73歳になったブルース・スプリングスティーンがカバーしたソウルとR&Bの名曲たち  歌っているボスの楽しさがこちらにも伝わる!

ニューアルバム「ONLY THE STRONG SURVIVE」

ブルース・スプリングスティーンのニューアルバム『ONLY THE STRONG SURVIVE』の邦題はそのままカナで「オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ」だ。この “強いものだけが生きのこる” と言うタイトル通りに、60年代から生き残ってきたソウルミュージックの名曲達をカバーした作品ですし、ブルース自身が子供の頃から慣れ親しんできたヒット曲を中心に、当時埋もれていた名曲まで掘り下げて、スプリングスティーン自身の声でもう一度世の中に紹介してくれました。

発売以来毎日のように聴いてます。久しぶりのひとりヘヴィエアプレイ状態です。車で外出することも多いのですが、特に市街地をスピードを落として走っている時は、最高のBGMになってます。彼のスピード感あるロックンロール曲は、「明日なき暴走」のタイトル「BONR TO RUN」ではありませんが、疾走感溢れるものが多く、高速道路で思わずアクセルを強く踏みたくなってしまうのですが、今作品はその逆で、車のスピードも40キロぐらいがぴったりです。

かと言って、全編がスローバラードやミッドテンポばかりというわけでなく、アップテンポの楽曲もあるのですが、歌っているブルースの楽しさがこちらにも伝わり、仮に渋滞に巻き込まれても、ハッピーな気持ちでリラックスできて快適な運転が楽しめるのです。

それにしても白人シンガーソングライター系ロックンローラーの新譜が全編カバー曲だということ。しかもそれがソウルミュージックであるということ、このふたつの情報に驚きましたが、私も彼と同じ世代と言うこともありますが、長年にわたるブルース・ウォッチャーとしては、彼の今回の制作動機について、自分なりに納得できました。

ちなみに、彼の視線は、デビューの頃は、同じ街に住む都市生活者と同じレベルで若者たちを主人公にしたストーリーをつくっていましたが、ある時期から我が祖国アメリカを意識した高い視線になっていました。年齢的にもシニアの領域に達し、無意識のうちにミスター・アメリカとなっている彼としては、自分は白人だが、ソウルミュージックの中でもヒット曲以外に、沢山の名曲があるし、これを広く世に紹介していくべきだ、これも自分の役割だと、と思っても不思議ではありません。

スプリングスティーンと同世代の音楽体験

これも意図していることだと思いますが、アルバムトップに収められている収録曲のタイトルを、そのままアルバムにも使っているのですが、これこそ彼からのメッセージではないかと思っています。文字通り彼の記憶と心に強く残っていた曲であることには間違いありません。なによりも、デビュー以来 ”強くならなきゃ、生きていけねぇぜ”、と若者達の覚醒を促し、聴くものの心を解放してきた彼の音楽ですから、カバーアルバムといえども、しっかりとその意味を継承しているものだと思います。

このスーパースターと自分を比較することを許してください。彼と私は日本的に言うと、いわゆる同じ学年です。どちらも戦後ベビーブーマーの一人。国や育った文化は違っても同世代だからこそ共通点も多いし、特に音楽に関してはリアルタイムで同じ体験をしています。

私の出身地は福岡市。現在の福岡空港には進駐軍の米軍基地があった為いわゆるFEN(当時のネーミングは違いますが)からはアメリカのヒット曲が流れ、東京からのヒットパレード番組に加え、地元のラジオ局でも、今でも現役DJである若き松井伸一さんなどが、私の十代半ばにはこの時代としては早くもビルボード誌のヒットチャートを紹介する番組もあったのです。つまり量的には敵うわけありませんが、本国とさして変わらぬタイミングでアメリカのヒット曲を楽しんでいましたし、アメリカのティーンエイジャーと同じように、ビーチボーイズやビートルズに夢中になっていたのです。ちなみに、結果として日本の洋楽少年だった私は、その後にレコ―ド会社に就職し、ラッキーなことに大好きだったアメリカ音楽を仕事にすることになりました。

