『トヨタ89C-V』速さで世界と比肩した殊勲の改良作【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマはグループCカーレースを戦った『トヨタ89C-V』です。

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 グループC元年といえる1982年に、童夢とトムスの共闘によってスタートしたトヨタのグループCカー活動は、1988年に大きな転換点を迎えた。

 1988年のル・マン24時間レースまでは、童夢とトムスの開発したシャシーにトヨタが供給する市販ベース(中身は市販車のそれとは別物だったが)の4T-Gや3S-Gといった4気筒ターボエンジンを積むマシンで世界の列強と戦っていた。

 しかし、1988年のル・マン後に開催された国内選手権で、トヨタがCカー用として開発したV型8気筒純レーシングエンジンを積むトヨタ88C-Vがデビュー。いよいよトヨタが主体となった活動へ発展していったのだ。

 今回紹介するトヨタ89C-Vは、トヨタ88C-Vの改良型として1989年シーズンに登場したトヨタのグループCカーである。89C-Vは88C-Vの改良型ではあったが、その改良点は多岐にわたっていた。

 まず、車重は車体とエンジンの両方で重量の軽減が行われた結果、88C-Vと比較して70kg近い軽量化に成功した。さらにサスペンションアームが伸ばされ、前後トレッドを拡幅していたほか、カウル形状も見直されて、前面投影面積が小さくなり、88C-Vよりも大幅にドラッグを低減できていた。

 エンジンは88C-Vと同じV型8気筒のR32Vを搭載していたが、前述の軽量化だけでなく、新たにセラミックタービンを採用。これによって、燃費の改善も実現していた。

 このような小規模な改良に留まらない大幅な設計変更が行われた89C-Vは、1989年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)という国内選手権のみならず、世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)、ル・マン24時間レースと世界の舞台でも戦いを繰り広げた。

 そのなかでも特に白眉だったのがル・マンでの活躍であった。予選2日目にタカキューカラーの37号車をドライブしたジェフ・リースが、予選1日目トップのザウバー・メルセデスC9がマークしたタイムを1秒以上も上回る3分15秒51というスーパーラップを叩き出したのだ。

 これで暫定トップに躍り出たものの、結局、リースがマークしたこのタイムは“Tカー”によるものだったため認められなかった。しかし、この年結果的に総合優勝を果たすことになるザウバー・メルセデス勢を大いに慌てさせたのだった。

 89C-Vは国内のJSPCでも5戦中3度のポールポジションを獲得するも勝利を挙げられたのは一度だけと大きな戦果は残せていない。それでもル・マンでの“幻”のポールなど、トヨタのCカーが常に先を行く外国車勢と肩を並べる速さを発揮できる。89C-Vとはそれを証明した1台だった。

1989年のJSPC第3戦富士500マイルレースを戦った小河等、パオロ・バリラ組のデンソートヨタ89C-V。
1989年のル・マン24時間レースを戦ったトヨタ・チーム・トムスの走らせたトヨタ89C-Vの37号車。ジェフ・リース、ジョニー・ダンフリーズ、ジョン・ワトソンがステアリングを握った。

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