「そんなしんどい思いしてまで、なんで陸上続けてんの?」苦節3年半の横手健、ニューイヤー駅伝復活へのプロセス

2023年1月1日に行われる、新春のスポーツを代表する「ニューイヤー駅伝」。塩尻和也、塩澤稀夕らを擁し、優勝候補の一角に挙げられているのが富士通陸上競技部だ。前回大会では連覇確実といわれながら12位に終わったチームを長年追い続けてきたライター・守本和宏は、「一番注目すべき選手は横手健」だと語る。横手は疲労骨折、オーバートレーニング症候群、男性ホルモン分泌低下など度重ねるケガと体調不良に悩まされ、3年11カ月の月日をかけて万全の状態までコンディションを取り戻した。「なぜ走るのか?」を自問自答しながら、2019年以来4年ぶりのニューイヤー駅伝を迎えるベテランの復活までの軌跡を追った。

(文=守本和宏、写真提供=富士通株式会社)

苦しみぬいた末に出た反省、忘れられない記憶

忘れられないシーンがある。

2019年1月1日。ニューイヤー駅伝。優勝候補の一角に挙げられた富士通陸上競技部だったが、最終順位は4位。優勝には届かなかった。ただ、悪くない結果だ。入部1年目・2年目とエース区間4区を走った横手健は、疲労骨折からオーバートレーニング症候群に陥り、精神的負担も抱えた一年。そこから立ち直り、なんとか走った6区で、区間2位の好走を見せた。

しかし、本人は涙を浮かべ、反省する。
「いろいろな方に助けていただき調子を戻せたのも事実ですが、先頭に追いつけなかったのも事実。チームに貢献できず悔しいです」

その言葉を聞き、私は涙をこらえつつ思っていた。
「そんなこと言うなよ、横手。お前、死ぬほど頑張ったんじゃないのかよ。これだけ走った自分を褒めてやれよ」と。

結局、それを伝えることはなかったが、その後、横手は再びオーバートレーニング症候群を発症。長期にわたり、故障と戦うことになる。それから、実に3年と11カ月。万全に戻った横手は、今年11月3日の東日本実業団駅伝で完全復活。4区で先頭と5秒差の3位で襷(たすき)を受けると、1.6km付近で先頭に立ち、そのまま独走。2位との差を52秒差に広げてトップで5区へリレー。4区の区間賞(区間新記録)を獲得し、大会優秀選手に選ばれ、富士通の大会3連覇をけん引した。

2023年元日の“駅伝日本一決定戦”ニューイヤー駅伝でも、2年ぶりの頂点を目指す富士通は優勝候補筆頭だ。好調を維持するエース候補の塩尻和也、2021箱根駅伝1区で飛び出しハッシュタグ『#サンキュー塩澤』で話題を集めた塩澤稀夕がキーマンに。東京五輪日本代表の坂東悠汰と松枝博輝など、充実のメンバーをそろえる。その中でも、特に注目してほしいのがチーム7年目のベテラン横手健だ。

2度のオーバートレーニング症候群発症、男性ホルモン分泌低下による活力減退。精神的にも崩れ、さらに骨盤の骨折を経験しても、日本のトップクラスに戻ってきた横手。彼が見てきた光景は何だったのか。なぜ、そこまでして走るのか。私はそれを聞きたかった。

崩れた自律神経、『理解してもらえなかったこと』がつらかった

横手健が、富士通に入社したのは2016年4月。1年目のニューイヤー駅伝(2017年1月)からエース区間の4区を任されると、10人を抜く区間4位の力走を見せた。その翌年のニューイヤー駅伝(2018年1月)も4区を走り、2年連続でエースを張った。しかし、2年目のニューイヤー駅伝出場時は、すでにMRIで「疲労骨折寸前の状態だった」と横手。ケガ人などが多かったチーム状況を踏まえて4区を走ったが、結果的に故障した。年明けの合宿は練習できず、負傷は4月まで長引く。重要な6月の日本選手権に向けて必死で戻したが、その代償として『オーバートレーニング症候群』に陥った。

