何気ない“日常”を史上最も美しく切り取る 『ケイコ 目を澄ませて』茶一郎レビュー

はじめに

お疲れ様です。もはや毎年の常套句になってしまっていますが、2022年「今年の邦画はすごかった」。「また言っているよコイツ」と。1月の『さがす』から始まりまして、本企画で取り上げた『流浪の月』……『Love Life』……良作揃いの2022年でしたが、個人的には今年の邦画ベストが年末に来たよという…今回『ケイコ 目を澄ませて』。映画を観るという事の根っこにある楽しさを再び思い出させてくれる傑作でした。連載動画企画、映画スクエアpresents「スルー厳禁新作映画」は、映画情報サイト「映画スクエア」ご協力の下、隔月で普段の動画ではご紹介しづらい、都内限定公開や、小規模公開の新作映画を私が一通り観まして「紹介したい」と思った作品をピックアップして動画にするというものです。「スルー厳禁新作映画」の第6回目作品は『ケイコ 目を澄ませて』です。

どんな映画?

『ケイコ 目を澄ませて』は、実在の、聴覚障がいを抱えながらプロボクサーとして活躍した小笠原恵子さんをモデルにした映画です。原案としてクレジットされている恵子さんの半生が書かれた自伝『負けないで!』。本当に勇気をもらえる素晴らしい自伝でしたが、この映画では自伝の最後4分の1のパートのみを物語にしていて、かつ実際の恵子さんを脚色、家族構成を変えたり、時代も2020年、コロナ禍の現代に舞台を変えたり、かなり大胆な脚色をしている映画ですので、原作というよりはやはりクレジットにあるようにあくまで「原案」。あくまでモデルにしたというだけのほぼ劇映画として新しく「恵子さん」から「ケイコ」の物語を作り上げている印象です。

「なぜ自分はボクシングをしているのか?」。プロデビューから2戦目を終え、3戦目の試合が決まっている中、日常を過ごしながらその問いにもがく、聴覚障がいというボクサーにとっては致命的とも言えるハンディキャップを抱えながら生きるケイコの様子を、静かに切り取ったのが本作です。

“音楽”映画としての本作

大袈裟に聞こえると思うんですが、良い映画を観ると、頭が良くなったり、視力が良くなったりと、人間の知覚が進化するような体験をすることがあるんですが、まさしく本作『ケイコ目を澄ませて』を観ている時にそんな「ひとり人類の進化」を体験しました。

冒頭で申し上げた通り、本作は映画を観るという体験の根っこにある快楽を思い出させてくれる映画でした。映画始まると真っ暗な画面の中、シャッシャッシャッと何かを書いている音が聞こえる。直後に主人公ケイコが一人、小さな鏡の前、机に向かってノートを書いている、その音だと分かる。ガリガリッ、コップに入った氷をケイコがかじる音、静かにタイトル『ケイコ 目を澄ませて』。場面は変わって、ケイコが通っているボクシングジムに。古いボクシングジムのトレーニング機材の金属と金属が擦れる音。キーキー、ドンッドンッ、そこからケイコとトレーナーが打撃を打ち合いかわすコンビネーションミットの練習が始まる。ドンッドンッドン。この冒頭から、とんでもない映画始まったなと。

冒頭の環境音、生活音一つ一つが強調され、心地良いリズムを生み出して、まるで音楽映画のような刺激を観客の耳に与える。ケイコとトレーナー、お互いがお互いのジャブ、アクションにリズムに合わせて行うコンビネーションミットはまるでダンスのよう。ケイコを演じる岸井ゆきのさんの鍛えられた肉体、音楽と役者の身体、体技が合わさり、『ケイコ 目を澄ませて』これはミュージカル映画なのか!?と。映画を観るということの根源的な快楽。遮音された静かな空間、良い音響の設備のある映画館という限定的な空間でしか体験し得ない音楽のない音楽体験を、まず観客にジャブする本作の導入ですね。圧倒的な素晴らしさ。自分の知覚が進化したような体験を促します。

