あの鐘を鳴らすのは… いにしえから続く時報の音を訪ねて 【あなた発 とちぎ特命取材班】

午前6時に合わせて鐘を鳴らす国生住職(右)。投稿者の穴澤さんも興味深そうに見守った=7日、壬生町本丸1丁目の常楽寺

 「朝早く聞こえるお寺の鐘の音は、どこで、どうやって鳴らしているのでしょうか」。下野新聞「あなた発 とちぎ特命取材班」にこんな声が寄せられた。一日の始まりを告げる時報の鐘。最近はあまり聞かない気もするが、実のところはどうなのか。

 調査依頼を寄せてくれたのは、下野市の穴澤美智江(あなざわみちえ)さん(63)。近隣の寺院に聞き込むと、穴澤さんの自宅から約5キロ離れた壬生町の常楽寺(本丸1丁目)と壬生寺(大師町)で毎日午前6時に鐘を鳴らしていることが分かった。

 常楽寺では、戦争で鐘を供出した一時期を除いて、古くから鐘を鳴らしているという。本堂には1930(昭和5)年に壬生町から「時報功績」として贈られた本棚が残る。

 国生泰俊(くにきたいしゅん)住職(58)にお願いし、実際に鐘を鳴らす様子を見せてもらうことにした。

 まだ夜も明けない午前6時。「皆さまが一日穏やかに過ごせるよう祈って、毎日つかせていただいています」。国生住職は時計を確認すると、鐘楼堂へ。撞木(しゅもく)に巻き付けられた綱を握った。

 ごぉーーーーん。しんと冷えた冬の空気に、厳かな低音がよく響く。駆け付けた穴澤さんは「心が落ち着きます。きょう一日、頑張ろうという気になりますね」と感嘆した。

 国生住職によると、県外の法要や会合があって家族などに頼む日を除いて、毎朝一人で鐘を6回鳴らしている。大変では? 「もちろん大変ですが、それぐらいはお坊さんの務めだと思っています」と軽やかな答えが返ってきた。

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 そもそも、お寺で鐘を鳴らすようになったのはいつ頃からなのか。立正大仏教学部の安中尚史(あんなかなおふみ)教授(58)によると、6世紀中頃に仏教が伝来してほどなく、鐘が伝わったとの記録が残っているという。

 当初は儀式を始める合図として鳴らされていたとみられるが、7世紀半ばには時報としての意味合いが生まれた。時報として最も重宝されたのは江戸時代。幕府は江戸の街に九つの鐘楼を設置し、日の出や日の入りに合わせて鐘を鳴らした。「時計がまだ一般的ではなかった時代。都市の生活には不可欠なものだったのでしょう」

 また、大みそかの「除夜の鐘」は鎌倉時代以降に伝来したといい、当時から「心清らかに新年を迎えるためだったようです」。回数も今と変わらない「煩悩の数」とされる108回だった。

 古くから人々の生活に密着してきた鐘だが、「最近では朝や夕方などに鳴らす寺院は減っている」とのこと。理由は住職の高齢化や人手不足のほか、近所から「鐘の音がうるさい」と苦情が来るケースも。一部では、タイマーで動く機械式の自動撞木を導入している寺院もあるそうだ。

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 時計どころか、携帯電話で時間を確認できてしまう現代。時を知る手段としての有用性は薄れても、鐘の音に込められた思いや趣を忘れてしまうのは、寂しい気もする。1年で一番、鐘の存在を意識する年末。どこかから聞こえる響きに、考えを巡らせるのもいいかもしれない。

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