ペレ安らかに…「ブラジルの歴史上最も偉大な10選手」

29日にこの世を去った元ブラジル代表FWペレ。1950年代から70年代にかけて世界最高のサッカー選手と評価され、ワールドカップを3大会制覇するという前人未到の快挙を成し遂げた。

今回は『bleacherreport』から「ブラジルの歴史上最も偉大な選手TOP10」をご紹介する。

10位:ジェルソン

ブラジル代表:70試合14ゴール

1970年のワールドカップで優勝を果たしたブラジル代表の天才司令塔。フットサルやビーチサッカーで培った「黄金の左足」と呼ばれたアイデア溢れる正確なパスを武器に活躍した。

1966年のワールドカップで失望を経験したものの、1970年大会ではトスタン、リベリーノ、ジャイルジーニョ、ペレらとともに伝説的な攻撃陣を形成。大会ベストイレブンにも選ばれる活躍を見せた。まさにブラジル代表の「頭脳」であり、現代におけるディープライン・プレーメーカーのはしりであったとされる。

9位:ロナウジーニョ

ブラジル代表:97試合33ゴール

2002年のワールドカップを制覇した選手の一人であるロナウジーニョは、国外のクラブで最も大きな功績を残した存在の一人である。2000年代の一時期、彼は間違いなく地球上で最高のプレーヤーだった。代表ではリヴァウド、ロナウドとともに「3R」と呼ばれた伝説的な前線を形成した。

もし彼の全盛期がもう少し長ければ、おそらくブラジルの歴代トップ3に履いてる選手であったはずだ。圧倒的な技術とエンターテインメント性に溢れたトリックはサッカーを愛する者全員を釘付けにした。

8位:ファルカン

ブラジル代表:36試合9ゴール

実はブラジル代表では36試合しかプレーしていないファルカン。しかしながら、1982年のワールドカップを戦ったテレ・サンターナ監督の伝説的なチームの一員として戦い、優勝こそできなかったものの、世界中のサッカーファンの心を捉える存在となった。

中盤でボックス・トゥ・ボックスMFを務めながら5試合で3ゴールを決め、大会のスター選手に。知的で卓越した戦術感を備えた選手であり、イタリア・セリエAのローマでも「キング」と呼ばれる存在だった。

7位:ロマーリオ

ブラジル代表:70試合55ゴール

サッカー選手としてのロマーリオの才能は圧倒的なものだった。小柄な体格でありながらブラジル代表70試合で55ゴールという素晴らしい記録を持っており、1994年のワールドカップでは5得点を決めてゴールデンボール賞を獲得した。

一節にはそのキャリアで1000ゴール以上を決めたとも言われている。これはユース時代や親善試合などを含めたもので定かではないがプロ選手としての公式戦だけでも690点に達しており、代表を含めれば700をゆうに超える。

6位:ジャイルジーニョ

ブラジル代表:81試合33ゴール

1970年ワールドカップの優勝メンバーであるジャイルジーニョは、主に右サイドのウイングとして記憶されているが、マリオ・ザガロ監督がかつて言っていたように、攻撃的なポジションであればどこでもこなすことができた。

クラブでのチームメイトであったガリンシャが右を得意としたため、左サイドへと転身。そして再び、右サイドに戻り、ストライカーにも対応。1970年ワールドカップではその優れたスピードとドリブルを生かして6試合で7ゴールを奪い、さらに卓越したパスで多くのチャンスを作り出した。

5位:ソクラテス

ブラジル代表:60試合22ゴール

2011年12月に57歳という若さで亡くなった名選手ソクラテス。190cmを超える体格を持ちながらも、信じられないほど優雅な足技とパスを使いこなした。そしてバックヒールも得意としており、時に意表をついたプレーを見せた。

また医師免許を持っていたことでも知られるインテリであり、その知性を生かしてチームのリーダー的存在にもなった。1982年のワールドカップでは「黄金の中盤」の一角となり、さらに1986年ワールドカップでは助走なしの珍しいPKで話題を集めている。

4位:ジーコ

ブラジル代表:71試合48ゴール

1982年のワールドカップにおける「黄金の中盤」で中核となったジーコ。170cm前後の体格であったが、圧倒的なテクニックと正確無比のキックにより、自ら多くのゴールを生み出し、チームメイトに完璧なチャンスを与えた。

その攻撃面での万能性から「白いペレ」とも呼ばれ、1980年代では世界最高のサッカー選手と評価された。ワールドカップでは3大会でプレーしたものの優勝には手が届かず。しかし1982年大会ではFIFAのベストイレブンに選ばれる活躍を見せている。

3位:ロナウド

ブラジル代表:98試合62ゴール

キャリアで経験した数多くの大怪我さえなければ、ペレをも超える選手になったかもしれない。その圧倒的なスピードと得点感覚はサッカーの歴史上でも屈指のものであり、多くの時間をリハビリに費やしながら成し遂げたものは驚異的なレベルである。

21歳までに4カ国のリーグで200以上のゴールを決めた彼は、10代で臨んだ1994年ワールドカップで優勝したものの出場はゼロで、1998年は決勝で体調不良に襲われ準優勝に終わる。クラブでは前十字靭帯断裂で長期の出場停止を経験しながら、2002年ワールドカップでは圧倒的なパフォーマンスでチームを優勝に導いた。

2位:ガリンシャ

ブラジル代表:50試合12ゴール

その生い立ちやプレースタイル、そして破天荒な人生も含め、これほどまでに愛される選手はいなかった。小児麻痺の影響で足に奇形を抱えており、それを治す手術を受けたことから右と左の長さが異なった。それが彼のトリッキーなドリブルを生み出し、ボタフォゴの入団テストでブラジル代表DFニウトン・サントスを翻弄したという。

自由で生意気なドリブルで信じられないようなプレーを見せ、1958年のワールドカップでは優勝に貢献。1962年大会ではさらにベストイレブンにも選ばれた。残念なのは彼の全盛期が短かったことであり、引退後は女性問題やアルコール依存に苦しみ49歳で早逝することになった。

1位:ペレ

ブラジル代表:92試合77ゴール

数多くの名選手がいるにしても、ブラジルの歴史上最も偉大な男はペレ以外にあり得ない。サッカーという競技の歴史でも、最も完成された、そして時代を超越した選手であった。1対1で相手を打ち負かす技術、正確なパスを出す目、空中戦の腕前、そして圧倒的な決定力。現代におけるトリックのほとんどは彼が生み出したものだとも言われる。

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1958年のワールドカップには17歳で挑み、しかも6ゴールを決めて優勝に貢献。1962年、そして1970年でも大会を制覇し、3回の世界王者に輝く。そのキャリアで上げたゴールは、一節には1279点に達するとも伝えられている。

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