がんで亡くなった父のことが知りたい 32年の時を超え思うコト 両側乳がんになりました177

次の誰かのためにと綴っています。

父の年齢を超えて・・・いま思うこと

2022年も終わろうとしています。今年はずいぶん激動でした。7月に異動で東京、10月には本『おっぱい2つとってみた』を出版 (https://www.htbshop.htb.co.jp/category_HTBseisaku)、とその後もみなさんのところに言葉を届けに全国を回っております。11月に産経新聞さんに私のインタビュー記事が載ったのですが、不思議なことが起きました。

一通の手紙が会社に届きました。『お父さんにお世話になった』と。私が18歳のときに亡くなった父。その父に生前お世話になったという男性からでした。当時、広告会社にお勤めの方でした。

新聞を読んでいて、写真が似ていることと、名前を見て、もしかするとそうではないかと。手紙を読んでいるだけで涙がこぼれてしまいました。18歳以降の私には父の記憶はありません。幼いころの記憶も消えつつある。いつになっても父の記憶は18歳で止まったままなのです。

社会人になってから、父はどうやって社会で働いていたのだろうと思うコトがあり、こんなとき父ならどう乗り越えるのだろうと、本当は生きていてくれれば聞けたのになと思うコトがたくさんあったのも事実です。

その一端でも埋められれば・・・私の知らない父のことが知りたいとお会いすることにしました。

父は生きていれば今年80歳。その男性も70代後半。やさしそうな笑顔で待っていてくださいました。さっそく見せてくださったのが父の名刺です。自宅の電話番号がメモされたその文字は確かに父のものでした。

父はとても冷静なひとで、あまり言葉数の多くない人でした。その方の印象も長くビジネスと家庭とをきっちりわけていて、子供の話は聞いたことがない、と。聞いてはいけない空気があった、と。本当に父らしいと思いました。

ただ、人望は厚く、アイディアマン。相当父の会社の商品が危機になったタイミングでも、イベントを展開するなど父が多くをまとめてきた、と話してくださいました。ちょっと今聞くと驚くようなタレントさんを使ったコマーシャルやイベントも聞いて・・・リアルに驚きました。そんなこともしてたんだ、と。

病気のことを聞いてから亡くなるまでがあっという間で、きちんと挨拶ができなかったとも。父は病気についてはほとんど知らなかったので周りの方もそうなんだろうなと。

ランチをしながらでしたが、涙でちょっと塩気が多い・・・イタリアンとなりました。

私がいまこうして、働けているのは、入学したばかりの大学を無事に卒業できたからだと思っています。父の会社も私たち残された家族に十分な援助をしてくださいましたし、学校も奨学金を得る機会もくださり、あきらめなくていい、、、ひとりひとりのお助けとご縁でこれまでやってきました。

病になったことは悔しいけれど、こうして父を知る方に出会えて、また、自分の原点を見ることができました。

『とにかくいろいろな人にあって、いろいろな経験をしてください。そしてそのご縁を大切に』。

その方の言葉は父からの言葉のように感じました。

2023年は2022年以上にいろいろな方のご縁をつなぐ旅に出たいと思います。

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