劇伴がなく、セリフが少ない反面、冒頭から一貫して、全編で生活音や環境音が強調されていく映画ですが、この演出は一体、何なのか?三宅唱監督のインタビューによれば、「聴者の観客が、普段は当たり前に感じている“音が聞こえる” ということを改めて意識し、またケイコにはこの音が聞こえていないということを意識するような音の設計を考えました」とのこと。ろう者を主人公にした映画でよくある演出、今年アカデミー作品賞を獲得した『Coda コーダ あいのうた』でも最近話題のドラマ『silent』でもしばしばろう者の登場人物の主観描写で、音をミュートにする、環境音や生活音をなくす、とう者の感覚を観客に疑似体験させるような演出がありますが、そういった演出は本作では廃し、逆に“音が聞こえる”ことを意識させる演出をしたと。

これはなるほどと思いました。普段何気なく“聴き”逃している日常の音を観客に強く意識させることで、逆説的に聴覚に障がいを抱えたケイコの苦しみと孤独を強調する、同時にそれはカットとカットのつなぎ合わせ、音と音のつなぎ合わせ、映画が根っこに持っている楽しさを呼び起こすものでした。劇場でしか体験し得ない音を楽しむという意味で、「音楽」映画としての『ケイコ 目を澄ませて』まず驚きました。前のめりになりました。とにかく楽しい。

美しい撮影・映像

日常生活をしていると、つい聞き逃してしまう、見逃してしまう、「普段は当たり前に感じているもの」の素晴らしさ、尊さを『ケイコ 目を澄ませて』は映像的にも教えてくれます。素晴らしい撮影・映像ですね。今回、監督の強い希望で16mmフィルム撮影をしたという事で、スチルでは伝わらない、やはり劇場の大きなスクリーンで映えるフィルム撮影ならではの映像の粒子、三宅唱監督のお得意の闇使い、空間上の黒が際立って美しくフィルムに刻まれている。ちょっと70年代、80年代の邦画を観ているかのような映像です。

でも舞台はコロナ禍の現在で、マスクをしている歩行者が映る、何気ない現代の日常の風景がフィルム撮影によって映画的に美しく刻まれていく、世界はこんなにも美しいんだと。全編の音使い、フィルム撮影もそうです、途中挿入される黒に白字の字幕、サイレント映画的な演出、全てが何か「映画をちゃんと観ているんだ自分は」という感覚を与えてくれます。

ドキュメンタリー要素のない完全フィクションの映画としては監督の前作にあたる『きみの鳥はうたえる』でも、あるコンビニで主人公たちが買い物をするだけの長回しが素晴らしくて、ただのコンビニがこんなに映画的になるのかと舌を巻きましたが、そんな『きみの鳥はうたえる』の佐藤泰志原作映画としての要素、主人公たちの住む土地、街・函館が第二の主役として存在感を放っていたのも思い出しました。

本作『ケイコ 目を澄ませて』でも、ケイコの日常を切り取りながら、やはり東京の下町の街並みが第二の主役として存在感を放っています。ケイコがトレーニングをする、ストレッチをする川。川沿いの土手。電車の鉄道橋が二本並行してあるんですが、ここのロケーションが美しく、日常を過ごしていると絶対に見逃してしまうなんてことのない場所ですが、この二本の鉄道橋が凄まじく美しいんですね。夜、ケイコがこの橋の下を歩くと、橋を通る電車のライトが一定間隔でケイコを照らす、この光の美しさ、これはぜひご覧になって頂きたい。言葉にするとなんて事のないロケーションに聞こえると思うんですが、とびきり美しんです。

全編、ケイコをかなり引きで、ロングショットで捉えた画が多い、それ故にケイコが何とかもがいて生きる東京の街が第二の主役として命を与えられていますね。美しい。ロングショットにすることによる、「ケイコ vs 世界」の構図。この世界で何とか生きている、世界に対して闘いを挑んでいるケイコの孤独な闘いが強調されますし、先ほどの鉄道橋とか画面を横切る電車に対して、ゆっくり登場人物が歩いている様子を映すショットが多いんですよね。この対比もどこか世界が目まぐるしいスピードで駆け抜けている一方、地に足を着けて、ゆっくりと世界をもがいているケイコ、ケイコの通うボクシングジムの会長の人生を際立てている感覚がありました。生活音、環境音だけではなく映像としても、何気ないものをとびきり美しいものとして、尊いものとして描く映画『ケイコ 目を澄ませて』です。

