旧統一教会の養子縁組は「親と教団のエゴだった」 二世の女性「私は毒蛇?」教義に疑問を持った“神の子”の葛藤

旧統一教会の「祝福」家庭に生まれ、別の信者家庭の養子となったあかりさん(仮名)

 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)は、子どもが生まれない信者家庭が、別の信者夫婦の子と養子縁組することを「美しい伝統」と呼び、長らく積極的に推奨してきた。養子となった人は、教団が把握しているだけで745人。18歳の女性あかりさん(仮名)も、その一人だ。教団が「祝福」と呼ぶ合同結婚式で結ばれた信者夫婦の間に生まれ、生後すぐ別の信者家庭の養子となった。
 数年前に信仰心を失ったが、育ててくれた両親には隠したままでいる。人は全てサタンに取りつかれ、罪を負っていると考える教団において、あかりさんのように「祝福」を受けた夫婦の間に生まれた子は、罪のない「神の子」と呼ばれる特別な存在。「神の子としてこの家に迎えられた私が信仰をやめたと知った時、はたして両親は今までのようにしてくれるだろうか」。両親に対する疑念と罪悪感にさいなまれながら、打ち明けることのできない葛藤を抱えている。(共同通信=大湊理沙)

旧統一教会の本部が入るビルに付けられた「世界平和統一家庭連合」の文字

 ▽親戚や知り合いではない「特別な関係」の真実
 あかりさんはある信者夫婦の家庭に、5人きょうだいの末っ子として生まれた。養子となることは生まれる前から決まっており、生後すぐに、子供がいない今の両親のもとへ引き取られたと聞いている。自宅にある母子手帳には、生まれた時の記録が残されているが、母体に関する情報の欄はほとんど記載がない。あるのは分娩にかかった時間と出血量だけだった。
 自分が両親の実の子でないと知ったのは5歳ごろ。幼い頃から、家族ぐるみで付き合っている別の信者家庭があった。自宅から遠く離れたところに住むその家庭を何度も訪れ、一緒に食卓を囲んだり泊まったりする中で、親戚や知り合いという言葉では説明がつかない「特別な関係性」を感じるようになる。思い切って母親に疑問をぶつけたところ、その家に住む夫婦と子どもたちが、自分の本当の家族なのだと知らされた。
 小学校では友だちから「何人きょうだい?」と聞かれるたび、「一人っ子」と答えていた。本当は「お姉ちゃんとお兄ちゃんがいるよ」と言いたかったが、複雑な家庭事情が理解されるとも思えず、隠すしかなかった。きょうだいたちに会っても、なんと話しかけたら良いか分からない。実の親にあたるこの夫婦のことを、今も「お父さん」「お母さん」ではなく、名前で呼んでいる。

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 ▽自分の頭で考えると「サタンがついている」
 育ててくれた両親は、決して裕福とは言えない暮らしの中で、それでも愛情を込めて接してくれた。自分自身も両親のことを大事に思っている。旧統一教会の教義についても、幼い頃は疑問を感じなかった。物心ついたころから熱心に信仰を重ね、中学に入ってからは日曜日の礼拝に行けるようにと、活動日の少ない部活を選んだほどだった。
 転機は中学3年生の時に訪れた。高校への進学を前に、このまま信仰を最優先する生活で良いのだろうかと自問自答。こんな考えを抱くようになった。「熱心な信者として生きていくとしても、生まれる前から敷かれたレールに乗るのではなく、自分で考え、選び取った信仰にしたい」
 それからは、付き合いのあった教団関係者だけでなく、学校の友人やインターネット上で知り合った人たちの話を聞いた。教団では制限されている化粧を学び、恋愛漫画も読んだ。広い視野を持って主体的に考えようと、知らなかった世界に触れようとした。
 しかし、旧統一教会では教義に疑問を抱いたり、自分の意見を述べたりすると「サタンがついている」と言われ、それ自体が非難の対象となる。「自分で考えるのが悪いこと?本心は心の奥に押し込むべきなの?」。考え抜いた末、それまで当然のことと受け止めていた教義は、物心つく前から「正しいことだ」と教え込まれ、従属的に受け入れていただけに過ぎないのだと気付いた。
 改めて考えると、教義や教団運営の手法には疑問があった。献金は教義に基づいて信者に求められるが、その金額は、時によって変動する。これは、実際には組織を維持するための集金に過ぎないからではないか。常識を越えた高額献金もあるが、それは本当に必要なことなのか。信者が自らの頭で考えること自体を非難するのは、盲目的な信仰で信者を組織に縛り付けるためではないのか。
 積み重なった疑問は不信感になり、心はしだいに教団から離れていった。

