“新しく”も“古臭い” 圧倒的な映像革命 『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』茶一郎レビュー

はじめに

お疲れ様です。今週の新作『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』は、間違いなくこれが映像表現の最新、最高の到達点、「狂っている…」もはや狂気とすら思える驚異的な映像で表現された映像世界で、キャメロン作品含め80~90年代のアクション大作的展開を繰り広げる圧倒的な“新しさ”と“古さ”とが奇妙に同居している一本でした。この度、ディズニー様より完成披露試写にご招待頂き、実費でも公開初日に、計2回観てまいりました。今週の新作『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(以下、『WoW』)です。

基本設定 - 『アバター』のネタバレあり

2009年、数々の記録を塗り替えました『アバター』13年ぶりの続編ということで、当然、前作『アバター』のネタバレを含んでしまうこと、ご了承ください。戦争の傷で下半身不随になってしまった主人公ジェイク・サリーが、希少な鉱物を埋蔵している惑星パンドラの先住民族ナヴィ族の体=アバターを得て、そのナヴィ族を率いる英雄になっていくという1作目『アバター』。本作では再び地球人がパンドラを侵略。ナヴィ族の一員として家庭を築いたジェイクは、森から海へ、海の部族メトケイナ族の元へ一家で逃げるという『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』基本の設定でございます。

圧倒的な映像体験

まず冒頭から目を見張る映像スケールの大きさで、僕が良いなぁと思ったのは人類がパンドラに侵略のために再び降り立ってくるシーン。地球人が乗る宇宙船が惑星の地面に対して垂直で、直立になって、エンジンの噴射で大気圏とパンドラの森、自然を燃やし尽くしていくという。前作『アバター』は、僕も小さかったので、全然、SFロボット萌えを感じなかったんですが、今回はこの絶望感と宇宙船のデザインに萌え。不謹慎ながら、地獄の業火の美しさ、何かキャメロンの「おれの考えたさいきょうの『スター・ウォーズ』冒頭感」「スターデストロイヤー感」というか。冒頭からちょっと心掴まれてしまいましたね。

水を楽しむ映画

ここからは予告にありましたメトケイナ族、海の部族の海の村に舞台を移動しますが、本作『WoW』は「水」が主役と言っても過言ではない、エンタメ大作初の「水」を観にいく映画という事で、アドベンチャーラグーン、スパリゾートハワイアンズとかと比較されるべき「水」を楽しむ映画です。

これからご覧になる方は「水」を観ると思ってチケットをご購入頂ければと思いますが。監督ジェームズ・キャメロンとしては、『アビス』で行った水中撮影、『アビス』で表現した水の触手、液体という意味では『ターミネーター2』の液体金属T-1000、『タイタニック』の巨大なセットで行った水難、海難パニック描写、この集大成としての本作『WoW』の海・水描写。現実の水より「水」なスクリーンに映る水飛沫、海面のきらめき。本作観た後、家に帰って水を飲もうと蛇口を捻って水道水をコップに入れた時に「何か?現実の水、水っぽくなくない?」と認知のバグが起こりましたが、これが4億ドルで作られた「水」の凄みですね。

何より今回、モーションキャプチャーを水中で行うことに成功したと。ジェームズ・キャメロンと言えば毎作品、作品を作るごとに何かしら映像技術をアップデートしてきた監督ですが、本作は特にこの水中モーションキャプチャー、俳優を実際に水の中に潜らせて演技させ、それがアバターになって映像に残ると。「シガニー・ウィーバーが6分30秒、ケイト・ウィンスレットが7分14秒の水中息止めに成功した」という、制作中、おおよそ映画のニュースとは思えない見出しが印象に残っております。

本作の撮影監督は1作目のマウロ・フォオーレから『タイタニック』のラッセル・カーペンターがキャメロン作品にカムバックしていますね。撮影監督の配置も含め『タイタニック2』もしくは『アビス2』と言うべき水中撮影映画、もう予告の段階からそうでしたが脳の理解が追いつかないレベルの映像になっていまして、水中のCG/VFXと言えば『アクアマン』か最近の『ブラックパンサー:ワカンダ・フォーエバー』」の髪の毛がボワーっと浮いているだけのイメージで、観客側が「これは水中だよね」?と、歩み寄らないといけない表現の出来だと思うんですが、本作で観客の水描写リテラシーは一気に底上げされましたね。

