新日本プロレス伝説の〝熊本旅館破壊事件〟を証言「古舘さんはいなかった」田中ケロ氏が語る

新日本プロレスのリングアナウンサーを務めていた田中ケロ氏(63)が、10月1日に79歳で死去したアントニオ猪木さんの思い出を振り返り、マット界の伝説となっている新日本プロレスの「熊本旅館破壊事件」について語った。

1987年(昭和62)1月23日、新日本プロレスの巡業先だった熊本県水俣市の旅館で、新日本プロレス本隊と前田日明率いるUWFとの親睦を図る宴会が同市体育館での興行後に開かれた。酒宴が進むにつれ、酔ったレスラーたちが乱闘を始め旅館を破壊。新日本が多額の弁償金を支払った…というもの。

「ワールドプロレスリング」の実況アナだった古舘伊知郎が、フジテレビ系「人志松本のすべらない話」でエピソードを披露。プロレスファンだけでなく一般にも広まった。古舘は後に宴会には出席していなかったことを明かしているが、証言者によって「古舘さんはいた」と語るなど、話が食い違う。

宴会に出席しながらも、当時酒があまり飲めなかったこともあってか「途中で部屋に逃げ帰りました」としたケロ氏は「古舘さんはいなかった。水俣大会はテレビ中継がなかったので、そもそも来ていないはず」と〝古舘不在説〟を支持する。

「当時、巡業先の旅館でちゃんこ大会がよく開かれていて、UWFを呼ぼうということになった。藤原(喜明)さんが作ったスープをみんながトイレに吐いて詰まって、階段を通じて下の階に水が流れてきた」と振り返る。

翌朝、旅館の従業員とともに、壊された箇所をチェックしたというケロ氏は「ドアが外され、壁に穴があいていた。後藤(達俊)さんが突きの練習をしたり、引けば開くドアを取り外していたり。会社(新日本)が(弁償金を)払った」とした。印象に残っているのは早朝、風呂場からランニングをしている猪木さんの姿が見えたことだという。

ケロ氏は「みんな記憶が変わっているところや、オーバーに言っているところもある」と、36年たっても話が盛られ続ける〝破壊事件〟を思い返した。

(よろず~ニュース・杉田 康人)

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