「制作費がいくらか、怖くて聞けない」M-1決勝のためだけに作った奇跡の30秒CM マヂラブ・野田クリスタルが感動した、撮影の舞台裏

CM撮影中の様子。激しく水を浴びるマヂカルラブリーの野田クリスタルさん(中央)

 漫才の日本一を競う「M-1グランプリ」は、今や毎年末の国民的な恒例行事となっている。優勝者はその瞬間からスターとなり、人生が一変する。夢を追う若手芸人にとって最高の登竜門であり、2022年は史上最多の7261組がエントリーした。迎えた12月18日の決勝当日、生放送のテレビ中継で勝敗とは別に話題をさらったのが、画面いっぱいに突如出現した前々回王者の姿だった。20年にM-1を制したマヂカルラブリーの野田クリスタルさん(36)だ。
 決勝1組目が発表される直前、野田さん自身が〝総監督〟を務めるゲーム「スーパー野田ゲーWORLD」の30秒CMが放送された。野田さんが激しく揺れる電車内で、つり革につかまらずに必死に耐えるという、マヂラブがM-1優勝を決めた漫才ネタを、迫力の高精細映像で再現した。制作に携わったCMプランナー、監督などメンバーは全員、超一流。それが「知り合い」や「家が近所」といった奇跡的なつながりで集まり、映像はスローモーションにも対応した高性能カメラを使用。資金をクラウドファンディングで呼びかけると、開始から2時間もたたずに目標額を超え、最終的には2倍を優に超える255万2千円が、300人超から集まった。
 M-1で過去の優勝者がスポンサーになってCMを流すのはもちろん例がない。野田さんも「できたら面白いと思ったから、いつか実現しよう、5年後とかになるんだろうなと思っていたら、今年いけるってなって『どういうこと?』」とびっくり。あまりのクオリティーに、野田さんも「すげーなと思えるCMになった」と感動した。いったいどうやって実現したのか。撮影当日に〝マネージャー〟を担当した私が、野田さんに舞台裏を聞いた。(共同通信=鹿島波子)

インタビューに応じるマヂカルラブリーの野田クリスタルさん=東京都内

 【M-1放送中に流れた「スーパー野田ゲーWORLD」の30秒CM】
 https://youtu.be/9X1HE6-YQOw 

スタジオの様子。中央は電車内を再現したセット(マヂカルラブリー野田クリスタルさんのツイッターより)

 ▽独学でのプログラミング技術習得が全ての始まり
 そもそも「野田ゲー」とは何か。野田さんはゲーム好きが高じ、芸人になってから独学でプログラミング技術を習得。出来上がった自作のゲームを「野田ゲー」と称した。2020年3月、コンビとは別に、一人の芸で競うピン芸人の賞レース「R-1ぐらんぷり(現・R-1グランプリ)」で初めて決勝に進出し、実際に野田ゲーを操作しながらの実況ネタで見事優勝した。
 これがきっかけになり「ニンテンドーSwitch」のゲームを作るプロジェクトが始動。クラウドファンディングで呼びかけると、約2000人の支援で1300万円以上も集まった。そのゲーム制作途中に、なんと「M-1」でも頂点に立つという快挙を達成。急きょ優勝ネタの一つ「つり革」もゲームに落とし込み、第1弾となる16本のミニゲームを収録した「スーパー野田ゲーPARTY」が2021年4月に発売された。
 今回宣伝した「スーパー野田ゲーWORLD」も、クラウドファンディングで5000人超の支援を受け、総額4200万円超を集めて2022年7月に発売。ただ、収録を予定していたゲーム20本全てが揃うのは秋以降になるため、テレビCMを「M-1で流したい」という野田さんの願いをかなえる計画がスタートすることになった。

