連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第103話

 この度の訪日旅費は県人会の仕事と言うことで、私一人分一六九三ドルでレアイスに直すと約五〇〇〇レアイスは県人会の負担である。本当に気の毒である。出発前から宮崎ブラジル親善協会の徳永事務局長と電話やFaxで打ち合わせをしておいた。宮崎では早速、徳永さんのスケジュールで県下の移住者の多い市町村を彼の車で案内して頂き、来年(二〇〇四年)八月二十二日に開催される宮崎県人会創立五十五周年記念式典への招待状を渡して歩いた。訪日先ではそこの市、町、村長、または、その代表者に会って招待状を渡した。ひと時の話の後、焼酎などのお土産を頂いた。宮崎県の北から南の串間市まで訪問して、母県宮崎を知る、またとない、いい機会であった。その上、徳永さんはこの旅に使った私共の費用を全然受取ってくれないので、私共はタダで宮崎県内を旅したことになった。徳永さんにはただただ感謝感謝である。
 日向市では七海の世話で六十五才になった美佐子の国民年金を宮崎銀行日向支店に振り込む様、口座を開設した。この国民年金は直接ブラジルの美佐子の口座に振り込んで貰っても良いけど、二ヶ月毎に送られて来る小額の金はついつい無駄に使ってしまうことになるおそれがあるので、日本で積み立てておけば余り当てにしないからである。美佐子が十三年間、そして私が十一年間支払って来た国民年金である。二か月分の受け取りは美佐子が四万六千九百八十三円、私が三万八千円で合計八万四千九百八十三円X六回で、年に五十万九千八百九十八円になり、七海へ謝礼として年に三万円を上げるので、残り四十七万九千八百九十八円となる。一ヵ年当てにせずに積み立てればまぁまぁまとまった金額になり、それを三年積み立てれば百四十四万円位になるので、三年に一度は訪日できることになる。
 さて、今回の旅はその他に親戚、友人訪問、祖先の墓参り以外に天理のおじば参拝、そして最後は東京の上野駅の近くの全拓連の事務所に森田常務を訪ね、彼の案内で参議院会館に福島啓四郎参議を表敬訪問してブラジルに於ける福島啓四郎後援会の署名名簿を渡した。美佐子は上野で習字用紙と筆など買った。日本を発つ前は千葉市の駅前のビジネスホテルに三日位宿をとって、弥栄香姉の墓参りや信代姉と千葉市内見物などした。今回の旅行期間のブラジルの留守宅は、隣の古い家のサーラにパウロとカタリーナに泊まってもらって、一泊一〇レアイス払う話し合いであった。また、悟がいつもシチオに来て気をつけてくれたので、何事もなく一ヶ月無事に過ぎた様であった。
・七月二十日 国士舘櫻祭り 大島さん亡きあと伊藤支配人が頑張ってくれた。
・七月二十六日 戦後移住五十周年記念式典(州議事堂入口のサロン)日本祭り期間。

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