ナヴィ族が水中を泳いでいる時の浮力、海から上がった時に皮膚についている水滴、まぁ狂っているとしか言えない恐ろしい出来ですよ。当然、モーションキャプチャーの技術も向上していて、若干、重力が不自然だった前作とは一変して、2回観ただけではナヴィ族の動きに不自然が全く感じられず、また表情も生々しく映像に残っていて、これも凄い映像だなと。本作はネイティリの表情、演じたゾーイ・サルダナがかなり激しい感情表現をするんですが、ほぼそのまま俳優の表情がナヴィ族のVFXとしてスクリーンに刻まれているような、本当に実写と何が違うのかよく分からないという、頭が混乱する映像の出来に感じました。

また海、水は3D上映との相性も良いなと思いました。前作『アバター』では3D表現を「スクリーンを飛び出してくるもの」ではなく「スクリーンに奥行きを与えるもの」として、スクリーンをその「平面であること」から解放して、スクリーンの奥に広がる異星の世界を表現するための奥行き表現として3Dを活用した訳ですが、当然、これは海とも相性が悪い訳がなく、ずーっと画面の奥まで広がる海の底、海中の奥行きを強調して、逆に海中から海面を見上げたショットでは海面というレイヤーが3Dによって強調されて一気に映像が豊かになるという、撮影からVFX/CG、3D表現、全てが「水」をいかにして「水」に見せるのかということに見事にハマっていて、この「水より水」という『WoW』です。

本作そして前作も、過去のキャメロン作品同様、主人公の語り、モノローグが物語に軸にあって、ジェイクがサイト26という所でビデオの記録にこう残すんですね「今、何もかが逆転しているように感じる…まるで外に広がっているのが現実で(つまりパンドラの世界の方が現実で)ここにあるもの、人間世界の方が夢に見える」、前作の段階でも十分、そういった錯覚を観客に起こすほどに今見ても遜色ない見事な映像を体験できましたが、いよいよ本作においてこのジェイクの言っていることが「その通りだよな、ジェイク」と。このスクリーンの中で起きていることが現実でなければ、何が現実なのか?そんな錯覚を強く観客に引き起こす「水」「海」「水」。最高の映像体験を堪能できる『アバター:WoW』だったと思います。

世界観の拡張

美点である世界観の拡張。特に主人公一家が海の部族を訪れてから、かなり丁寧にこの部族の生活を見せてくれます。とても序盤からテンポよく進む本作ですが、ここにきてとてもゆっくり海の世界を見せますね。個人的に「アバター」シリーズに望んでいるのは、派手なアクションより惑星パンドラの世界観なので、アクション大作を観に来た方は「何でこんなナショナルジオグラフィックみたいなものを見せられなきゃいかんのだ」と思うのかもしれませんが、僕は大好きでした。

ジェームズ・キャメロンが映画制作から離れて、海洋・海中冒険家として活動されている様子は、ドキュメンタリー『ジェームズ・キャメロン 深海への挑戦』を筆頭に我々も目撃できます。実際、1作目『アバター』で登場した生き物は深海の生物をモチーフにしているというのは有名です。その延長線上としての本作は、キャメロンの頭の中で作られた世界ですが、キャメロンと一緒に海の世界を冒険して、海の自然を観察するような体験も与えます。

特に重要なキャラクターが本作で初めて登場するキリという少女で、まさかのシガニー・ウィーバーが14歳のこのキリを演じると、これも驚きですが、前作で登場した、これまたシガニー・ウィーバー演じたグレース博士のアバターの子どもというこのキリ。地球人とナヴィ族との混血でありながら、何故か強くエイワ、惑星パンドラの自然と調和をする重要なキャラクターでした。キリの父親は誰なのか?という謎を残しつつ、ある種、処女懐胎的な出産によって生まれて、パンドラの神と深くつながっているキリは、明かにキリストのモチーフですよね。ただ「アバター」シリーズにおけるキリストは女性であるという…この辺りはずっと女性キャラクター、女性ヒーローを描き続けてきたキャメロンらしい設定です。