かたやブルースの母親は大のTOP40好きで、朝からキッチンのラジオからは最新ヒット曲が流れており、この影響でブルースも妹と一緒に学校行く前からヒットポップスの洗礼を受けていたようです。7歳の時にはエド・サリバン・ショーに出演したエルヴィスに驚き、14歳ではビートルズに2回目の衝撃を受けています。残念ながら、我々はエド・サリバンの番組は観たくても叶わなかったのですが、特にビートルズ出現以降は同世代的には日米ほぼ同じタイミングでヒット曲を体験していたはずです。

ポイントは、TOP40チャンネルです。そこでは白人も黒人も関係なく、シュープリームスもフォーシーズンズも同じラジオから流れるヒット曲だったということです。ブルースにしてもそうですがソウルやR&Bと言うジャンルのことなど知ったのは後からのことだと思いますし、実際日本に入ってくるアメリカの洋楽曲は全てこのチャートのヒット曲でしたので、一般ラジオリスナーは洋楽ヒット曲は全てポピュラーとかポップスという呼称しか知らなかったはずです。

私も13、14歳の時に、ベルベッツの「愛しのラナ」のシングル盤を手に入れた時、ジャケットで初めて彼らが黒人グループであると知ったわけですし、ブルースにしてみれば、後に組んだEストリートバンドには白人に混じってただひとりの黒人のサックスプレイヤーがいたわけですから、彼にはそもそも音楽に関しての人種の区別も差別も偏見もないアーティストであることが分かります。

そして67歳になった2016年には自叙伝を発行し、2018年からは自身のバイオグラフィをべースにしたブロードウェイでひとり弾き語りとトークライブでのロングラン。70歳に近くなるとブルースと言えども自分自身の人生を振り返ることが多くなってきました。一緒にするな、と叱れられそうですが、この気持ち、本当によく分かります。

1997年ソロでの来日公演での想い出

子供の頃好きだった曲を自分で歌いたいと思っても不思議ではありませんし、バンドと離れロックンローラーとしての自分をリセットするために、いつもとは全く違う環境で音楽に接し、その都度新しいエネルギーをチャージしているように思えます。

そして、なによりこれ以前の1997年ソロでの来日公演での想い出ですが、1985年バンドとともに日本のロックファンに衝撃を与えた初来日公演とはまた違った意味で、新しい驚きと発見がありました。会場は有楽町の東京国際フォーラム。アコースティックギター1本と己のヴォーカルだけで5000人の満員の観衆を魅了してくれました。こちらが歌詞の意味など十分に理解していなくても、パワフルな “歌の力” に、涙が出るくらい感動したのです。

音楽の仕事をしている自分なので、音楽の力、歌の力は信じていました。とは言え、それがどれほどのものなのかは、これを受け止める人によってそのインパクトは違うし説明のしようがありません。この時は単なる “いちファン” として会場にいた私ですが、彼の ”歌の説得力” に鳥肌がたったことは、いまでも新鮮に想い出が蘇ります。そこにはヴォーカリストとしての姿がありました。

DNAに刷り込まれた音楽を歌う

彼のヴォーカルの力強さはデビュー以来のトレードマークのひとつでしたし、いくつになってもそのパワフルな “歌の威力” は健在ですが、今作ではこれに加えて、声にもいつもとは違う艶を感じさせてくれるし、あらためて “歌のうまさ” というものを確認させてくれました。要するに歌の威力もうまさも合わせ持つ ”歌の力” というものは、当然ですが声量とかピッチとかスペック的なことでは語れない ”歌心” にこそに真髄があるし、それは曲に対する思い入れの強さだということかも知れません。

思えば、彼がロックンローラーとして生きていくことを自覚したり、曲づくりを始める遥か以前から、彼のDNAに刷り込まれている音楽を歌っているわけですから、そこに違和感などあるわけないし、カバー曲にも拘わらず自分の作品を歌っているかのような、自然な歌心満点のヴォーカルアルバムとして楽しめるのも、それを思えば理解できるというものです。

なにより、彼が楽しく歌っている姿が目に浮かぶし、聴いているこちらも彼同様に、すごくハッピーな気持ちになれるのも、このDNAが嬉々としてアルバム全編を包み込んでくれているからでしょうか。

カタリベ: 喜久野俊和

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