「1km4分ペースで走っているつもりなのに走れないんですよね。5分ぐらいかかって、2~3kmでもう息が続かない。自律神経が崩れてしまったんです。血液検査をしてみると、テストステロンという男性ホルモンの値が下がった結果意欲が湧かない、コルチゾールというストレス値が上がった状態。体が正常でなくなり、呼吸も浅かった。うまく例えられないですけど、“水の中にいる”みたいな感じでした」

その症状もさることながら、横手本人が“何よりつらかったこと”として挙げたのが、「周囲にうまく伝わらなかったこと」だ。

「これは本当に、『なった人にしかわからない』と思うんですけど、国立スポーツ科学センタースポーツクリニックの先生に相談して、やっとわかってもらえた。ケガは治っているのに、走っても全然結果が出ない。次第に、自分の中でも『ちゃんと走れない自分が悪いんじゃないか』という気持ちになって、精神的に落ち込んでいきました。そういう状態が続き、結果合宿でも走れない。それで、国立スポーツ科学センタースポーツクリニックで診察してもらいました」

「そこで、理解してもらえるスタッフを探し、状況を把握してもらい、やっと2018年の秋口に良くなってきた。その後10月・11月にジョグを再開し、何とか間に合って走ったのが3年目(2019年1月)のニューイヤー駅伝6区でした」

最悪のコンディションでも、6区を無難に、力の限り走り切った横手。それでも2019年のニューイヤー駅伝後に症状が再発。さらに長い治療期間を要することになる。

長かった復活までの道のり。たくさんの人たちの関わりで戻って来られた

2019年の年明けから、再び体調を崩した横手。それから復活までは、さらに長い道のりをたどった。

「そのあたりからチームの練習法も変わり、自分のやりたいことと真逆な内容も増えてきた。個人的には体調も悪く、ベースもなくて、やったことのないタイプの練習をこなせなくなってしまった。そこからは悪循環ですよね。体調は良くない。疲労は溜まる。練習できない。精神的に追いつめられていきました」

少し体調が戻っても、遅れを取り戻そうと焦り、練習に力が入る。すると、体が悲鳴を上げて故障を繰り返す。指導方針も、チームに相談はしたのだがうまく伝わらない。そして、練習がこなせない。抜け出せない負のサイクルの中で1シーズンを終えた後、さらなるケガが横手を襲った。

「2020年の夏、今度は骨盤を骨折したんです」。コロナ禍による自主練習が増えたのは、横手個人にとっては「ラッキーだった」。しかし、上りの練習が増えると、7月頃に臀部の違和感を覚え、9月には完全に走れなくなった。病院に行っても簡単に原因がわからず、サードオピニオンでようやく骨折が発覚。「骨がパックリ割れているとわかり、いろいろついてなかった」と本人は振り返る。

そして最後は、骨盤が治った後の2021年1月。今度は身体の無理がたたり、膝を負傷。2021年3月に、再生医療である「自己多血小板血漿注入療法」を適用した結果、回復。昨年夏ごろから、ようやく満足に走れる状態となった。

ここまで、2018年の疲労骨折状態から2021年夏。いつ終わるかわからないケガのサイクルから脱した横手は、練習が積めるようになり、パフォーマンスが徐々に回復。そして今年、完全復活を果たした。振り返ってみて思うのは理解されなかった苦しさ、そして周囲への感謝だ。

「もう大丈夫です、本当にケガしなくなりました。崩れた部分が戻り、体の中が整って筋肉や走りのベースができ、強化できる流れになった。これは本当に、“なったことがないとわからない”のは確かで、伝わらなかったのが一番きつかった。その時の自分を客観的に見たら、『こいつ、とんでもなく暗いな』ってわかるぐらいで」