キャメロン曰くグレース博士は自分自身の投影であるということですが、先ほど名前を挙げたドキュメンタリー『ジェームズ・キャメロン 深海への挑戦』では幼少期のキャメロンが強く、深海、海へ興味を持ったということが語られます、どこか海の部族・メトケイナ族を差し置いて、強く海に興味を持ち、海と、自然と共鳴するキリはキリストであり、幼少期のキャメロンのこれまた投影なのかなとも思いました。今後のシリーズで間違いなく重要なキャラクターになるということでしょう。

前作『アバター』で登場した深海の生物をモチーフにしたクリーチャーたち、生き物はかなり地球の動物をデフォルメしたデザインでしたが、本作で登場する海の生物はほとんど現実の生物と一緒でしたね。特に予告でも印象的だったトゥルカンは、ほぼ現実のトサカの生えたクジラといった感じで、その現実の生物に近いデザインが故に物凄く本作は直接的に「海洋生物の保護」もしくは超直接的な「反捕鯨」ですね。キャメロン自身がそういった保護活動のアクティビストですが、自然保護のメッセージを観客に伝えるようにデザインされていました。これも書籍、名著でした「SF映画術」でキャメロン自身が『WoW』公開前に本作についてこう言っています「人類により良き存在になるべく道を示すという目的は(中略)『アバター』続編の意図でもある」と、ここで語っていたキャメロンのエコロジー思想がトゥルカン周りの描写に強く出ていたと思います。

物語について

素晴らしい映像!映像がすごい!映像!映像!ここまで異常なほどに物語に触れずに、作品をまとめてきたんですが、おおよそ鑑賞料金の3倍、4倍、5倍ほどの価値がある映像体験の一方、物語は平凡なものだったと思います。まぁ『アバター』に斬新な物語を求めている観客が果たしているのか?というのは疑問ですが、前作、1作目『アバター』も物語はあってないようなもので、これは多くの方がご指摘するように、いわゆる「白人酋長モノ」でしたね。白人ないしは文面人が、白人目線では野蛮人だと思われていた先住民族を助けて、そのリーダー、白人酋長になっていくという、傲慢でありきたりな型。『ダンス・ウィズ・ウルブズ』でもいいですし、日本人としては侍、我々を野蛮人とした『ラスト サムライ』という苦い作品もありましたが…その型を踏襲した、ありきたりで古臭い物語だった。

本作『WoW』の物語は何かというと、動画冒頭でも言いました80年代、90年代のキャメロンのアクション大作ですね。特に僕は『ターミネーター』を想起しました。圧倒的な悪役がしつこくしつこく主人公を追いかけてくる、追われる・追う・追われるアクションと、本作『WoW』においては前作でもラスボスだったクオリッチ大佐、死んだはずのクオリッチ大佐が何故かアバターの姿で主人公一家を復讐のために追いかけてくると。『ターミネーター』でしょう。このT-800もしくはT-1000的クオリッチ大佐が主人公一家をしつこく追って、誰かを捕まえて、解放され、捕まえて、解放され、捕まえて、解放され、この反復が本作の物語になっています。

かなり平坦ですが、見せ場の多さはサービス精神があって、僕は楽しんで観ました。もっと全然、つまらなくしても映像で元が取れるから良いのにと思ってしまいましたね。この本作『WoW』の物語のある種の派手さと雑さは、昨今の作品だと『モービウス』とか『ブラックアダム』とかと比較してもいい、キャメロン作品では『トゥルーライズ』に近い雰囲気を感じますね。『トゥルーライズ』もスパイアクションですが、「007」とは違って夫婦、家族が描かれる、そして妻が敵に捕まって、それを助けて、助けたと思ったら、今度も娘も捕まって、またそれを助けに行く、キャメロン作品「追われがち」「捕まりがち」というのはありますが、『トゥルーライズ』的雑な大味感が冒頭で申し上げた、本作の「80~90年代のアクション大作的展開を繰り広げる“古臭さ”」だと思いました。

捕まって、解放して、捕って、解放して、何回、捕まるんだよと、また同じことやっているよという、子供はしばしばサスペンスのフックになりがちですが、何度も捕まる、子供がロクなことをしないアクション映画でした。ただとても良いキャラクターだったのがサリーの次男ロアクで、完璧な兄を持つ反動で自身を「はぐれもの」だと、親への反抗をしてしまう、それ故に「捕まってしまう」という事もありましたが、このロアクの次男としての造形は、前作におけるやはり研究者として優れた兄を持っていた一方、周りから良い扱いを受けない主人公サリーと重なる点もあって、ロアクのキャラクターの物語が、異常なほどの「捕まる・解放」反復への不自然さを最小限のものにしていたと思います。ロアク、大好きなキャラでした。

