平成生まれもビックリ!スゴいデビューを飾った新人たち【80年代アイドル総選挙】  あなたの1票で80年代ベストアイドルが決まる!

華々しく光り輝く80年代アイドル

この度「80年代アイドル総選挙 ザ・ベスト100」のアンバサダーのひとりとして就任させていただきましたアンチエイジ徳泉です。僕にとっての80年代の女性アイドルはやはり、華々しく光り輝く存在。

やはりその中で、どの芸能のジャンルにおいても肝心要なのが、方向性が決まるデビュー曲や最初のプロモーションですが、デビューから順調なアイドルもいれば、最初から奇抜な設定での活動に徹したアイドルも少なくありません。

今回は、後追いである平成生まれの私が驚いた「スゴいデビューを飾った80年代女性アイドルベストテン」を発表したいと思います。

第10位:長山洋子

今は誰もが知る大物演歌歌手! しかしデビューはアイドル歌手!
デビュー曲:春はSA・RA SA・RA
リリース日:1984年4月1日

現在では演歌界では知らない方はいないほどの大物ではありますが、実は元々デビューはアイドル歌手。小さいころから民謡を父から習っていたこともあり、最初は演歌歌手としてデビューする予定だった。しかし「16歳の長山にはまだ演歌は早すぎる」という事務所スタッフの見解により、急遽アイドル路線に変更となりこの曲でデビューし、後に黛ジュンのカバー「雲にのりたい」、ショキングブルーのカバー「ヴィーナス」がスマッシュヒットを遂げ、アイドルとしての功績も残し90年代からは念願の演歌での活動に変更し成功。現在に至っています。

第9位:中山忍

姉の見送りの際に、事務所からのスカウトでデビュー。
デビュー曲:小さな決心
リリース日:1988年11月2日

ご存じの方も多いですが姉はすでにアイドルとして活躍してた中山美穂さん、姉の美穂を家族と共に成田空港へ見送りに来ていた時に、美穂の事務所スタッフの目にとまり、スカウトをされるものの、中山忍さんの中で戸惑いがあったが「20歳までやってみて、芽が出なかったら辞めたらいい」との母の言葉に背中を押され、デビューを決めたという。

第8位:伊藤つかさ

14歳でレコードデビューの “金八出身” アイドル。
デビュー曲:少女人形
リリース日:1981年9月1日

1980年にTBS『3年B組金八先生 第2シリーズ』でクラスのアイドル的女子生徒・赤上近子役を演じ人気を博しました。かわいい八重歯が特徴的であり、後に南こうせつが作曲した「少女人形」でレコードデビューを果たします。ただ当時の生放送の音楽番組が多い中だったのもあり、労働基準法の問題でほとんどの音楽番組には出演ができない事態が多かった。

第7位:Wikn

史上初の笑わないアイドル!? それが狙いなのか? 自然体か?
デビュー曲:Sugar Baby Love
リリース日:1988年4月27日

イギリスのバンド “ルベッツ” 1974年の楽曲をカバー。ご存じだとは思いますが、Winkといえば歌唱の際は一切笑みを浮かばせず無表情で淡々とこなすイメージがあると思います。この曲のころはミュージックビデオや数少ないテレビ出演での歌唱の際の表情はやや笑み浮かべる場面が多々見受けられました。

ただ他のアイドル歌手と比べると少ないのは事実ではありますが、相田翔子曰く「当時緊張のあまり、アイドルスマイルがうまくいかず、事務所の社長にも怒られる始末」と語っており、それを逆手にとり、笑わないアイドルとして成立させたそうです。

第6位:ニャンギラス

テレビ初披露の場で、まさかの音程外し! 幸先不安のデビュー曲。
デビュー曲:私は里歌ちゃん
リリース日:1986年4月1日

おニャン子クラブの中でも色物キャラであった立見里歌、樹原亜紀、名越美香、白石麻子の4人がメンバーとなって結成された派生ユニット。この曲が初披露されたフジテレビ『夕やけニャンニャン』でこの曲のセンターでもありこの曲名の名前が使われている立見里歌は冒頭の歌い出しで、だれが聴いてもわかるレベルの音程を外し、他のメンバーは総ズッコケ。

何を隠そう立見里歌は自他ともに認める音痴なのである、しかし後にプロデューサーの秋元康は「(立見は)強烈に歌が下手で、それを逆に活かそうということで発売した曲」と語っており、思惑が見事に当たりオリコン初週で1位を記録した。