「戻るまでは、本当にたくさんの人に支えてもらいました。陸上関係者や、陸上以外の方たちにも手を差し伸べてもらった。この症状を直そうとしてくれた医療関係の方々、ドクターさんにトレーナーさん。暗く落ち込んでいた自分を『どんどん愚痴言いなよ』と励ましてくれた職場の人、趣味の車でつながった人などたくさんの人たちに関わってもらって、なんとか戻って来られたと思っています」

なぜ、そうまでして走るのか。その質問の答えが出たら…

時折、陸上選手に対して「走るだけでお金がもらえていいね」などの声を耳にすると関係者から聞く。でも、私はそうは思わない。「走る(跳ぶ・投げる)だけでしか評価を得られない」世界は、とても窮屈だ。逃げ道がないスポーツ選手、特に自分と向き合う時間が長い陸上長距離選手は、精神的にもつらいだろうと思う。

なぜ、そんなにつらくても走るのか。そうまでして頑張る理由は何か、横手に聞いた。

「自分を支えてくれた1人が、宇賀地強さん(コニカミノルタ陸上競技部コーチ)で、時にはきつい言葉をくれたり慰めてくれたり、“飴とムチとムチ”ぐらいで関わってくれています。彼からつい最近、『お前そんなしんどい思いしてまで、なんで続けてんの』って聞かれましたが答えは出なかった。でも、『この質問の答えが出た時、お前は陸上選手として、もう一度上に行けると思うよ』って言われたんです」

それ以降、なぜ自分が走るのか、考える時間が増えた。

「まず見返したい気持ちはありますよね。自分の状況が理解されなかったけど、自分はやっぱり走れるんだ、というような気持ちはある。そして、支えてくれた人たち、温かい言葉をかけてくれた人たちにも喜んでほしい。いろいろありますが、結局は“自分のため”なのかなとも、自分はもっと走れると証明したい。悪く言えば、自分を慰めるためなのかもしれません。それが結果的に誰かの喜びになればいいなと思います」

陸上選手に限らず、誰でもそうだ。人生うまくいかなかったら精神的に弱くなる。そういう時に、自分を助けてくれるものは何か。横手にとって、それは「自分が積み上げてきたもの」だった。

「自分はここまで積み上げてきたのだから、理解してもらえれば、もう1回できると考えていました。自分が努力して積み上げてきたことを否定せず、可能性を信じるしかないなと思うんです」

最後は、大事な言葉で築き上げた信頼関係が自分を助けてくれた

これからも多くの陸上選手たちがケガをして精神的に追い詰められ、それでもフィニッシュを目指して走り続けるだろう。実業団駅伝でも箱根駅伝でも、それは変わらない。そんな選手たちに、横手健が伝えられるメッセージとは何か最後に聞いた。

「やっぱり人とのつながりを大事にすること、それと、言葉を大事にすることですかね。当然、自分の目標や強い気持ちを持っていることも大事ですが、なにかあったときに自分を助けてくれたのは周りの人たちでした。今はSNSも発展し、頭で考えるより先に言葉が出てくる人も増えた。でも、現実の人とのつながりを大切にして、大事な言葉で築き上げた信頼関係が最後に自分を助けてくれる。そう強く感じました。これは自分のケースですけど、本当に人に恵まれたなぁと思っています」

一人では乗り越えられないような苦しみをくぐりぬけ、自分の心身をすり減らしてゴールを目指してきた横手。他にも同じぐらいつらい思いをしてきた選手もいるだろう。だからといって、すべての選手の努力が報われるわけではない。ただ最後までやり切れば、必ずわかることがあるはずだ。

2019年以来、4年ぶりのニューイヤー駅伝を迎える横手。彼がもし本戦を走ったら、どんな結果になっても、私には言ってあげたい言葉がある。

「お前、よく頑張ったじゃないか」

そんな彼自身が満足できる走りを、今年のニューイヤー駅伝では期待している。

<了>

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