G7広島サミットまで150日を切りました。岸田総理は、核兵器のない世界へ向け、力強いメッセージを発信したいと力を込めます。原爆の記憶を絵に残し続けている被爆者は、「言葉よりも行動を」と訴えています。
岸田文雄 総理大臣
「G7広島サミットでは核兵器のない世界に向けた力強いメッセージを発信できるよう、議論を深めていきたいと考えている」
11日、サミットの会場候補地で開かれた国際賢人会議で、岸田総理は、あらためてサミットへの意欲を語りました。
会議への出席にあわせて、会場も視察しました。
そのすぐ近くにある宇品港は、1945年8月6日、原爆による負傷者であふれかえっていました。
市内中心部から逃げてきた人たちが力なく横たわります。負傷者は船に乗せられ、似島など各地の救護所に運ばれました。
この絵を描いたのは、広島市に住む尾崎稔さん(90)です。10年以上に渡り、被爆体験や戦前の街並みなどを絵に残し、原爆資料館に寄贈しています。手元にある絵を仕上げると、寄贈した数は100枚を超えます。
尾崎稔さん
「100枚でも200枚でも、わしには関係ない。自分の知っている範囲で、13歳のときに見たり聞いたりしとる範囲で描こういうので描いとるんでね」
尾崎さんは、13歳のとき、学校へ向かう途中で被爆しました。
尾崎稔さん
「ピカって光ったときには、伏せとったんじゃが、もう顔半分やけどしとった」
顔の左半分などに大きなやけどをしましたが、命は助かりました。しかし、母・妹・祖母は今も帰ってきていません。尾崎さんは、顔にケロイドが残りました。
尾崎稔さん
「ここがケロイドじゃった、こう」
自分自身を絵にするとき、顔の左半分は真っ赤に塗ります。先月、取りかかった絵には、戦後、抱えていた苦悩が描かれていました。
尾崎稔さん
「人の前に出たら、顔のこと、みんなが顔を見よると思うんじゃな、頭の中じゃ。しゃべれんのんよ。だんだん、しゃべれんようになった」
列車に乗るときも顔を見られないように座り、人前に出ることも嫌だったといいます。
高校に進学し、ボクシングを始めたといいますが…。
尾崎稔さん
「殴り合って、ここ、つぶしてもらえりゃ、ちいたぁ傷が見えんようになるかのと思ってボクシングをやったわけよね」
そんな尾崎さんを変えたのは、高校の先生でした。その先生は、レイテ沖海戦で撃墜され、顔半分に大きなやけどのあとが残っていました。
それでも堂々としている姿を見て、尾崎さんの気持ちも次第に変化していきました。
尾崎稔さん
「だんだん人の前に出ても、見られても、強くなってきた。だんだん気持ちがね」
原爆の絵を描き始めたのは、77歳のとき。孫から絵の具をもらったことがきっかけでした。
資料館への寄贈は、年に数枚程度でしたが、数年前から突然、そのペースが上がりました。
原爆資料館 学芸課 高橋佳代さん
― これが去年度の一年で?
「そうですね。全部で32枚あります」
「この10年と同じ枚数分をこの1年でくださいました。その枚数もそうですけど、何かあせっているような、そういう感じは見受けられました」
このときのことを尾崎さんは、こう振り返っていました。
尾崎稔さん(90)
「やっぱりね、80代の最後のときに女房が死んだ。あくる年に弟が死んだ。あせるいわいの、今度はわしじゃと。よし、描くだけ早く描こう」
原爆で失った家族や友人…。つらい記憶も絵にしていきました。
尾崎稔さん
「思い出したくないぐらいのもんでも、描くものは描かないと。わしは、そう思うとる。ちぃとでも、みんなのためになるんなら、ちょっとの絵でも残しとこうと」
サミットでは、各国の首脳が原爆慰霊碑に献花したり、原爆資料館を視察したりするよう求める声があります。
尾崎さんは、今の平和公園のほど近く、中島新町で幼少期を過ごしました。
これは、戦前の中島新町とそこで暮らす人たちを描いたものです。原爆によって失われた町や日常を知ってほしい…。尾崎さんの思いが込められています。
尾崎さんの絵を見続けてきている資料館の高橋さんは…。
原爆資料館 学芸課 高橋佳代さん
「今は原爆で消えてしまった街に本当に尾崎さんが消えてしまった命を戻してやっているというか、そういう意味で尾崎さんにしか描けない絵なんだなと思いますね」
来月には91歳になる尾崎さん。核兵器を盾にウクライナに侵攻するロシア、核兵器の削減すら進まない現状に危機感を覚えています。そうした中、被爆地でサミット開催を迎えます。
尾崎稔さん
「1つでも2つでもええけぇ、今あるものから、無いようにしていかにゃあ。そういうことを実行していかんと地球はもたん。わしはそう思っている」
核兵器廃絶へ求めるものは、言葉ではなく、行動です。
― 来年5月のG7広島サミットで、政府は、首脳会議場をグランドプリンスホテル広島(広島・南区)に決定しました。
― 広島市内には原爆の記憶がいたるところにあります。そういうところにも各国の首脳含めて思いをはせてほしい。最近では集大成のような絵が多かったという尾崎さんですが、今、手元には描きかけのものも含めて10枚近くあります。まだまだ伝えたいことがたくさんあるということなので、これからも取材を続けていきます。