<墓碑銘2022㊦>亡くなった方々の足跡【政治・経済・医療・教育】照屋寛徳さん、新里米吉さん、土肥健一さん

 戦後、米統治下の困難に立ち向かい、沖縄の政治・経済・教育界を支えた人々も他界した。(年齢は享年、死亡年月、役職は死去当時、敬称略)

 【政治】

 照屋寛徳(76歳、4.15)は衆参両院で通算24年にわたり国会議員を務めた。弁護士として嘉手納爆音訴訟、家永教科書裁判などの弁護団にも加わった。「ウチナーの未来は、ウチナーンチュが決める」の信念を前面に出した。

 島袋宗康(96歳、12.9)は、1989年から約15年間、社大党委員長の職を担った。那覇市議、県議、参院議員を務め、復帰前から復帰後にかけて、沖縄の発展と平和の構築に尽力した。

 仲宗根正和(85歳、1.21)は元沖縄市長。東部海浜開発事業の着工、沖縄こどもの国のリニューアル、中の町再開発などに取り組んだ。

 8月に死去した新里米吉(76歳)は2000年の県議選で初当選し、16~20年は県議会議長を務めた。新基地建設に反対する「オール沖縄」の立役者の一人だった。

 伊江村長の島袋秀幸(69歳、5.21)は在職中に急逝した。浜川健(81歳、5.17)は最後の伊良部町長だった。比嘉健藏(83歳、11.7)は渡名喜村長を2期務めた。

 儀間文彰(100歳、8.21)は復帰前の立法院議員。元県議の安里進(82歳、7.26)、宮里政秋(88歳、8.21)、宮平永治(81歳、10.14)、島田力(79歳、12.19)も亡くなった。

 【経済】

 南都代表取締役会長の大城宗憲(85歳、2.24)は南城市に玉泉洞を開業、国頭村に大石林山を展開するなど、沖縄を代表する観光施設を造り上げた。

 桑江良一(83歳、9.28)は沖縄ホーメル会長や県産業振興公社理事長として活躍。県内企業や業界団体の要職を歴任し、食品製造を中心に県経済の発展に尽力した。

 土肥健一(87歳、9.5)はサン食品創業者。復帰後、そば粉を使用しない「沖縄そば」の名称変更を迫られた際、国と折衝を重ね「沖縄そば」の名を守った。

 沖縄教育出版創業者の川畑保夫(74歳、9.27)は独自の人材育成が注目を集めた。

 前県電気工事業工業組合理事長の徳元秀雄(78歳、1.8)、小浜養蜂場社長の小浜美佐子(72歳、1.18)、東江建設グループ創業者の東江優(84歳、1.24)、ヨナシログループ創業者の與那城善勇(88歳、1.30)、元オリオンビール代表取締役兼専務執行役員の宮里政一(65歳、2.26)も他界。

 ゆがふホールディングス代表取締役CEOの前田裕継(84歳、4.17)、沖縄関ヶ原石材創業者の緑間武(96歳、8.27)、仲善代表取締役会長の仲本勝男(83歳、10.20)、元沖縄テレビ放送社長の金城順一郎(78歳、11.6)、名護パイン園創業者の上江洲朝照(103歳、11.13)も鬼籍に入った。

 【医療・教育】

 富原守哉(85歳、3.6)は吹奏楽の指導者、指揮者として、県内音楽教育界やクラシック音楽界に貢献した。若夏国体や海邦国体の行進曲、復帰10周年記念式典の祝典序曲の作曲のほか、校歌も多数手掛け、宮良長包賞も受賞した。

 元県教育長の翁長良盛(82歳、2.11)は県公安委員会委員長も務めた。

 南極観測隊長を務めた琉球大名誉教授の木崎甲子郎(97歳、2.26)、沖縄の地名研究や海外移民の研究に尽力した同大名誉教授の島袋伸三(85歳、12.22)、診察後に子どもにガムをあげることから「ガム先生」の愛称で慕われた小児科医の宮城英雅(84歳、10.2)もこの世を去った。

※注:土肥氏の「土」は右上に「、」

© 株式会社琉球新報社