 

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▽親の愛は「神の子」だから?
 信仰心を一度失ってしまうと、今度は両親が自分に注いでくれる愛情についてまで思い悩むようになった。自分が「神の子」であることが前提になっているから、愛してくれるのではないか。もし、自分が信仰をやめたと打ち明けたら、養子として大切に育ててくれた両親を裏切ることになるのではないか。あかりさんはそんな不安をこう表現した。「鶏の卵をもらったつもりが、中から生まれたのは毒蛇だったと親は思うのではないか」
 両親にとって自分が「毒蛇」だったとばれることは、想像するだけで恐ろしく、同居する自宅は落ち着ける場所ではなくなった。「望み通りに育たなくてごめんなさい」という罪悪感が膨らんでいった結果、かえって「良い子にしていなければ」という思いが強まった。だから、今は反抗的な態度を取りたくなった時でも我慢するようにしている。

 

 ▽養子縁組の推奨は「教団継続のツール」
 最近の報道で、教団が養子縁組のことを「美しい伝統」と呼び、組織的に推奨してきたことを知った。これまでは深く考えてこなかったが、今は「私たちのような子どもの存在そのものが、教団継続のためのツールにされていたのではないか」との思いを強くしている。
 「私が『神の子』じゃなかったら、養子にしなかったの?」「そもそも、なんで私を選んだの?」。胸の中で、新たな疑問が次々にわき上がってくる。知りたいことはたくさんあるが、どんな答えが返ってくるかが怖くて切り出せずにいる。
 自分の存在意義は何なのか。いまだ自分のことを「神の子」だと信じて疑わず、将来的には信者同士での結婚を望んでいる両親に、どう向き合えば良いのだろう。両親への思いと自分の考えの間で、心が引き裂かれそうになる。
 今回、取材を受けようと決心したのは「同じような思いをする子がこれ以上増えないようにしたい」との一念からだ。「教団は『伝統』なんていう言葉でごまかさず、葛藤を抱えながら生きている私たち養子の現実を見てほしい」と悲壮な表情で訴えた。

教団が作成した「祝福家庭のための侍義(じぎ)生活ハンドブック【改訂版】」

 ▽ハンドブックに記された教団の真意
 教団はこれまで、養子縁組の話し合いはあくまでも信者同士のつながりや地域の付き合いの中で決まっていくと報道機関に説明している。「教団としてあっせんなどは一切行っていない」とも主張してきた。
 だが、教団が作成した「祝福家庭のための侍義(じぎ)生活ハンドブック【改訂版】」にはこんな記載がある。「天から子宝の恵みを受けた家庭は、その恩恵を子女の授からない家庭にも分かち合う責任があります」。この表現通りなら、養子縁組を積極的に推奨してきたことは紛れもない事実だ。
 また教団関連の別の書籍には、養子縁組について「両家が合意したら、所属教会を通して必ず日本の家庭連合本部の家庭教育局に報告が必要」という記述もある。両家のみで縁組をまとめることを制止し、所属教会の「家庭部長」が間に入ることや、成立前に教団本部へ申請書を出すことも求めており、組織的な関与が色濃くにじむ。

幼い頃にきょうだいが養子となった元2世信者のかなえさん(仮名)

 ▽高額献金で養子先の家庭も困窮
 別の元2世信者で、30代のかなえさん(仮名)は4人きょうだいで、6歳下の末っ子が別の信者家庭に養子として引き取られていった経験がある。当時、女性の家庭は高額献金によって困窮していた。末っ子が引き取られた家庭の方が裕福そうに見えたという。
 だが、その家も献金によって次第に経済的に行き詰まるようになる。末っ子とはその後も礼拝などでたびたび顔を合わせたが、お金の問題で服を買ってもらえなくなり、それが理由の一つとなって学校でいじめられるようになったと聞いた。学校を卒業した今も、引きこもり状態が続いているという。
 「養子に出されず、私たち他のきょうだいと一緒にいれば、(末っ子も)親に反抗したり自分の意見を言ったりして、違う人生を歩めたのではないか」。かなえさんは、養子縁組があくまで大人たちの都合や、教団のために続いてきた習わしだと指摘し、怒りをあらわにこう訴えた。「子どもの人生は一切考慮されておらず、美しい伝統どころか親や教団のエゴにすぎない。教団は今すぐ姿勢を改めるべきだ」

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