誰もが予想できない人気番組に!伊藤銀次が「イカ天」の審査員になったワケ  「いいとも!!」と(笑)二つ返事で引き受けた審査員

伊藤銀次、イカ天出演までの大きな伏線

銀次の80年代は、なかなか芽が出なかった70年代とはうってかわって、自分自身のアーティスト活動もバリバリに本格的になり、さらに数多くの他のアーティストのアルバムやシングル盤のプロデュース&アレンジの活動や楽曲提供などで、終始多忙な日々を送ることができたが、さらにそれに加えて、多い時は同時に3本のFM番組のパーソナリティーを務めるなど、振り返ってみると、「ホント、よく生きていたなぁ」と思えるほどの忙しさだった。

その多忙だが充実した80年代がまさに終わろうとしていた頃、ひょんなことからあるテレビ番組にレギュラー出演することになった。その番組こそが、あの『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』、通称「イカ天」なのである。

僕がこの番組に出ることになったのは、単なる偶然ではなくて、実は大きな伏線があった。それは、ちょうどその頃、東京を中心に活発になってきていたインディーズ・シーンの盛り上がりだ。これがなかったら、たぶんイカ天には出演していなかったと思う。

たとえば、ラフィン・ノーズやウィラード、ケンジ&トリップス、ザ・コレクターズなどなど、パンク、メタル、ネオ・モッズ、プログレ、スカなど、それまでのメジャーのレコード会社では世に送り出せなかった、自由でアナーキーな表現を持った新しいアーティストたちが次々と人気を博しはじめていた。

聞いた話だけど、そのメッカでもあった新宿のインディーズ専門店に女子高生のファンが多く出入りするようになっているくらいの、アイドル的な盛り上がりを見せているバンドもあったほどだった。

土屋昌巳の降板、審査委員長は萩原健太

もともと僕も “ごまのはえ” というインディーズ的なバンドからスタートしたこともあってか、にわかに興味が湧いてきて、当時、僕がパーソナリティーを務めていたFMの全国ネット、JFNの『FM ナイトストリート』で、毎月第一週に「Go! Go! ゲリラ・ロック」と題した、インディーズ特集をやることにしたのだった。

ゲストとして当時の日本のインディーズ・シーンに詳しいフリーライターの伊藤嘉(あきら)さん(のちに風俗&社会評論家となる松沢呉一さん)が持ち込んでくるアーティストは、どれも刺激的でユニーク。さらに僕の “アーティスト心” は大いなる刺激を受け始めていた。

ちょうどそんな折に、かって1960年代に人気を博した「勝ち抜きエレキ合戦」のような、アマチュア・バンド・コンテストの番組がTBSテレビの深夜に始まり、土屋昌巳君が審査員を務めていたものの、1回か2回くらいで降りちゃって、代わりの審査員を探している―― という話が、僕の当時の所属事務所、アニマルハウスに入ってきた。

聞いた話では、出演バンドのひとつが、生放送なのに、なにやら突然下半身を露出したらしくて、どうも土屋君は勘弁してくれ… ということらしい。マネージャーからその話も含めて聞いたけれど、僕のまわりで吹きまくっていたインディーズ・シーンの風に背中を押された僕は、まったくそれは気にならず、「いいとも!!」と(笑)二つ返事で引き受けることにしたのだった。

そして、僕が初出演したのは1989年4月8日。収録のスタジオに入ると、イカ天審査員のまとめ役、審査委員長の萩原健太さんからはじまって、ずらっとならんだレギュラー審査員席の5番目に僕は座ることとなった。

その後イカ天は、誰も予想できなかったほどの人気番組となるのだが、その面白さの一つとしてこの審査員のユニークな顔ぶれにあったのではないかなと思う。健太さんのお隣には、ロックバンドのコンテストなのに意外にもオペラ歌手の中島啓江さん。どんな荒っぽいパンクバンドがでてきても「正しい発声をするように」とアピールしてたのがなんともおもしろかった。

そして、そのお隣は “タクティシャン” グーフィー森さん。その耳慣れない肩書きのとおり、出演バンドのコンセプトについての温かく、優しいコメントが印象的だった。当時は福山雅治君のプロデューサーでもあった。

イカ天名物、建&銀次の人気コンビ

そして、僕の隣が、ベーシストでプロデューサーでもある吉田建。彼はこの番組での辛口の審査ぶりで人気を博すことになるのだが、実のところ僕と建は、このイカ天での出会いが初めてではなくて、二人は1970年代に「私は泣いています」のヒットでお馴染み、りりィさんのバックバンド “バイバイ・セッション・バンド” のメンバーだった仲。そんなこともあって、僕が1976年に参加した大瀧詠一さんと山下達郎君とのユニットの『ナイアガラ・トライアングル vol.1』では、「幸せにさよなら」などの僕のセッションでベースを弾いてくれている。

そのことをご存じない視聴者のみなさんは、この番組でよく二人が言い合うシーンがあると「仲が悪いのですか?」と思ったみたいだけど、昔からこんな感じでバンド仲間で普通に言い合ってたようなのを番組の中でも見せていただけで、けっして仲が悪いわけではなかった。

その二人が、まさか「建&銀次」というツーショットで印象付けられ人気コンビになるとは、第1回に出演したときには思いもしなかったよ。

さて、この続きは次回のココロだ!!

カタリベ: 伊藤銀次

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