは怒った。「私はマスク着用を強制され、従わなかったことで宿泊拒否された。人によって対応を変えていることが明らかだ」
 納得がいかない桜井さんは、まずホテルの宿泊約款を調べようと思った。ホテルと客の契約は、一般的に宿泊予約が完了した時点で成立する。宿泊約款は、その際に重要な役割を担う。ところが約款が見つからない。
 取材でウェスティンに約款をどこで見られるか尋ねると「約款は客室のテレビ画面に表示されるホテル案内に掲載している」と説明された。約款に書かれている内容を尋ねたところ、約款では、マスクの着用拒否が宿泊拒否の条件にはなっていないという。
 約款が客室でしか見られないとしても、予約時に類似の記述はなかったのだろうか。
 訴状によると、桜井さんはスマートフォンのアプリで宿泊予約をした。その際、「マスク着用に応じない場合に宿泊拒否されるという案内はなかった」と主張している。さらにこうも指摘する。「他の一般的なホテルの約款でも、ノーマスクを拒否の理由には挙げていない。むしろ客に一律マスク着用を義務づける約款であれば公序良俗に反して無効だ」

2022年10月7日の閣議に臨む(左から)林外相、岸田首相、高市経済安保相=首相官邸

 ▽相次いだ「ミスリード」報道
 法的にはどうなっているのか。現行の旅館業法では、明らかに感染症にかかっている場合は宿泊を拒否できるが、発熱やせきなどの症状だけでは拒めない。ただ、業界団体はこの点について見直しを求めていた。
 政府は10月7日、改正法案を閣議決定した。ただ、この際の報道は、紛らわしかったようだ。見出しを見てみると…。
 「マスク未着用『宿泊拒否』可能に」(時事通信)
 「マスクなど感染対策に応じない客の宿泊を“拒否”」(テレビ朝日)
 共同通信も「感染対策せぬ客、宿泊拒否」との見出しで報じている。
 記事内容を詳しくみると、次のように書かれていた。少し長いが引用する。
 「改正案によると、感染症法上の特定の感染症が国内発生している期間に限り、事業者は、感染防止に必要な協力を客に求めることができる。発熱などで感染が疑われる人には医療機関の受診などを要請でき、正当な理由なく応じない場合は宿泊を拒否できる。症状がない人でも、障害でマスク着用が困難だったり、アレルギーで消毒ができなかったりという正当な理由がないのに感染対策に協力せず、健康状態確認の求めに応じなければ、事業者は宿泊を断れる。協力要請の内容には体温測定や客室での待機なども想定している」
 結論から言えば、この書き方はミスリードと言えそうだ。
 改正法案をひもとくと「発熱など感染が疑われる人」と「症状がない人」で対応は異なっている。感染が疑われる人に対しては、ホテル側はマスク着用や消毒といった感染対策や病院受診を要請でき、正当な理由なく応じない場合は宿泊を拒否できる。一方で、症状がない人に対しては、検温や健康状態の確認に応じない場合は宿泊を拒否できるものの、マスク着用や消毒を拒否されても、宿泊を断れない。
 確認のため厚生労働省生活衛生課に尋ねたところ、担当者は「症状がない場合、ノーマスクを理由に宿泊拒否はできない」と明言した。厚労省によると、記者クラブや該当するメディアに注意喚起し、記事の修訂正を求めたという。
 ではなぜこんな報道になってしまったのか。原因は主に二つありそうだ。一つは厚労省が設置した有識者による「旅館業法の見直しに係る検討会」が公表した「とりまとめ」。もう一つは、そもそも法案の条文がわかりにくいことが挙げられる。
 有識者の検討会は、コロナ禍で旅館やホテル側が柔軟に感染対策できるよう、7回の議論を経て方向性をとりまとめ、これが改正案の基になった。
 とりまとめを読むと、「目指すべき方向性」として「宿泊客に対し、必要な感染対策として厚労相が定めるものを要請できるようにし、正当な理由なく応じない場合は宿泊拒否を可能とする」と明記した。これをそのまま読むと、症状の有無にかかわらずノーマスクは宿泊拒否できるようになる、と考えても不思議ではない。

厚労省が入る中央合同庁舎第5号館=東京・霞が関

 さらに、このとりまとめを受けて厚労省が公表した改正案の概要が話をややこしくした。
 概要の記載はこうなっている。「(感染していない宿泊者に)感染防止に必要な協力を求めることができることとし、正当な理由なく体温や、その他の健康状態などの確認の求めに応じないときは宿泊を拒むことができることとする」
 この一文は、読む人に誤解させてしまう可能性がある。「必要な協力」にマスク着用が該当し、正当な理由なくその要請に応じなければ拒否できる、と思う人もいるだろう。しかし、詳しくみていくと「必要な協力を求めることができる」ことと、「正当な理由なく健康状態確認の求めに応じなければ宿泊を拒める」ことは「、」で区切られた別の文脈だ。当然、マスクは健康状態の確認には当たらないため、宿泊拒否の理由にならない。
 次に、実際の法案を見ていく。検温や海外渡航歴などのアンケートを想定した健康状態の確認は「厚生労働省令」で定め、マスクやアルコール消毒などを想定した感染防止に必要な協力は「政令」で定めるとしている。その上で、宿泊拒否できる条件を定めた条文は、あくまで「省令」で定める協力の求めを受けた客が正当な理由なく応じないとき、と明記している。記事が複雑になって申し訳ないが、要は、宿泊拒否できるかどうかの条件は「省令」で定めるものであるため、マスクが関係する「政令」の条件は該当しないことになる。やはり、マスクがないことを理由に宿泊拒否はできない。

日弁連が入る弁護士会館

 ▽日弁連の懸念
 今回の法改正について日弁連で人権擁護委員会副委員長を務める黒木聖士弁護士に尋ねると、こう指摘した。「法律が複雑過ぎる上、『とりまとめ』に引きずられてノーマスクで宿泊拒否できるとの誤解が広まった」
 危機感も抱いているという。「そもそもコロナの疑いがある人も含めて権利を制限するのは過剰だ。旅館やホテル以外の業種でも、コロナの疑いや他の疾患のある人を拒否できるという風潮が広がりかねない」
 法改正の動きを危惧した日弁連は8月に改正反対の声明を発表している。「本来は拒否できない場合にまで宿泊拒否が拡大することが懸念され、差別につながることも考えられる」
 日弁連が差別への懸念を深めるのには理由がある。2003年に発生した「黒川温泉宿泊拒否事件」だ。ハンセン病の元患者らが、他の客に迷惑がかかるとの理由で宿泊拒否された。この旅館は結局、営業停止の行政処分と罰金の略式命令を受けた。
 日弁連の声明はこの事件を踏まえている。「(法改正によって)感染者や感染させる恐れのある人が社会にとって危険で迷惑な存在であるから排除していいという誤ったメッセージを発する」と指摘した。ハンセン病訴訟原告団のほか、日本障害者協議会、日本自閉症協会らも、同様に次々に反対声明を出した。
 ウェスティンを提訴した桜井さんは「マスクをせずに快適に呼吸することや、素顔で生きることは憲法13条が保障する自己決定権の対象。日本ではマスクをしないという少数者が排除され、マスクくらい着ければいいではないかと平気で軽口を言われる。同調圧力がかかるからこそ、この問題は人権擁護の一丁目一番地だ」と考えている。
 ウェスティンはどう答えるのか。取材したところ、「関係法令を順守した運営をしており、マスクの不着用を理由とした宿泊拒否をしたことはない」との見解を示した上で「訴訟が提起されたという情報があり、詳細については回答を控える」と話している。

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