「スーパー野田ゲーWORLD」のメインビジュアル

 ▽「2年前の優勝者はM-1との縁が薄くなる。悲しくなる」
 雨が降り続いて肌寒い1日となった2022年11月23日、都内某所の撮影スタジオ中央には、原寸大に組み立てられた立派な電車の車両のセットが、無数の照明に照らされ鎮座していた。資金の集まり具合によってはCG合成、はたまた電車があるふり(?)の可能性もあったが、完全に実物が再現されている。
 出演者はマヂカルラブリーの野田さんと村上さん(38)、バイク川崎バイク(BKB)さん(43)、デッカチャンさん(46)の芸人4人。現場にはほかに、吉本興業のスタッフ数人と撮影スタッフ20人ほど。さらに、クラウドファンディングに出資した人のうち60人は、エキストラや私のようなマネージャーなどさまざまな役割で参加した。
 役得を生かして野田さんに後日、M-1にCMを出す意味を聞くと、こう答えてくれた。
 「M-1優勝した次の年は、前年チャンピオンとして決勝の当日もスケジュール押さえられているけど、今年のM-1ってすごい縁が薄くなるんだろうな。僕もM-1グランプリが始まってからの芸人なんで、悲しくなるんだろうなって思って。それで、番組中にCMが流れて、提供の中に俺の名前があったら面白いだろうなと。でも監督もCMプランナーも超一流の方になって、いいスタジオも借りるってなって、もうお金とかの問題じゃなくなったんだなって…だからいくらかかったとかも怖くて聞いてなくて(笑)」

 ▽人が集まり、改めてM-1の存在の大きさを痛感
 プロモーション担当の高山雄次郎さんは営業広告担当。ゲーム開発担当でも何でもなかったが、結果的に野田ゲーの開発にも携わるゲーム制作会社「カヤック」の方が、たまたま連絡先を知っていた高山さんに声をかけたことから、野田ゲー制作プロジェクトが始まった。その縁もあり、CM制作の計画も高山さんが担うことに。まず別の仕事で一緒になった、広告賞を何度も取っているCMプランナーに相談すると、同い年な上にご近所さんの縁もあり、予算も決まらないうちから「面白そう」と乗ってきた。彼の繋がりで有名CMを撮る監督も「面白そう」とすぐに同意。次々に人が集まった。 

 野田さんは、改めてM-1の存在の大きさを痛感したという。「こんなことできんだ、夢あるよな、M-1チャンピオンって。一つのテレビ番組に出て、大会にCM流せるくらいまで登り詰めるってないだろうし、それがM-1のすごさ。いい形で関われた」
 実際の撮影では、「スベりたくはない」「M-1の邪魔もしたくない」という野田さんの意見を重視した結果、スタジオには完全再現の車両のセットに、スローモーションを撮れる高額なハイスピードカメラも準備され、映像美に特化したCM撮影が実現した。
 CMプランナーからも的確なアイデアが出された。お笑いが好きな視聴者にとって「つり革」といえば、あのM-1のネタ。「ゲームじゃなくてネタを再現した方がいいんじゃないですか?」。その助言から、ネタの流れに沿い、びしょびしょになって倒れるという演出が決まった。

 ▽全員合わせて体を動かし、電車の揺れの再現からスタート
 CM制作は午前10時、エキストラ25人の入念なリハーサルから始まった。車掌アナウンスの音声録音などを経て、午後4時頃から実際の撮影がスタート。M-1でCMが流れること自体を喜ぶ気持ちでスタジオ入りした野田さんも、すぐに普通のCM撮影とは全く違うことに気付いた。
 大きく揺れる電車内の様子を撮影するため、止まった車両の中で、手拍子に合わせてダンスの振りを合わせるように「ファイブ、シックス、セブン、エイト。ワン、ツー、スリー、フォー…」と体を大きく左右に倒していく。全員が前後左右に揺さぶられる様子はどんどん激しくなっていき、しまいには水しぶきを受け、つり革が投げられ、小銭まで舞っている。「エキストラの人と喋るなんて普通のCMじゃ絶対ないんで」。床に落ちた小銭も、一緒になって拾っていった。
 撮り直しの数も尋常ではない。CM全編でたった30秒。1カットほんの数秒のシーンに10テイク以上かけていた。理由は監督をはじめ制作陣の熱意だという。
  「普通のCM撮影って、スポンサー企業の依頼でやっているので。ある程度は任される立場ではあるけども、指示を聞いてやって休憩して」。しかし、今回はスポンサーがいない。従って制作陣もなんの制約もなく「自分が納得する映像を撮りたい」というマインドで何度でも撮り直しが命じられた。エキストラも文句一つ言わずに必死についていく。野田さんはそれにも感動していた。
 「エキストラといってもクラウドファンディングの人なんで。もっとわがままな人とか多いだろうなって腹くくってたんですよ。でもすごい前向きにCMのことだけを考えてやってくれて。つり革だって監督が一般の人に『投げて下さい』って注文してましたけど、普通しないですし(笑)今回のCMの醍醐味はそこじゃないですか、『ほぼ素人である』っていう」

