美味しさを喜べる嚥下食を実現/「嚥下食工房 七日屋」所長・牟田園満佐子さん

西日本新聞社北九州本社が制作するラジオ番組「ファンファン北九州」。地元新聞社ならではのディープな情報&北九州の魅力を紹介しています。ラジオを聞き逃した人のために、放送された番組の内容を『北九州ノコト』で振り返ります。

嚥下食とは

甲木:おはようございます。西日本新聞社 ナビゲーターの甲木正子です。

梁:同じく、西日本新聞社の梁京燮です。

甲木:梁さん、嚥下食(えんげしょく)という言葉を、聞いたことはありますか。

梁:よく分からないです。

甲木:私は父親の介護をしていたときに、誤嚥性肺炎(食べ物が食道ではなく気管に入ってしまう症状)になるというところで、この言葉を知っていたんですけれども、今日はその嚥下食のプロをお招きしています。八幡東区西本町にある「嚥下食工房 七日屋」 所長の牟田園満佐子さんです。よろしくお願いします。

梁:よろしくお願いします。

牟田園:よろしくお願いします。

甲木:先ほども申し上げた嚥下食ですが、初めて聞いたリスナーの方もいらっしゃると思うので、どんな物かということを説明して頂いてもよろしいですか。

牟田園:はい。嚥下食が必要な方がどういう人たちかと言うと、まず嚥下障害がある方です。先ほど言われていた誤嚥性肺炎や窒息など、そういう症状がある方のために飲み込みやすく工夫した食事を嚥下食と言います。

甲木:飲み込むことを嚥下と言うんですよね。

牟田園:はい、そうです。

梁:私の亡くなった祖母も入院しているときにペースト状になった物を食べていました。

牟田園:そうだったんですね。その通りでペースト状になった食事のことですね。

味にこだわった嚥下食

甲木:でも、嚥下食と言いましてもミキサーでペースト状にするということでもないんですね。

牟田園:そうですね。20年以上の経験を生かし、軟らかく形を残しているものもあれば、綺麗なペースト状にしながらもそれぞれの素材を美味しく味わって頂けるものもあります。

甲木:この前、打ち合わせのためにエビチリを試食させて頂きました。薄ピンク色のムースの上にソースが掛かっているんですけど、ちゃんとエビチリの味がするんですよ。ほんとにびっくりしました。

梁:パンフレットを見させて頂いていますが、凄く美味しそうですよね。

牟田園:美味しそうではなくて、美味しいんですよ。(笑)

梁:祖母が食べていた物は、美味しくなさそうだったんですけど。

牟田園:ほとんどの嚥下食は美味しくないんです。ここまで美味しくできているのは、日本ではおそらく「七日屋」しかないと自負しています。

甲木:非常に手間をかけて味にこだわった嚥下食ですけども、どういった方が買いに来られてますか。

牟田園:そうですね。介護されている方とか、後は送ってあげたりとかですね。

甲木:「七日屋」の嚥下食は、食べている方が笑顔になれるから、介護されている方も笑顔になれるということで、リピーターも多いんでしょうね。

嚥下食との出会い

甲木:牟田園さんは、学校の栄養教諭だったとおっしゃっていましたが、どこで嚥下食と出会ったんでしょうか。

牟田園:学校給食に40年携わり、折り返しの20年目に重度の心身障害者が通う特別支援学校に赴任しました。そこで目にした光景が、小学校で出されるそのままの給食を、先生方がはさみで切っていたんです。それを食べた生徒のほとんどがひどくむせていました。

甲木:子どもたちからしたら、食べたいのに食べられないのはほんとにつらいですよね。

牟田園:そうなんです。それでなんとかしてあげたいと思っていました。

甲木:そこから嚥下食に繋がっていくんですね。

試行錯誤をして嚥下食を食べやすく

甲木:赴任された特別支援学校では、どのような事に取り組みましたか。

牟田園:特別支援学校に赴任してすぐ行かせて頂いた研修会で、私の師匠でもある金谷節子先生と出会いました。日本で初めて嚥下食を作っている病院の管理栄養士で、講演の中で言われていたことは、嚥下食は「形を残しつつ軟らかさを調整していく」ことが大事だと。それを聞いたとき「これだ!」と直感しました。それから数年、試行錯誤を繰り返していた時、教育委員会で特別支援学校の食事を見直す検討委員会が立ち上がり、当時の私が勤務していた北九州養護学校で1年間の試行が始まったんです。早速、メニュー開発と調理法を見直しました。今までは出来上がったものを再調理していましたが、別調理と言って、肉や魚を調理する前の段階でミキサーにかけてムース状にする、今までとは全く異なる調理法を取り入れました。そして1年後の2003年に北九州市内の2つの特別支援学校で別調理による段階食が始まり、特別支援学校の子供たちは、とても食べやすくなり残滓は全く無くなりました。

梁:凄いですね。

「七日屋」を立ち上げたきっかけ

甲木:学校給食から「七日屋」を立ち上げたきっかけをお聞きしたいのですが。

牟田園:在任中、子どもたちが夏休みなどの長期の休みに入ると体重が減ることがわかっていたので、この子たちは卒業した後、どんな食事を取るんだろう、卒後の食事の支援ができないかなぁ~と思っていました。退職してプラプラしてると、障害者の福祉サービスをしている会社の社長から施設の子どもたちに美味しい食事を食べさせたいけど、それを作ってくれないかと、お話を頂いたのがきっかけで、「七日屋」を立ち上げたのが2019年の4月です。

甲木:そうだったんですね。

牟田園:社長が「七日屋」のネーミングをしたんですけど、七日という字を縦に書くと旨(うまい)とも読めるだろう。「毎日旨いもの」をという社長の思いから「七日屋」という名前になったんです。

甲木:そうなんですね。良くできていますね。

これから目指していること

甲木:牟田園さんがこれから目指しているとはどういう事ですか。

牟田園:とにかく、お困りの方に命を繫ぐ食事をお届けできるようにしたいというのが一番の願いです。自販機だとか宅配とかいろんな方法でお届けしたいと思っています。そしてその方たちの家族も含めて笑顔になって頂けたら私は幸せです。

梁:牟田園さんの話しを伺っていると、料理と切り離せない科学は、真心の上にあると思いました。

牟田園:そうですね。科学(サイエンス)にもハートがありますよね。ほんとに思いがないとできないと思います。

甲木:今回は、八幡東区西本町にある「嚥下食工房 七日屋」 所長の牟田園満佐子さんをお迎えしてお話を伺いました。牟田園さんありがとうございました。

梁:ありがとうございました。

牟田園:ありがとうございました。

〇ゲスト:牟田園満佐子さん(“嚥下食工房 七日屋” 所長)

〇出演:甲木正子(西日本新聞社北九州本社)、梁京燮(同)

(西日本新聞北九州本社)

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