森脇良太の口から出た「サンフレッズ」という言葉…浦和レッズ移籍の理由を本人に聞いた

現在、北海道コンサドーレ札幌で指揮を執るミハイロ・ペトロヴィッチ監督。

「ミシャ」の愛称で親しまれるセルビア生まれの指揮官は、今でこそ珍しくなくなったポジショナルなサッカーをJリーグに持ち込み、攻撃的なスタイルで多くのファンを魅了してきた。

選手からの信頼も厚く、サンフレッチェ広島から浦和レッズ、浦和レッズから札幌と、チームを移るたびに彼のあとを追う形での移籍がある種風物詩になっている。

その当事者の一人、2012シーズン終了後に広島から浦和へ移籍し、現在は愛媛FCに所属する森脇良太に先日、Qolyは単独インタビューを実施!

インタビュー最終回では、自身のYouTubeチャンネルや「サンフレッズ」と呼ばれた複数選手の移籍劇、一緒にプレーした遠藤航など浦和時代のことなどを中心に聞いた。記事ではその一部を紹介する。

(取材日:2022年11月9日)

――(前略)森脇選手を含め多くの選手がサンフレッチェ広島で成長し、タイトルも獲得しましたが、そこから広島から浦和レッズへという流れがありました。

そうですね。「サンフレッズ」と世間で言われているのを僕も目にしましたけど、本当に何かそういう流れができていたなというのはありました。

――そこはやはり、「ミシャ」ことミハイロ・ペトロヴィッチ監督の存在がすごく大きかったですか?

大きかったんじゃないかと思います。それぞれの選手に僕自身が直接想いを聞いたわけではないので、各々が自分の進むべき道を選んだのだと思いますけど、たまたまそういうそれぞれの想いが、そういう風な流れになったのかなと。

僕自身はミシャの存在がものすごく大きかったです。ジュニアユースからサンフレッチェ備後というチームに所属させてもらって、中学校の頃からサンフレッチェのエンブレムを背負ってプレーさせてもらいました。

広島に大きく貢献したいという想いはものすごく持っていましたし、運よく広島から離れる時にタイトルというか自分の中で結果を残すことができました。

そういう想いのなかで、ずっと同じ選手とやるのもそうですけど、次のステップに進んで色々な選手とプレーすることによって、自分もさらに成長したいという想いがありました。

何よりやはり、ミシャに育ててもらった…ミシャのサッカーはものすごく楽しいという気持ちが自分の中にあったので、何としてもミシャのサッカーで、あのスタイルでタイトルを一緒に獲りたいなと。

そういう想いが強かったことは今でも覚えています。それが移籍を決断する一つの要因にはなったことは間違いありません。

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動画では他にも、自身のYouTubeチャンネル『森脇良太の誘ってんじゃんTV』を始めた理由、「すべての能力が高い」という遠藤航、その遠藤の加入で左センターバックをやった感想や浦和レッズというクラブについてなど、たっぷり聞いているのでこちらもぜひご覧ください!

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