【箱根駅伝】寄木細工トロフィー「100回大会まで」願いかなわず 26年作り続けた職人の遺志を形に

昨年7月に亡くなった金指さんの遺志を継いで制作された箱根駅伝の優勝トロフィーを手にする妻のナナさん

 新春を告げる恒例の東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)。往路優勝校に贈られる箱根寄木細工のトロフィーを26年間作り続けた伝統工芸士の金指勝悦さん(享年82)が2022年7月に亡くなった。「100回大会までトロフィーを作り続けたい」という金指さんの遺志は受け継がれ、今回(99回大会)のトロフィーは生前のアイデアから遺族や弟子たちが制作した。

 生涯現役を貫いた最後の逸品のテーマは「平和」。遺族らは「これからもチーム金指で作り続けたい」との思いを込める。

■伝統文化再興の祖

 神奈川県箱根町で生まれ育った金指さんは高校卒業とともに家業を継ぎ、木工職人として木製キャビネット制作で腕を磨いた。転機は30歳の頃。当時の寄木細工は職人も減り消え行く文化だったが、金指さんは違う色の木材をより合わせて作る多彩な表現の世界に魅せられ、地域で1人残っていた職人に教えを受けて寄木職人として生きる決意を固めた。

 金指さんが考え出したのは、伝統工法とは一線を画す「無垢(むく)作り」。伝統工法は木材を寄せて接合した寄木をかんなで薄く削って模様紙のように作品に貼り付ける。対して無垢作りは寄木そのものを削り出して成形するので、複雑な立体物も可能となり、表現の幅が飛躍的に広がった。

 1970年代当時、車が普及したことで箱根への観光客が増える中、新しい寄木細工は人気を博した。今や無垢作りが寄木細工の主流となり、斜陽だった伝統文化は息を吹き返した。

■職人魂、命尽きるまで

 妻ナナさん(64)が金指さんと結婚したのは88年。金指さんの工房で寄木細工を目にして「こんな素晴らしい作品を作る人なんだからきっと良い人に違いない」と“一目ぼれ”した。

 4人の子どもを授かったが「一日たりとも工房を離れようとしなかった」(ナナさん)といい、家族旅行にも一度も行かなかった。

 金指さんは2022年4月、骨髄腫を患いながらも「入院するくらいなら工房に戻って一つでも多くの作品を作り続けたい」と訴えた。亡くなる直前まで工房の機械に体を預けながら必死に制作を続けたといい、ナナさんは「まさに全生涯を寄木につぎ込んだ」と振り返る。

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