「白紙の乱」で犯した習近平の致命的失態|石平 「白紙の乱」を巡って習近平はある致命的な失態を犯した。中国の「繁栄と安定」の時代が終焉し、国全体は「動乱の時代」を迎える。 習近平政権は崩壊の危機から逃れるためには対外戦争に打って出る以外にないだろう。台湾有事が予定よりも早まる危険性がある。

「天安門運動」を超えた

2022年11月25日から29日にかけて、中国では広範囲な群衆抗議運動が起きた。25日に新疆ウイグル「自治区」のウルムチ市で大規模な抗議行動が行われたのを皮切りに、北京、上海、成都、南京、武漢、深圳、広州など計18都市で続々と抗議デモや集会、そしてさまざまな形での抗議行動が展開された。さらに、北京大学、清華大学など計79の大学の構内・周辺でも学生による抗議行動が行われた。

11月27日、清華大学構内で、一人の女子大学生がA4の「白紙」を掲げて抗議活動を行ったことをきっかけに、一枚の白紙を手にして抗議活動を行うことが一種の風潮として広がり、「白紙」はいま、反独裁・反習近平のシンボルになりつつある。

一部で今回の抗議運動は「白紙革命」と呼ばれているが、筆者は中国歴史上の「黄巾の乱」などに因んで、それを「白紙の乱」と呼ぶ。

共産党政権下でこれまで発生した多くの騒乱や動乱と比べ、今回の「白紙の乱」は迅速性と広範囲性を特徴としている。

11月25日にウルムチ市で抗議活動が起きると、瞬く間に全土に広がり、数日の間に東西南北の計18の都市に拡大した。まさに燎原の火の如くの展開である。

この抗議運動が持つ最大の特徴は、「反封じ込め」から始まった運動が、直ちに革命の色彩を帯びた政治運動へと発展していったことである。

「終身制は要らない」 「皇帝は要らない」「改革は必要、文革は要らない」 「自由は必要、独裁は要らない」 「自由がなければ死んだほうがマシだ」 「習近平退陣せよ」 「共産党退陣せよ、共産党引っ込め」――。

北京、成都などで行われた抗議デモ・集会では、こうした先鋭化した政治的スローガンが叫ばれた。共産党政権に矛先を向けた「革命運動」の様相を呈し始めたのである。

中国共産党に対して「退陣・引っ込め」と求める政治スローガンが公然と叫ばれたのは、1949年に共産党政権が誕生して以来初めてのことで、まさに前代未聞の大事件と言える。政治的訴求の先鋭さにおいては、「天安門運動」を超えた画期的な出来事である。

2022年上半期だけでも、倒産件数は46万件

これほど広範囲の「革命運動」が勃発した背景には、まず習近平政権の強引なゼロコロナ政策に対する国民的反発の広がりがある。

過去3年間にわたって、極端にして乱暴なゼロコロナ政策が強行された結果、経済が疲弊し、国民の多くは基本的自由を奪われて生活の基盤も失った。物理的封じ込めを基本とするこの異常な政策に対する国民全体の忍耐は、限界を超えている。

実際、運動勃発の10日ほど前に、広東省広州市珠海区内の封鎖区域で、住民たちがバリケードを壊して封鎖を突破し、警察部隊と衝突する事件も起きた。一連の抗議運動において、「封鎖解除」を求めることは終始一貫、群衆の基本的要求の一つとなっている。

二つ目の背景は経済問題だろう。ゼロコロナ政策も一因となって、中国経済はいまや沈没の危機に瀕している。商店主や中小企業を中心に倒産ラッシュが起き、2022年上半期だけでも、倒産件数は46万件に上った(同じ時期における日本の企業倒産件数は3000件余)。

若者を中心に失業者も拡大し、給与削減による収入減、不動産市場の崩壊による中産階級の破産も常態化している。各階層で経済沈没に苦しむ人々が日々増えている深刻な状況である。

背景にある「習近平問題」

加えて、「習近平問題」が「革命運動」勃発の三つ目の背景としてある。

いままでの多くの失策・愚策で国民からの信頼を失った習近平主席は2022年の党大会で、鄧小平時代以来のルールを破って自らの続投を強行する一方、開明派・改革派とされる李克強首相らを党指導部から一掃した。そして、胡錦濤氏を党大会壇上から強制的に退場させる横暴な振る舞いを堂々と演じて見せる一方、無徳・無能の側近たちを抜擢して党の最高指導部を固めた。

