女児が天国へ…やっと父に会える直前、電車で 世界で咲くバラじつは女児の名 駅で待ち続けた父、蘇る実話

バラ「のぞみ」。ヨーロッパの気候では長期間咲くため、世界中で人気だという(小野寺達さん提供)

 あと2時間で生き別れた父親に会えるはずだったのに、引き揚げ列車の中で一人亡くなった幼い女の子。死を悼んだ埼玉県さいたま市の伯父は、自分で作ったバラに「のぞみ」と女児の名を付け、現在、世界中に広まっている―。戦争に日常を奪われた子どもの実話から着想した絵本「バラになったのぞみ」(熊日出版)を、熊本市の中学校教諭、小川留里さん(63)が刊行した。小川さんは「ロシア侵攻に苦しむウクライナと、当時の日本の姿が重なる。平和の大切さを伝えたい」と語る。女児は今、さいたま市緑区の墓に眠る。

 本の主人公であるのぞみちゃんは、父・今井献さん(2007年96歳で死去)が南太平洋に出征中、生まれた。1943年ごろ、母純子さんに連れられ、今井さんの実家がある満州(現中国北東部)へと渡り、祖母と暮らしていた。終戦後、ソ連の侵攻で祖母、母親を亡くす。

 3歳か4歳だったのぞみちゃんは、2人の遺骨を持ち、47年ごろ、一人で帰国。迎えにいった今井さんは品川駅で列車を待つも、のぞみちゃんは到着の2時間前に亡くなる。この時、今井さんと共にいたのが、純子さんの兄で、さいたま市に住んでいた伯父の小野寺透さん(2003年に89歳で死去)。元埼玉大教授でバラ育種家の小野寺さんは68年、初めて作出した淡いピンクのバラに「のぞみ」と付けた。

 小川さんがこの実話を知ったのは20年以上前。当時、勤務した市立中学校で花の栽培指導を受けていた熊本ばら会会長(当時)が、小野寺さんと手紙で交流していた縁で、知ったという。社会科教諭の小川さんは、戦争体験の聞き取りなど平和教育に力を入れてきた。けれど近年、語り部の減少を実感。戦争や引き揚げ体験を継承しようと絵本を制作した。

 絵本では、幼児もつらい旅を強いられる様子や、遺体になったわが子を抱き締める父親が描かれ、戦争のリアルを伝える。のぞみちゃんがどのように引き揚げてきたのか、死因など詳しいことは不明。小川さんは「栄養失調で亡くなったのだと思う。戦争は兵士が死ぬだけでなく、飢えや病気で命を落とす人も多い。絶対してはいけないのに、21世紀の今も続いている」。

 「のぞみの話が親族を離れ、平和を求める人たちによって広められている」と話すのは小野寺さんの次男で東松山聖ルカ教会(東松山市)の牧師・達(いたる)さん(72)。いとこが絵本になったことを出版後、偶然に知り、驚いた。戦後生まれのため、のぞみちゃんに会ったことはないが、さいたま市の実家にあった、ひつぎの中で花に囲まれる遺影を覚えている。生前の小野寺さんは多くを語らなかったが、バラに秘めた悲しい思い出について、バラ愛好家団体の会報などにつづっていた。「最初の作出花に忘れ得ぬ“のぞみ”という名前を付けた」という文章が残っており、バラに平和への希望を託したことが分かる。

 小川さんは「のぞみちゃんのような思いをする子をなくしたい。多くの人に知ってほしい」と話した。「バラになったのぞみ」は1320円(税込み)。

「バラになったのぞみ」を持つ作者の小川留里さん
バラに「のぞみ」と命名した小野寺透さんの次男・達さん(東松山市内)

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