【読書亡羊】なぜプーチンや金正恩は核による威嚇をやめないのか ブラッド・ロバーツ著、村野将監訳・解説『正しい核戦略とは何か』(勁草書房) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末、もとい、今年最後、年末書評!

「戦」と「核」の一年

2022年の世相を一字で表す「今年の漢字」は、「戦」だと発表された。さらにもう一文字、象徴的な漢字を挙げるとしたら、「核」を推したい。

戦争中に核の使用をちらつかせるロシアは言うまでもないが、核開発に加えICBM能力も備えた北朝鮮、さらに中国も着々と米露に並ぶべく核戦力を備えつつある。そんな中だからこそ、故安倍総理も日本で核に関する議論を活性化すべきだと言い残した。これほど「核」を意識せざるを得なかった年も、近年ないだろう。

小欄でも3月に〈核議論するならまずはここから!〉と題し、兼原信克・太田昌克・高見澤將林・番匠幸一郎『核兵器について、本音で話そう』(新潮新書)を紹介した(https://hanada-plus.jp/articles/978)。

さらにもう一歩、踏み込んで核について知るためにおすすめなのがブラット・ロバーツ著、村野将監訳『正しい核戦略とは何か―冷戦後アメリカの模索』(勁草書房)だ。

筆者のロバーツ氏は米国防次官補代理として、核戦略や日米拡大抑止協議の設置に尽力した専門家中の専門家。そうでありながら、核廃絶や核軍縮という理想と現実の間で取りうる策を冷静に見据える立場をとる。監訳を担当した村野将氏はハドソン研究所所属の気鋭の研究員で、こちらも核・ミサイル防衛や抑止論を専門としている。

一般書と比べて格段に「歯ごたえ」のある本書だが、核や抑止理論を語る・考えるなら読んでおかねばならない一冊といえる。

緻密な詰将棋のような理論

核、という究極的に人道に反する兵器だからだろう、核抑止を「互いの頭に拳銃を突きつけ合っている敵同士のようなもので、そもそも非人間的で危うい状態である」と評する人もいる。

確かにそういう側面がないではない。こう言われてしまうと「そんな恐ろしいことは今すぐやめるべきだ」「考えたくもない」との思考停止に陥るのも無理はない。

だが、本書を読んでまず気づかされるのは、核の抑止理論やそれぞれの国の核戦略は、核単体で存在しているのではないということだ。さらには、相手のリアクションを想定しておく必要があるため、対象国の体制、指導者の理念、もっと言えば「世界観」まで知っておく必要がある。

例えば本書の第二章でクローズアップされる北朝鮮の場合、自らが主導する朝鮮半島統一と、体制維持という国家戦略があり、その下に「戦略を実現するために邪魔な存在であるアメリカの介入を防ぐ、あるいは核で北朝鮮を脅してくるアメリカの態度を変えさせる」という外交・安全保障政策がある。その実現のために核というツールを備えた。

本書が「実際に北朝鮮が核を使う局面・妥当性があるのか」を丁寧に分析しているのは、北朝鮮もアメリカのリアクション次第で出方を変えるからに他ならない。米朝で本格的な核の撃ち合いに発展すれば北朝鮮に勝ち目はないが、「限定的な核攻撃ならアメリカの報復もそれほどではなさそうだ」と思えば、核を使用するハードルは下がってしまう。

米ソ冷戦時代ならともかく、現在の核抑止は「頭に拳銃を突きつけ合う」「相手が引き金を引いたらこちらも引く」というだけの単純なものではない。北朝鮮のケースだけを見ても、この国のあらゆる思考とリアクションを洗い出してこちらの対処を考えるという、難解な詰将棋のような緻密さを必要とするものなのだとわかる。

「核は使ったら終わり」ではない

さらに本書を読むうちに気づかされるのは、「核は使ったら終わり」「核は使われたら終わり」ではないという点だ。

日本では第二次世界大戦が広島・長崎への原爆投下によって終戦に至った経験があるため、特に「核を撃たれたら終わり、白旗を挙げるしかない」という感覚が強い。

だが実際にはそうではない。例えばロシアは非戦略核と呼ばれる、相手国の中枢を破壊するようなものでない局地的に使われる核兵器を、戦況を有利にするために使うケースも想定している。これを本書では〈コントロール可能な核戦争〉と表現している。日本の感覚で言えば「そんなものがあり得るのか」という印象だが、それはあくまでも日本の感覚に過ぎない。

ロシアからすれば戦況打開のために核の使用をほのめかし、実際に使うぞと脅すことは、あくまでも戦略、戦術の一つ。そして、どこまで「脅し」で押せるのか、さらには実際どれほどの核をどこに使った場合、ロシアが望まない事態のエスカレート――米国やNATOの参戦――を招いてしまうのかを測っている。

さらにはロシアの核が狙っているウクライナにとっても、必ずしも「核を撃たれたら終わり」というわけではない。もちろん首都キーウや主要都市の何十万人もを焼き尽くすような核が使われれば話は別だが、「戦況を打開するために局地的に使う核」の場合、核攻撃を受けたウクライナの人々が白旗を挙げるとは限らない。

こうした核抑止の駆け引きが、今まさに行われている。本書を読めば、素人なりに現在起きていることの理解の解像度が上がるだろう。

リアルなリスクの議論を!

監訳者である村野氏が手がける「あとがき」にもあるように、「核の議論」そのものが嫌悪の対象になってきた日本では、こうした議論そのものが過激に映るほど、きわめて表層的でナイーブな核議論に終始してきた。

それでも2000年代から保守派の間では核武装論や核共有の議論は起きてきたものの、「持つか持たないか」「共有するか否か」にとどまっていたのが実態だろう。

ここへきて核共有が取りざたされているのは、「アメリカがいざという時、本当に核報復をしてくれるのか」という懸念があるからだ。だが、国会議員の一部には「核共有を日本国内で肯定的に議論することは、現状のアメリカの核の傘、拡大抑止に対する疑念を示すのと同様なので、失礼だからやめるべきだ」と発言している人もいる。

失礼かどうかでこういう判断をすべきではないと思うが、ともかく「どのような時に使われるのか」「それは確実なのか」「『日本のために使った』場合、日本国民はその事実を受け止める覚悟があるのか」は改めて問われなければなるまい。

著者のロバーツ氏は、日米拡大抑止協議といわれる核をも含む安全保障戦略を話し合う場を立ち上げた当事者だという。もちろん手の内を明かすことはできないとしても、日本政府はどの程度の話し合いが行われ、どういうシナリオや戦略を考えておくべきなのかを国民にも知らせてほしい。

これは核に限らない。例えば台湾有事でも、日本が台湾を助けた場合、日本がどのような損害や代償を受ける可能性があるのかは、やはり率直な議論が必要だろう。

年末にこそお勧めしたい理由

年明け早々に、「世界終末時計」の残り時間が発表される。「世界終末時計」とは、原子力科学者会が発表する核戦争の危機、現在は気候変動なども要素に加えた、人類社会の終焉までの残り時間を示す。

2022年1月には「残り100秒」と、これまでで最も少ない残り時間となった。2017年にはトランプ大統領の就任もあり、一年で30秒進んだ。となれば、戦争中に核の使用をちらつかせるプーチン大統領の言動は、一体何秒、この針を進めてしまうのか。

そんなことを考えながら、年末年始の時間のある時に、じっくり腰を据えて「歯ごたえ」のある本書に取り組んでみるのもいいのではないか。

まずは新終章の「日本の読者のためのその後の展開と課題」、「監訳者解説・あとがき」から読むことをお勧めしたい。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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