この一連の政治的蛮行の結果、習近平という横暴にして愚かな指導者と共産党指導部体制に対し、多くの国民は嫌悪感を持ち、習政権下の中国の未来に深い絶望感を抱くようになった。習近平という指導者の存在そのものが、反乱の発生を誘発する最大の政治的要因となっている。

もはや中国国民はいつ爆発してもおかしくなかった。

衝撃を与えたウルムチ市内の「慰問電報事件」

そこへ起きたのが、11月24日、新疆ウイグル自治区のウルムチ市内の高層マンションで起きた火災の大惨事である。ゼロコロナ政策でマンションに封じ込められたことで多数の住民が死亡し、3歳の幼児まで犠牲となった。この事件は全国民に大きな衝撃を与え、ゼロコロナ政策に対する反発に火をつけた。

翌25日夜、まずはウルムチの市民たちが行動を起こした。数万人の市民は市政府本部ビルを包囲して抗議活動を行い、一連の群衆的抗議運動の幕開けとなる。

翌26日、「火に油を注ぐ」出来事が起きる。その日の人民日報が一面トップで、「習近平主席はソロモン諸島の地震災害に対し、ソロモン総督に慰問電報を送る」と報じたのだ。

多数の国民が焼死したことには一言も発しない習主席が外国の地震災害(人的被害なし)に慰問電を打ったニュースは、一挙に国民の苦しみに無関心な暴君に対する反感、憤りに火をつけた。

こうして26日深夜から未明にかけ、上海市内の「烏魯木斉路=ウルムチ通り」に若者を中心に多くの市民が集まり、ウルムチ惨事の被害者を弔うと同時に抗議行動が始まり、「習近平退陣」 「共産党退陣」のスローガンが叫ばれたのだ。

27日午前、ウルムチ市政府は記者会見を開き、28日から段階的に市内の封鎖を解除、公共交通機関を再開させ、市民生活を通常に戻す方針を発表した。

「市民が抗議行動を起こせば政府が敗退する」という前例ができたことは多くの中国国民を鼓舞し、「反封じ込め」運動の広がりに拍車をかけた。27日から29日未明にかけ、北京、成都、西安、深圳など全国十数の都会と79の大学で抗議行動が行われるなど、抗議運動は国民的運動として広がっていく勢いとなったことは冒頭で述べたとおりだ。

このようにして、25日からの数日間、ウルムチ惨事の発生とウルムチ抗議行動の展開、火に油を注ぐ習近平「慰問電報事件」とウルムチ政府の敗退などが連続的に起きた結果、「天安門」以来の最大規模の群衆的反乱「白紙の乱」が勃発したのである。

異様ともいうべき「控え目」な対応

問題は、習近平政権がこの重大事態にどう対処するかである。

実は、政府当局とその傘下の御用メディアは、一連の抗議活動に対し、一切の公式的な反応を示していない(12月10日現在)。御用メディアが反体制の抗議運動を報じないのは中国では当然だが、当局が反応しないのは異例といえる。

通常なら、政権そのものに矛先を向ける抗議運動が発生すれば、政権側は必ずや激しい反応を示し、それを「反革命騒動」などと断罪したうえで高らかに鎮圧を宣言する。

新華社通信が11月29日に報じたところでは、中国警察・武装警察の総元締である共産党中央政法委員会トップの陳文清氏が28日、同委員会の全体会議を開いて「敵対勢力による浸透・破壊活動を徹底的に取り締まろう」と指示したという。

タイミング的に、これは過去数日間の群衆抗議運動に対し、「それを鎮圧せよ」との号砲が鳴らされたとも理解できようが、それでも政権は正面から全国の抗議運動を明確に批判するなど、対決姿勢を示していない。

いままで国内の異議者たちに対してあれほど厳しい弾圧を行ってきた習近平政権にしては、異様ともいうべき「控え目」な対応である。

もちろん、水面下で政権側が各地の抗議運動のリーダーと思われる人たちを密かに逮捕していることは判明しているが、いまのところ抗議運動全体に対する大掛かりな鎮圧行動が行われたという情報はない。

一方で、政権側は各地で警察部隊を総動員して全土の都市部で厳重な警戒態勢を敷いている。つまり、警察力をもって、さらなる抗議活動の発生と拡大の封じ込めに躍起にはなっているのだ。それが功を奏して、12月に入ってから抗議運動は急速に下火となった。

