海外挑戦を後押しし得る存在。4大陸制覇した“異色のフットボーラー”田島翔が語る「行けばなんとかなる」思考

サッカー選手としてアジア、欧州、オセアニア、北中米の4大陸でプレーし、現在は麻雀プロという肩書も持つ“異色のフットボーラー”田島翔。アメリカでは元ブラジル代表のアドリアーノとともにプレーし、サンマリノリーグで初めてプレーした日本人でもある。世界を渡り歩いてきた男の言葉に耳を傾けると、大きな決断であるはずの「日本人の海外挑戦」が少し身近なものに感じられるかもしれない。

(インタビュー・構成=中林良輔[REAL SPORTS副編集長]、写真提供=田島翔)

「この選手誰?」と最初から険悪な雰囲気で…

――2008年から欧州のクロアチア、スペインと渡り歩き、帰国後、2012年にはJ2のロアッソ熊本で念願のJリーガーとしてプレー。にもかかわらず、その直後にフットサルに転向。経歴を拝見するだけでも、本当に素晴らしいフロンティア精神だなと感じます。いったいなにが田島選手の原動力となっているのですか?

田島:憧れの存在であるカズ(三浦知良)さんが常にチャレンジする人で、その背中を追い続けたからかもしれません。あと、もともと好奇心が強く、なんでもとりあえずやらないと気が済まない性格なんです。加えて、やりたいことに挑戦して失敗してもまったく後悔しないタイプの人間で。

――2014年にはニュージーランドのオークランド・シティFCに移籍されます。欧州にもう一度戻るのではなく、オセアニアを選択されたのはなぜですか?

田島:これはもう完全にクラブワールドカップを見た影響ですね。

――2005年にカズさんもゲストプレーヤー枠でオーストラリアのシドニーFCに期限付き移籍し、FIFAクラブワールドカップ(当時の名称はFIFAクラブ世界選手権)に出場しました。

田島:はい。あとは日本で開催されるクラブの世界一を決める大会に、オセアニア代表として出場したいという目標を持ってチャレンジしました。ただ、このときはオーナーと連絡を取って気に入ってもらって練習に合流することになったのですが、そのことを監督は知らなかったようで、「この選手誰?」と最初から険悪な雰囲気で、結局、そのまま干されてしまって……。「交渉ごとは現場の監督の意向も確認しながら進めないといけないんだな」と勉強になりましたね。

――とはいえ、代理人をつけずに選手自ら各国のクラブにコンタクトし、契約まで至る過程がすごいことだと思います。毎回クラブに直接メールを送るところから始まるのですか?

田島:そうです。メールや電話でまずコンタクトをとって、プロフィールやプレー動画を送って、とにかく一度練習に参加させてほしいとお願いする流れが多いですね。少しでも興味を持ってもらえたら、あれこれ考え込まずにとにかくすぐに現地に向かっていました。

アドリアーノは「ボールが来ないとだんだんイライラ」

――2016年にはアメリカに活躍の場を移されて、マイアミ・ユナイテッドFCでは元ブラジル代表のアドリアーノ選手とも一緒にプレーされています。

田島:チームメートとしてとても頼もしい選手でした。体のサイズも足元の技術もあるのでとにかくボールが収まるし、左足のシュートは本当に強烈で、彼につなげばなにかが起こると感じさせてくれる選手でしたね。ただ、自分にボールが来ないとだんだんイライラしてしまうところはありました(笑)。

――アドリアーノ選手といえば、イタリア・セリエAのインテル在籍時には、シーズン中の夜遊びなどプライベートでの問題行動の話題も多かった選手ですが、アメリカではどのような印象を受けましたか?

田島:チームの顔となるべき選手としてアメリカにやってきていたので、率先して居残り練習をしたり、若い選手たちの模範になろうと努力する姿を見せてくれていました。ピッチ外でも、とても気さくで親しみやすい人柄でした。

――アメリカ時代には他にも名の知られた選手とプレーされたりしたのですか?

田島:マイアミ・ユナイテッドFCには元ブラジル代表のカフーの息子も所属していて、カフーもクラブに関わっていたので見かけることもありました。テレビを通して見ていた選手と実際に同じクラブに所属できて、アメリカってやっぱり夢がある国だなと思いましたね。

「想像していたよりもレベルの高かった」サンマリノリーグ

――2018年に韓国でのプレーを経て、2020年からはサンマリノでプレーされた経歴もすごく印象的です。なぜサンマリノだったのですか?