第5位:松本伊代

デビュー曲の歌詞に自身の名前が!? 本人は困惑!
デビュー曲:センチメンタル・ジャーニー
リリース日:1981年10月21日

最初は原宿でスカウトされた後に、TBS系列で放送されていた『たのきん全力投球!』の田原俊彦の妹役オーディションに合格。「田原俊彦の妹」というキャッチコピーでデビューを飾ります。この「センチメンタル・ジャーニー」の歌詞を受け取ってみた際は自分の名前が歌詞に織り込まれてることに困惑していたが、作曲を手掛けた筒美京平のレッスンにより、松本伊代は違和感なく歌えたと語っている。しかし、この歌詞はNHKの音楽番組では歌唱の際に「私まだ、16だから」に余儀なく変更され歌われた。理由は個人名の宣伝になってしまうからである。

第4位:スターボー

元祖異星人キャラ! このデビューシングルしか見れなかった設定!
デビュー曲:ハートブレイク太陽族
リリース日:1982年7月7日

僕が知っている以上、設定モノのアイドル歌手はこのスターボーが元祖ではないのでしょうか? 太陽系第10惑星「スターボー」から脱出し、地球に「A・I(愛)」を伝えるためにやってきた性別不明の3人組アイドル、作曲はYMOの細野晴臣ということもあり、宇宙的なコスチュームで髪型もテクノカット、曲調もテクノポップを意識するも売り上げは振るわず。2枚目の「たんぽぽ畑をつかまえて」では服装も髪型も正統派アイドルにイメチェンされ、本来の姿に戻れたとメンバーは語っている。

第3位:工藤静香

紆余曲折ありながら、おニャン子活動中に最後のソロデビューを果たした。
デビュー曲:禁断のテレパシー
リリース日:1987年8月31日

工藤静香さんは最初は1984年『第3回ミス・セブンティーンコンテスト』の特別賞を受賞し、その中で3人組となる “セブンティーンクラブ” を結成、レコードデビューするもシングル2枚目で解散。1986年にフジテレビ『夕やけニャンニャン』のオーディションに合格。後に「バカキャラ」「ヤンキーキャラ」で頭角を現し、おニャン子の派生ユニット “うしろ髪ひかれ隊” にも抜擢。そして、おニャン子クラブ活動中に最後のソロデビューを果たし、『夕やけニャンニャン』の最終回が放送された日に「禁断のテレパシー」を発売した。

第2位:セイントフォー

多額のプロモーション費に、あの大物歌手がプロデュースに参加した元祖アクロバティックアイドル。
デビュー曲:不思議Tokyoシンデレラ
リリース日:1984年11月5日発売

1982年『あなたもスターに!』というプロダクションのダイレクトメールに応募した人達で、なんと2年にも及ぶトレーニング期間を経て、選抜された4名で1984年に結成。バレエのレッスンに着用されるレオタードに身を包み、激しいダンスはもとより、間奏で見せる側転やバク転、バク宙はアイドル界のみならず音楽界に大きなインパクトを与えた。セイントフォーのプロデュースにはあの大物歌手、橋幸夫が携わっていたとの話も。しかし、後にレコード会社との契約問題などで活動に拗れが生じ、約2年で解散。

第1位:小泉今日子

デビューシングル、セカンドシングルはカバー曲に挑戦。圧倒的歌唱力と存在感。
デビュー曲:私の16才
リリース日:1982年3月21日

1981年に参加した日本テレビ系列のオーディション番組『スター誕生!』にて見事合格。それを受け翌82年にデビュー。このデビュー曲「私の16才」は実は元々は1979年4月25日に発売された森まどかのシングル「ねえ・ねえ・ねえ」のカバー曲なんですね。そして2枚目のシングル「素敵なラブリーボーイ」は1975年9月10日に発売された林寛子のシングルのカバー曲。

パッとみると、単なる使いまわしでは? と勘違いをしてしまいそうですが、これは当時の制作ディレクターだった高橋隆氏が洋楽のディスコ的な楽曲をやりたく、あくまで見本楽曲としてこの「ねえ・ねえ・ねえ」を聴いた際に「これをやる」と即決。小泉用のキーに修正し楽曲は制作されたのです。つまり、どんな曲を歌わせてもサマになるだろう―― という先見の明で選ばれたのではないでしょうか?

―― 80年代には、様々な女性アイドルがいたものですが、このコラムはあくまでも参考に過ぎません。今回の80年代アイドル総選挙は200組のエントリーがあるのでぜひ皆様にもじっくり考えてあの頃に思いを馳せたり、平成生まれの皆様も新たなアイドルの出会いがあるかもしれないので、是非とも投票のほどよろしくお願いします。

※まだまだ投票期間中です。あなたの一票が80年代アイドルの地図を塗り替えるかもしれない。「80年代アイドル総選挙」で検索!

カタリベ: アンチエイジ徳泉

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