習近平政権の意外な行動

だが、それと同時に、習近平政権は、実は一つ意外な行動をとっている。それは、北京、上海、深圳などの大都会で、ゼロコロナ政策による厳しい規制や封鎖を部分的に緩和させたことである。

たとえば、北京市では12月に入ってから、陰性証明を持たずにスーパーマーケットで買い物ができるようになり、多くのコロナ検査所が撤去されている。地下鉄を利用する際の陰性証明の提示も、5日から不要となった。

広東省深市では、公共交通機関や公園を利用する際に提示を義務付けていたコロナ検査の陰性証明を不要にすると発表した。上海や成都などの都市でも、同様の規制緩和が実施された。

一連の抗議デモが発生するまで、あれほどの厳しいゼロコロナ政策を講じていた習近平政権が、一体なぜ「規制緩和」に踏み切ったのか。その意思決定の内情は依然として不明だが、抗議運動自体を正面から断罪したり、鎮圧を宣言しなかった当局の対応に照らし合わせてみると、習近平政権は全土に広がった抗議運動の勢いに大きな衝撃を受け、さらなる拡大を恐れて全面対決の姿勢を控えたものと考えられる。

それと同時に、政権は民衆の不平不満を和らげるためにコロナ規制の一部緩和を行った――それが意味するところはすなわち、あれほどの強権姿勢の習近平独裁政権も結局、立ち上がった民衆の力を恐れて不本意な敗退を余儀なくされた、ということである。

パンドラの箱を開けた

だが、習主席は独裁者として一つの致命的な失態を犯した。政権の看板政策であるゼロコロナ政策に対し、自ら主導権を発揮し、それを緩和もしくは変更するのではなく、民衆によって反対されたことの結果、あるいは民衆による抗議運動の結果として政策の緩和を行った。これは独裁者自身の権威性を大きく傷つけることとなる。と同時に、民衆側を大きく勇気づけ、自信を持たせることにもなる。
今後の中国では、政権の抑圧や失策に対し、一度、成功体験を味わった民衆が、我慢せずに抗議と反対の声を挙げるようなことが起きてくるであろう。

その意味で、民衆の抗議運動に対する習政権の部分的敗退はパンドラの箱を開け、民衆による反乱の時代が幕を開けるかもしれない。始まったばかりの習近平政権3期目は、多難と多乱の時代を迎える。

民衆運動は終息しない

民衆運動は、一旦火がついた以上、完全に終息することはあまりない。民衆運動の力を前にして習政権のゼロコロナ政策は部分的に緩和されているが、政策自体を放棄したわけではない。緩和政策のなかでコロナ感染が予想以上に広がるようなことになれば、政権は元通りの厳しい封じ込め政策を再び強行するだろう。

そうなれば、コロナ政策をめぐる民衆と政権との対立と攻防が再燃してくる。

しかも今後、経済の沈没が止まらず、習政権が存続する限り「反習近平」の気運はますます高まっていくに違いない。民衆運動はこれからも、様々な形で展開していくだろう。

運動の今後の方向性の一つは、一部の知識人や大学生たちが中心となって、習近平政権の打倒、自由・民主の獲得という政治的目標の達成に向かって、政治運動・政治革命として広がっていくことが考えられる。

その際、運動は激しい反乱というよりも温和な形の「白紙の乱」、「白紙革命」として持続的に展開していくのではないか。

何も書かれていない文字どおりの白紙を静かに掲げた行為に対し、当局は取り締まりにくいし、それを公然と鎮圧するのも難しい。

「白色」が運動のシンボルになる可能性もあり、人々はあらゆる場面で白色の服装や記章を着用し、白色の道具の使用など、様々な手法で自らの思いと意思を表現し、運動を持続的に展開させていくこともできる。

中国は対外戦争に打って出る

それが徐々に広がっていくと、国民の多くは絶望感・閉塞感のなかで「色で意思を表示する」という静かな「白紙革命」に参加することは十分にあり得る。そして経済危機の爆発をきっかけに、より大規模かつ広範囲な革命運動が本格的に起きる可能性もある。

今回の「白紙の乱」を契機に中国の「繁栄と安定」の時代が終焉し、国全体は「動乱の時代」を迎える。

こうしたなかで、習近平政権は崩壊の危機から逃れるためには対外戦争に打って出る以外にないだろう。台湾有事が予定よりも早まる危険性がある。日本には早急に備えが求められている。

石平

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