重ねて、『ターミネーター』のT-800同様、影の主役であるクオリッチ大佐と主人公の、本作は「父の物語」でもあるということですよね。キャメロン作品的には『エイリアン2』で、擬似的な母親として母性として目覚めるシガニー・ウィーバー演じる主人公とエイリアンの母であるクイーン・エイリアンが対峙する「母VS母」の映画が『エイリアン2』でしたが、あ。そういえば『エイリアン2』でも少女が捕まっていましたね。「捕まりがち」と。その『エイリアン2』の父親版として本作を構築している、意図的なのか、脚本に時間を割けなかったのか、物凄く過去のキャメロン作品的な要素をセルフリメイクみたいな物語だなと感じました。

この“古臭い”大味感は嫌いではなくて、実際、結構、僕は楽しんで観たのですが、描かれる父親観、家族観はどうしてもノイズで、とにかく主人公ジェイク・サリーが「父は守るものだ」と父親は強くあって、家族を守るべきだと終始、自分に言い続けている訳ですね。昨今、特に2019年からアメリカ映画は「男らしさの終焉」「男性の生きづらさ」「有害な男性性」を描き続けてきて、あの『トップガン』でさえ、最新作『トップガン マーヴェリック』でトム・クルーズ自らの老いを認めて男性性から脱却を見せていたのに、まだこんなこと言っているの?と、ちょっと「男性性」「父性」に囚われているジェイクは魅力的に思えなくて、序盤で確かに妻のネイティリがサリーの父親の振る舞いに疑問を持つというシーンはあるんですが、そういった父性に囚われているサリーへの客観的な視点は最後には完全に消えて無くなっていて哀れに見えてしまいましたね。まだこんなこと言っているの?という、物語の価値観も80年代から持ってきてしまっている。前作の「白人酋長モノ」から引き続き、物語で描かれることの古臭さがとても印象的な続編になってしまったと思います。

色々と思ったことを言ってしまいましたが、『ターミネーター』から「追う・追われる物語」、『エイリアン2』から「親同士の対峙」、『アビス』からは深海の神秘、『トゥルーライズ』からは家族の物語と何度も捕まる家族、『タイタニック』からは閉鎖空間での水難パニック描写、凄くキャメロン作品のつまみ食い、ベスト盤のような物語を見出すことができる『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』だったと思います。

まとめ

とにかく「水」「海」堂々たる「水」描写、狂っているという表現しかできない夢か?現実か?混乱する映像の出来、この“新しさ”、物語は“古く”大味、描かれる父親観も“古い”。この“新しさ”と“古さ”が同居している素晴らしくも奇妙な映画体験でした。『ターミネーター』の主人公が運命のようなものから追われ続ける、しかし逃げていてばかりではダメだと。『エイリアン2』、『ターミネーター2』は運命を自ら切り拓こうとする。

次回作はどうなるんでしょうかね?まさかナヴィ族が地球に行くとかそんな展開も予想されますね。観てみたい。キャメロン的には『アバター5』までは制作をしていて、『7』まで作るなんてお話も出ていますね。もうこのまま狂気の道を突き進んでくれ、キャメロンと。2020年からのコロナ禍における映画興行は悲惨なもので、映画館から離れてしまったお客さんも多いかと思いますが、本作しかり、名前を挙げた『トップガン マーヴェリック』しかり、映画館で、大きなスクリーンで、IMAX3Dという自宅では体験できない映画体験を与えてくれる2022年の締めくくりにふさわしい映画に本作『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』がなっているんじゃないかなと思います。『トップガン マーヴェリック』と並んで、コロナ禍に映画反撃を仕掛けた年として、2022年で印象深い一本となりました。映画は復活できるのか?今週の新作『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』でした。

【作品情報】
アバター:ウェイ・オブ・ウォーター
2022年12月16日(金)公開
© 2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.


茶一郎
最新映画を中心に映画の感想・解説動画をYouTubeに投稿している映画レビュアー

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