筆ペンから絵筆へ 支持を広げた創作の世界/北九州在住のアーティスト・詩太さん

西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。

絵を描き始めたきっかけ

甲木:おはようございます。西日本新聞社 ナビゲーターの甲木正子です。

梁:同じく、西日本新聞社の梁京燮です。

甲木:梁さん、今日は記念すべき100回目です。

梁:今までたくさんのゲストに出演して頂きましたよね。

甲木:北九州には素晴らしい方がたくさんいらっしゃるということですよね。今日のゲストの方も100回目にふさわしい素敵な方です。詩と絵を描いている北九州在住のアーティスト詩太(うーた)さんこと木村真悟さんです。よろしくお願いします。

木村:よろしくお願いします。詩太です。

梁:よろしくお願いします。

甲木:皆さんいろんな所で詩太さんの作品を目にしていらっしゃると思うので、どういう作品が街にあるかをご紹介しますと、一つは黒崎の熊手銀天街のシャッターに絵を描かれていましたよね。

木村:そうですね。閉店してしまった書店のシャッターに描きました。

甲木:西日本新聞の記事に載っていましたね。それで詩太さんのことを知って、いつかラジオに出て頂こうと思っていました。

梁:鯨の絵でしたね。

甲木:他にも門司区の田野浦小学校の体育倉庫に、児童と描いた絵がありますよね。詩太さんの絵には必ず言葉が添えられていますけど、それは詩太さんのスタイルですか?

木村:そうですね。絵を描いた後に一番伝えたいことを詩にしています。

甲木:元々、絵を描く前は詩人でいらしたんですよね。

木村:絵は最近描くようになって、最初は詩というか、筆文字から始まった活動です。

甲木:それより前は保育士をされていたんですよね。それから詩を描くようになって更に絵を描くようになったいうことでしょうか。

木村:時系列で言うと、保育士の専門学校時代に筆ペンを始めたんですよ。筆ペンで歌の歌詞を書き写したりとか、自分で考えた詩をはがきとか色紙に描いて友達にプレゼントしたりという事を始めたんです。そしたら喜んでもらったので、これは続けようと思い、進路相談のときにこういう仕事をしたいと相談しましたが受け入れてもらえなく、内定していた保育園に就職しました。それから保育士1年目の時に、たまたまある商業施設を歩いていたら”素人作家さん募集”と書いてあるお店があって、それを見て自作のポストカードを6種類ぐらい持ち込んで「販売してください」という感じで売り込んだのが一番最初でした。

甲木:そうだったんですか。

木村:そこから販売してもらえるようになって、副業していることが職場にばれてはいけないと思って、そこでペンネームが必要になり、名乗ったのが 『詩太(うーた)』 なんです。

甲木:そういうことですか。

木村:作った物を納品・販売することが続いて、販売数も伸びていって、自分が作った物を貰った人たちから「また描いてほしい」と直接自分に連絡があってオーダーに応えたりしていたら、口コミで広まっていって6年間勤めていた保育園を退職してアトリエを構えました。

甲木:起業したのは何歳の時でしたか。

木村:27歳の時です。その時はまだ絵を描いていなかったんですけど…。

梁:凄いですね。

甲木:ポストカードから始めて、生活していけるようになるって凄いですね。

木村:ありがたいですね。

イベントの開催

甲木:この放送している頃は、個展も開かれている最中なんですよね。

木村:そうですね。黒崎ひびしんホールの中ホールをお借りして、絵と詩を展示しています(2022年8月24~27日)。皆さん日頃忙しく生活されている中、この会場にいる時だけは穏やかに過ごせる時間になったらと思って、柔らかい絵をたくさん展示しているので、見に来てきて頂きたいと思います。

甲木:後は、お子さんたちとのライブペイントイベントもあるそうですね。

木村:そうですね。最終日に2枚大きな作品を描こうと思っています。これは、この場に居合わせた人たちとか子どもたちの声を聞きながらやり取りして、自分が大きな絵を描こうかなと思っています。

梁:私も子どもを連れて参加したいと思います。

木村:是非、お待ちしています。

甲木:どんな絵になるかは、その時のお楽しみですね。

保育士としての苦労

甲木:詩太さんのお人柄にも迫ってみたいと思います。アーティストになる前は、保育士だったという事を言われていましたが、子どもの頃からなりたかった職業だったんですか?

木村:子どもの頃からなりたかった職業ではなかったんですが、高校生の時に姉に子どもが生まれてその子が凄く可愛かったので、それが保育士になるきっかけでした。

甲木:先週伺ったお話でも、専門学校に行きながら趣味で筆ペンで詩など書いていらっしゃったので、その活動をしつつ保育士をされていたという事でしたよね。

木村:そうですね。保育士がメインの仕事でした。

甲木:保育士さんとして、どんな先生だったんでしょうか。

木村:そうですね、6年ぐらいの勤務でしたが、苦労した時期と楽しめた時期が半々ぐらいでした。前半の頃は、子どもを叱らないといけないところで叱れなかったりしたこともあって、悩んだ時期もありました。

保育士が面白くなったきっかけ

甲木:楽しくなったきっかけは、どのような事だったんでしょうか。

木村:研修に行った時に、ある先生から、子どもたちは8歳までにどれだけワクワクした経験をしたかによって、その先、自分自身で伸びていけるかどうかが決まるという研究があったという話しを聞きました。これは凄いことだと思って、保育士は大事な時期に子どもと接する仕事なので、厳しくするのは他の先生に任せて、自分は子どもたちをワクワクさせようという気持ちに踏み切ろうと思いました。そこから、保育士の仕事が楽しくなりました。

甲木:どのようなことで、子どもたちをワクワクさせたんですか?

木村:例えば布で作った真っ白の鯉のぼりを作って、「この鯉のぼりがお父さんとお母さんと同じような模様になりたいと言いよるんよね」とか言ったら、子どもたちは何か模様を描いてあげたい気持ちになるみたいなんです(笑)

梁:それは面白いですね(笑)

これからチャレンジしたい事

甲木:アーティストとして、保育士の経験が生きていますか?

木村:生きてますね。思い返して見ると、保育士をしていなかったら、“詩太”そのものは無かっただろうと思うぐらい凄く大事な経験だと思います。

甲木:これからチャレンジしたい事はありますか。

木村:今、個展を中心に活動しているんですが、福岡県だけでなくていろんな場所で作品を展示したいと思っています。

甲木:そうですか。では、今日の放送を聞いて気になる方は是非、『詩太(うーた)』で検索してみてください。梁さん、今日のお話はどうでしたか?

梁:詩太さん自身のストーリーが面白くて、詩太さん自身のパレットに保育士という色が付いたり、また他の色が付いたりしてこれから凄い作品ができるのではないかと思って楽しみです。

木村:ありがとうございます。

甲木:北九州在住のアーティスト 詩太さんこと木村真悟さんにお話を伺いました。詩太さん、ありがとうございました。

梁:ありがとうございました。

木村:ありがとうございました。

〇ゲスト:アーティスト詩太さんこと木村真悟さん

〇出演:甲木正子(西日本新聞社北九州本社)、梁京燮(同)

(西日本新聞北九州本社)

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