 ▽芸人にいじってもらって喜ぶ〝マネージャー〟
 マネージャーの私も他人事ではない。正式には「マネージャーの現場手伝い権」を購入していた私は、何度も水しぶきを浴びながら撮影する野田さんのすぐ近くで見守り、合間を縫ってタオルを渡したり、水を渡したりとマネージャー役のほか2人と2時間半限りの職務を全うした。野田さんは車内のシートに座ってタオルで顔や髪を拭き、撮ったばかりの映像をモニターで見ながらつぶやいた。「青春メイキングだなぁ・・・全部繋げたの見たら感動しちゃうなぁ・・・」
 撮影の待ち時間に入ると、出演者ともっと近づける時間もあった。突如、出演者の控え室から「マネージャー!」と呼ばれ、コーヒーを頼まれた。BKBさんからは「ミルクと砂糖、マシマシで」とも注文された。しかし、ミルクも砂糖も現場にはない。私はこう答えた。
私「ミルクも砂糖もなく、申し訳ありません。カフェオレならあるんですがどういたしましょう」
BKB「あー、カフェオレの方がすきです」
私「コーヒーはお戻しでよろしいですか?」
BKB「当たり前よね。そんな2つも飲んだらちびっちゃうから。あと、これからホットの時は紙コップ二重にしてな!」
別のマネ-ジャー「村上さんもいりますか?」
村上「俺は大丈夫だろ!手の皮が厚いんだから。そんなことも知らねぇのか!」
 それを見た吉本興業のスタッフさんはぼそっと言った。「こんな横柄な芸人、今まで一人も見たことないなあ」。このやりとりは勿論、芸人さんたちによる愛ある「いじり」だ。マネージャー役の私たちに楽しんでもらおうとする優しさを感じつつ、大笑いしながら職務を務めた。
 撮影は結局、予定時間をオーバーし、深夜0時近くになってやっと終わった。

 

▽極度の乗り物酔いが「つり革」ネタを生んだ
 本番で流れた30秒CMは本当に一瞬で、現場で見た幾つもの魅力的なシーンがカットされてはいた。でも、クラウドファンディングの参加者も「仲間」として、全員で夢中になって作った今回のCM撮影は、野田さんにとっても特別な1日だったようだ。後日、改めて話を聞くと「流れるように毎日が過ぎていく中で、あんなにずっと全部覚えてる現場ってないっすね」と感慨深く振り返っていた。

つり革のゲームの場面

 つり革漫才は、野田さんの「極度の乗り物酔い体質」から生まれたという。新宿―渋谷間ですら酔ってしまう。そんな体質で、つり革を使わず耐えられないか、と実際に挑戦したこともありながら「それって、迷惑だろうな」という着眼から、ネタが出来上がった。電車は野田さんにとって「大っ嫌い」な存在だが、それがきっかけでM-1の頂点に立ち、M-1に特別なCMを出すことができた。「電車側から『今までさんざん苦労かけたけど、ごめんな』って言われてるような気持ち」。野田さんと電車の関係に、また新たな「思い出」が加わった瞬間でもあった。

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