米中間選挙 減りつつある上院候補者による討論会

本田路晴(フリーランス・ジャーナリスト)

【まとめ】

・米中間選挙で野党・共産党による上下両院の奪還はなかった。

・候補者は録音、録画されることになる討論会は将来に禍根を残すリスクが高すぎると参加に慎重になっている。

・討論が選挙プロセスの中核を占めず、候補者が支持者以外の有権者との直接対話を拒否したままで健全な民主主義は果たして保たれるのだろうか。

バイデン大統領の民主党の大敗も予想された米中間選挙は野党・共和党による上下両院の奪還はなかった。僅差だったため、12月6日に決戦投票が行われたジョージア州の上院選でも民主党は勝利し、定数100議席の上院で51議席を得ることになった。

バイデン氏は過去10回の中間選挙でも3回しか例がない政権与党による議席上積みを果たした。一方の共和党は現有議席を1議席減らした。下院こそ、共和党がようやく過半数の218議席に到達し多数派を奪還したが、その議席差はわずか9議席だった。

■ 歴代3位の決定票を投じたハリス副大統領

改選前の上院の議席数は民主党と共和党が50議席ずつで分け合っていたため、与野党の議員の投票数が同じだった場合は上院議長を兼ねるハリス副大統領の決定票を合わせ、何とか法案を通してきた。

上院における法案の取り扱いは双方が十分に論議を重ねた上での超党派による合意が理想とされているため、いくら投票数が同じだった場合の措置とはいえ、上院議長たる副大統領が票を投じるのはあまりこの好ましくないとこれまでされてきた。

無党派のオンライン政治百科事典「バロットぺディア」によると、ハリス氏はこれまで26回の決定票を投じているが、これは米史上、最も多く決定票を投じたジョン・カルフーン副大統領(1825~32年)の31回、2位のジョン・アダムス副大統領(1789~97年、後の第二代大統領)の29回に次ぐ、歴代3位の数字という。ただ、これはトランプ前大統領がもたらした負の遺産でもある「分断」が民主、共和両党の歩み寄りを難しくしたゆえの数字ともいえよう。

■ 民主、共和、上院の過半数を巡り激しく争うも減少する討論会数

上院は過半数を巡り、激戦州で激しい選挙戦が繰り広げられた。さぞ民主、共和の候補者による激しい政策を巡る討論が行われたと思いきや、米国のシンクタンク「ブルッキングス研究所」は上院選での候補者による討論会の回数が過去10年間、減少傾向にあるとする報告書を10月10日公表した。(参考:The worrying decline of the Senate candidate debate

最も激しく議席が争われた5激戦州の討論会開催数は2010年の17回から年々減り続け、今回の22年選挙(10月10日現在)で6回にとどまっている。

タウンホールミーティングと呼ばれる地元有権者参加型の討論会は上下両院問わず、米選挙キャンペーンの華だ。候補者にとっては自らの支持者だけでなく、反対の立場を取る人間もいるので時に厳しい質問も浴びせられる。まだ投票先を決めていない有権者は候補者が冷静さを失わず、厳しい質問にもどう応じたかなどをじっくり見、丸裸にされる候補者の全人格像を見極めようとする。

失言などで一気に支持を失う危険性はあるが、有権者と直接触れることができる大事な機会だった。ただ、最近の候補者は討論会自体を有害と捉え始めているという。失言だけでなく発言が切り取られ、ソーシャルメディアに意図しない形で流されるケースが後を絶たないからだ。

加えて、「キャンセル・カルチャーの風潮も候補者を討論会から遠ざける要因の一つになっている」とニューヨーク市在住の民主党支持者は指摘する。主にソーシャルメディア上の過去の言動などを見つけ出し、ターゲットにした人物を排斥する手法だが、学生時代に何気なく書き込んだものまで理由にされることから、候補者は録音、録画されることになる討論会は将来に禍根を残すリスクがあまりに高すぎると参加にこれまで以上に慎重になる。

討論会で相手がルールを守ることを前提にできなくなったのも敬遠される理由だ。2020年の第1回大統領選討論会でトランプ氏は司会の制止を無視し、しきりにバイデン氏の発言を遮った。これに倣い、共和党内のトランプ派の候補は議論そのものを拒否し、従来の規範を破ることこそが政治的美徳と考える。

民主、共和問わず、選挙スタッフたちはリスクが大きい90分の討論会の準備に時間を費やすより、アルゴリズム分析で的を絞って有権者に投票と献金を働きかける方がより効率だと考え始めているという。

■ 公開討論会の伝統も今は昔

米政治の伝統ともいえる候補者同士による公開討論会で最も有名なのは1858年のイリノイ州の上院議員選挙だ。

上院議員を目指すエイブラハム・リンカーンは、現職のスティーブン・A・ダグラス上院議員と奴隷制を巡る一連の伝説的な討論会を繰り広げた。二人の候補者はイリノイ州の各地を回り、時には教会の地下、町の集会所で討論会を重ねた。両候補とも評判は向上した。上院選挙そのものは最終的にダグラスが勝利したが、2年後の1860年の大統領選挙でリンカーンは大統領に選出された。それ以降、公職を目指す候補者は公開討論会をすべしという伝統が根づいたという。

1960年の大統領選には公開討論会にテレビが入る。ジョン・F・ケネディ上院議員(マサチューセッツ州選出)がリチャード・M・ニクソン副大統領との対決した討論会の模様は、全米に放送され、以後、大統領選における必見のテレビ番組となった。そのテレビ討論会すら、候補者たちの消極的な姿勢に将来の存続が危ぶまれている。

米国では討論会は衰退の一途をたどる。討論が選挙プロセスの中核を占めず、候補者が支持者以外の有権者との直接対話を拒否したままで健全な民主主義は果たして保たれるのだろうか?

米大統領のみならず、将来の世界の指導者はソーシャルメディア上の印象だけで、「いいね」の数で決まる。そんな悪夢だけは来ないことを望む。

参考リンク

https://ballotpedia.org/Tie-breaking_votes_cast_by_Kamala_Harris_in_the_U.S._Senate?fbclid=IwAR39VRt2rCODEKZm12W24ElKjdHE-maQpRZnvWAHkJnZAhcSHmwPdBOza70

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