最も美しい日常映画

ここまでくればお分かりの通り、『ケイコ 目を澄ませて』はポスターから予感できるようなスポ根映画、スポーツ映画では決してありません。ケイコが生きる日常を静かに切り取る、ある種、ボクシングはその日常における「痛み」の象徴。本作は女性ボクサーとそのトレーナーの関係性が深く描かれますので、結構、多くの方がイーストウッドの『ミリオンダラー・ベイビー』を思い出すんじゃないかと思います。『ミリオンダラー・ベイビー』の名言というか、名セリフに「ボクシングは全てが逆だ。人は痛みから逃げるが、ボクサーは自分から痛みを求める」というのがあります。そんな痛いことが大嫌いなケイコが挑む日常の「痛み」の象徴としてボクシングというのが、どこか普遍的に描かれているような感覚もありました。

そんな「痛み」に孤独に立ち向かい、時に心を折られ、「なぜ自分はボクシングをするのか」にもがくケイコ。なぜ人は時に「痛み」に立ち向かわなければいけないのかを静かに描く、スポーツ映画ではない、日常映画としての『ケイコ 目を澄ませて』です。ただその一人の「個」の世界だけに焦点がいき過ぎていないというのがこの映画の温かく優しい部分です。この映画の冒頭は主人公ケイコが鏡の前で自分を見ながらトレーニング日記を書いているシーンから始まります。鏡、日記という圧倒的に「個」を強調する小道具ですよね。それこそ分かりやすい例だと『タクシードライバー』でも、そこから派生した『ジョーカー』でも最近の『THEBATMAN ザ・バットマン』でも「日記」とくれば孤独な主人公個人の世界、「個」に観客を導入するモチーフですよ。しかしこの『ケイコ 目を澄ませて』は「個」の世界に染まり過ぎず、その個人の世界を、主人公ケイコの周りにいる社会、ケイコを支える人々の視線から見つめる、そんな温かみ、優しがあるんですよね。

トレーニングジムの会長でも、ケイコの弟でも、ケイコの母親が試合中のケイコを撮ったピンぼけの写真、そして圧倒的に「個」のモチーフであった日記を読むのは、モノローグではありません。その個人、主人公ではなく、ケイコを支える人が日記を読むという、ケイコの孤独な日常と同時に、その周りの人たちを映すことで主人公の日常の周辺に存在する温かみのある社会もしっかり見せているというのが、この『ケイコ 目を澄ませて』の優しくて良い所だなと思いました。決して孤独で冷たくなり過ぎない、温かみもあるバランス感覚も本作の美しい点でした。

どんな人の周りにも味方になってくれる人がいるかもしれない。日常の美しさと、優しさ、特にコロナ禍において、この世界を生きているあらゆる人がケイコと同じように「痛み」を感じたと思うんですが、その「痛み」に耐えながら、ふと見逃していた、聞き逃していた日常の風景、音、“感じ”逃していた優しさを思い出させてくれる。その日常の尊さを感じながら、またケイコも我々も日常を生き続けていくという、史上最も美しい「日常映画」が『ケイコ 目を澄ませて』だったと思います。本当に素晴らしい映画・劇場体験でした。

ということで「スルー厳禁新作映画」、第6回目の作品は『ケイコ 目を澄ませて』でございました。また来年もこの企画「スルー厳禁新作映画」でお会いいたします。良いお年をお迎えください。

【作品情報】
ケイコ 目を澄ませて
2022年12月16日(金)テアトル新宿ほか全国公開
©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS


茶一郎
最新映画を中心に映画の感想・解説動画をYouTubeに投稿している映画レビュアー

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