難行苦行、車内に哀歓、揺られてアイデアも 没後30年の松本清張と鉄道150年(下)

 【汐留鉄道倶楽部】鉄道開業150年と作家松本清張没後30年にちなみ、清張の作品世界と鉄道との関係をたどる連載の後編は、代表作である「砂の器」や、映画化された「張込み」などを取り上げる。やはり登場人物たちは過酷な旅もいとわず、列車に乗って全国各地を駆け巡る。

 「私は少年の頃から未知の土地に憧れを持っていた」。こう振り返る清張は鉄道の旅を愛した。終戦直後、福岡・小倉で新聞社の広告部門に勤めていたが、インフレの中、給料だけでは生活が苦しい。食糧不足の折、新聞社は遠方に出かけて食糧を調達する「買い出し休暇」を認めていた。その休暇を使い、副業としてほうきの仲買を始めた。材料になる、わらや竹の仕入れと販売のため、広島や京都、大阪、九州では佐賀や大分に足を延ばす。著書「半生の記」で、その経験を回顧する清張の筆致はどこか楽しげだ。さまざまな土地を巡り歩いた蓄積が、後に作家活動に生かされることになる。

 映画化もされた「張込み」(1955年に雑誌掲載)は、こんな筋立てだ。東京で殺人を犯した男の行方を追う警視庁の刑事2人は、かつて男と恋仲にあった女が九州のS市(佐賀市を示唆)に住んでいると知り、男がこの女のもとに現れるのではないかと推測。今は別の男と結婚して暮らす女性宅向かいの旅館で張り込みをする―。

 顔見知りの新聞記者の目につくとまずい、との理由で夜行列車の始発駅である東京からは乗らず、横浜駅で午後9時30分に乗車。列車を乗り継いでS市に到着したのは翌日の夜遅くだった。しかも横浜駅からの乗車だったこともあり当初空席はなく、通路に座って一夜を明かした、となっている。1人は京都で、もう1人は大阪でようやく席を確保し「欲もトクもなく眠りこけた」。この頃は体力と気力が十分でないと旅ができないのだ。

JRの蒲田操車場。「砂の器」で殺人の現場となった。京浜東北線の車両がずらっと並ぶ様には迫力がある

 清張は東海道新幹線開通後の67年に発表した随筆で「交通の発達とスピード化は急速に日本から旅を失わせつつある」「はるかにも来つるものかな、といった感慨は無くなってしまう」「長い時日と不便とを忍んで行ってこそ旅の哀歓が生れるのである」と記した。難行苦行こそ列車旅の醍醐味、というゴリゴリ体育会系の発想である。高速化し、車内環境も快適になった現代では、なかなか共感を得にくいかもしれない。

 ただ、私は自らの経験から半ば同意する。大学生時代の1980年代後半、中国に貧乏旅行に出かけた。南部の広州から北京まで36時間、北京から西域の敦煌近くまで55時間。「硬座」と呼ばれる普通席での旅だった。7月のとても暑い時期だったこともあり、体力勝負の強行軍で消耗は激しかった。夜、クッションも何もない硬いいすに座っていては、とてもではないが熟睡できない。腹をくくって、いすの下(簡素ないすなので下には何もない)の床に横になったら、よく眠れた。

 一方で、この環境は中国の庶民たちの姿に接するには格好の場だった。お茶をすすり、弁当をかき込み、長旅にくたびれて「アイヤー」(感嘆詞)を連発する。列車の服務員と客が派手なけんかを始めることも。車内にごみ箱はなく、駅弁の空箱は窓から外に投げ捨てるのには驚かされた。レールに沿ってたくさんのごみが落ちていた。そうした様子の一つ一つに私は興味津々だった。筆談で他の客と会話を試みたことも思い出深い。

 56年に雑誌に載った「顔」では、列車内での偶然の出会いが主人公を追い詰める。妊娠したことを理由に結婚を迫ってくる交際相手が嫌になり、住んでいる福岡・小倉から山陰地方の温泉への旅行に連れ出した上で、山中で殺害してしまう。しかし、その途中の列車内で、女が知り合いの男に出くわし、話し込んでいたことが気になって仕方ない。横に座る自分の顔を、この男に覚えられたのではないか。疑念に苦しむ主人公は―というストーリーだ。

 「砂の器」(60~61年に新聞連載)は野村芳太郎監督による映画(74年公開)があまりにも有名だ。この作品にも鉄道が頻繁に出てくる。殺人事件の現場が東京・蒲田の国鉄操車場であり、警視庁の刑事たちは手掛かりを求めて羽越線で秋田へ、中央線で山梨へ、東海道線から山陰線、木次線を乗り継いで島根へとまさに東奔西走する。

都電の生き残り「荒川線」。清張にとって「緩慢な速度と適度の動揺」が作品の構想を練るのに役だったようだ

 清張はこう記す。「旅の魅力は未知の土地を踏むことである」「自身がストレンジャーとなって、小さな孤独感と、小さな冒険への期待にひたるたのしみである。芭蕉が『野ざらし紀行』や『奥の細道』の序文に書いたスリリングな気持は現代人の心にも残っている。これが推理小説の雰囲気とどこか融け合うところがある」

 列車に揺られることが小説のアイデアを生み出す面もあったようだ。「(インスピレーションがひらめくのは)ぼくの場合は、やはり風呂だとか、トイレの中とか(中略)、電車とかバスとかに揺られている時が多い。つまり、ぼんやりしているときがよろしい」と清張。これが作中にも反映され、前回取り上げた「点と線」では、捜査に行き詰まった刑事が行き先を決めずに都電に乗る場面がある。「緩慢な速度と適度の動揺とが思索を陶酔に引き入れる」「この環境の中に自分を閉じこめ、思考のただよいにひたるのである」

 そう、松本清張の小説世界と鉄道の間には、まさに切っても切れない深い絆(頑丈で揺るがない鉄橋?)が結ばれているのである。

 ☆共同通信編集委員・福島聡

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