田島:どの国でもいいので欧州のトップリーグ(1部)でプレーしてみたいと考えました。あと、予備予選でもいいのでUEFAチャンピオンズリーグの舞台で戦えるリーグでプレーしたいなと。じつは、実際にプレーする国の選択肢としてリストアップするまで、サンマリノが国だと知らなくて……。イタリアにある都市だと思っていたんですよ(笑)。ですが、国内リーグもあって、チャンピオンズリーグの予備予選に出る権利もあると知って、コンタクトをとって、練習参加に誘われ、迷うことなく乗り込みました。

――サンマリノリーグでプレーする初の日本人だったとのことですが、クラブ側は未知数の日本人選手をどのように評価したのですか?

田島:スペインでのプレー経歴と、あと、アメリカでアドリアーノとプレーしたというインパクトもすごく大きかったようです。イタリアで活躍した選手なので。加入後にはアドリアーノ獲得の可能性も探りたいと相談されて、「サンマリノのチームが何カ月間か限定でもいいからプレーしてほしいと言っているんだけど……」と交渉の窓口にもなりました(笑)。そのときすでに彼はサッカーから離れてしまっていたので、実現はしませんでしたが。

――サンマリノリーグは、実際にプレーしてみていかがでしたか?

田島:代表のレベルはそれほど高くないのですが、予備予選からとはいえチャンピオンズリーグの舞台で戦えることもあり、イタリアのセリエAやセリエBでプレーしていた選手が多くて、リーグのレベルは想像していたよりも高かったですね。

北中米のサッカーは日本に合っている? 一方、韓国は…

――本当にさまざまな国でのプレー経験を持たれていますが、現地への適応という点で、田島さんが一番心がけていることはなんですか?

田島:まずはすべてにおいて日本基準で考えないということと、あとはどの国でも現地の言葉で話しかけることを心がけていました。発音や文法を間違えて笑われることもあるんですが、それも一つのコミュニケーションになるので。間違えたくない、笑われたくないとこちらが殻に閉じこもってしまうと、向こうも話しかけづらくなっちゃうので。

――英語とスペイン語が話せれば、そのどちらかの言語が通じる国に限定して行き先を決めてもいいようにも感じてしまうのですが……。

田島:確かに(笑)。サンマリノはイタリア語だったので、イタリア語も猛勉強しました。最後まで文法は覚えられなかったのですが、単語を並べてコミュニケーションをとっていました。そういうさまざまな国でのゼロからのチャレンジを前向きに楽しいと思えるかどうかも海外に挑戦するうえでは大事かもしれません。

――大きく6つの大陸に分けられる世界のサッカーのうち、アジア、欧州、オセアニア、北中米の4大陸でプレーされていますが、そのなかで特に日本人選手との相性の良さを感じた国や地域はありますか?

田島:アメリカのラスベガスやマイアミでは、メキシコ人の選手が多かったのですが、メキシコと日本はオーソドックスなサッカー観に近い部分があるので、北中米のサッカーは日本人に合っているのではないかと思います。逆に、韓国のサッカーには難しさを感じました。少しずつパスをつなぐサッカーに潮流が変わってきてはいますが、僕がソウル・ユナイテッドFCに所属していた2018年はまだ前からガンガン行くフィジカル重視のサッカーで、スタイル的に僕は順応するのにすごく苦労しました。

――あと南米とアフリカでプレーされると、6大陸コンプリートですね(笑)。

田島:ですね(笑)。ちょうど来季カズさんがポルトガルに移籍するかもしれないという報道もありましたが、僕ももう一度海外に挑戦したいという思いは持っています。ラスベガス時代の監督がブラジル人で「ブラジルに来ないか?」という話もあったので、いろいろと可能性を探りながら6大陸制覇の目標は持ち続けたいです。

――最後に、サッカーに限らず、スポーツやビジネスや学業で海外に挑戦したいと考えている日本人の方に、なにかアドバイスをいただけますか。

田島:いま、これだけ情報がなんでも簡単に手に入る時代なので、自分でいろいろ調べて、行きたいと思ったら、まず行ってみることがすごく大事だと思います。あれこれ考えすぎちゃうと不安も出てくるので、行けばなんとかなるという考え方も大切にしてもらえたらいいなと思います。

<了>

[PROFILE]
田島翔(たじま・しょう)
1983年4月7日生まれ、北海道出身。高校卒業後にシンガポールにサッカー留学。帰国後、2004年からFC琉球、2008年からクロアチアのNKヴァルテクス、2010年からスペインのTSKロセス、2012年にロアッソ熊本に所属。2013年にフットサルに転向してシュライカー大阪のサテライトで半年間プレーしたのち、2014年にニュージーランドのオークランドシティFCで再びサッカー界に復帰。2015年に十勝フェアスカイFC、2016年にアメリカのマイアミ・ユナイテッドFC、2017年にラスベガス・シティFC、2018年に韓国のソウル・ユナイテッドFC、2020年にサンマリノのSSペンナロッサでのプレーを経て、2022年より江の島FCに所属。同年7月、プロ競技麻雀団体RMUのプロ試験を受け合格した。

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