リリース30周年!平成のアンセム CHAGE&ASKA「YAH YAH YAH」は令和にも響く  ドラマ「振り返れば奴がいる」主題歌。チャゲアスにダブルミリオンをもたらした名曲中の名曲

ダブルミリオンの領域に足を踏み入れたミスチルとチャゲアス

ミリオンヒットが続出した “平成” という時代。たとえ末永く音楽文化が続いたとしても、あれほどの商業的な活況が訪れることは二度とないだろう。オリコンによれば平成31年間でミリオンを記録したシングルは245作にのぼる。その一方で、200万枚の大台に到達した作品に絞ると、その数はわずか19作にまで激減する。空前の音楽バブルといえども、100万枚と200万枚との間には容易ならざる高い壁が存在したことが分かる。

200万枚を正しく英訳すれば「two million」となるが、正しさよりも派手さを好む音楽業界ではそれを「ダブルミリオン」と呼んだ。雨後の筍のごとくミリオンヒットが生まれた平成であっても、ダブルミリオンに到達したシングルは一握りの中の一握り。しかし、この領域に二度足を踏み入れたアーティストが二組だけいる。「Tomorrow never knows」「名もなき詩」のMr.Children、そして今回の主役―― そう、CHAGE&ASKAである。

13週連続1位、累計売り上げ枚数282.2万枚という驚異的なセールスを記録した「SAY YES」から約2年。彼らは「YAH YAH YAH」という楽曲で再びダブルミリオンを成し遂げた。そのリリースは今からちょうど30年前の1993年のこと。バブル崩壊による大型不況が深刻化し、企業の倒産、就職氷河期、大量リストラといった形で、多くの国民が身を持って不況を痛感し始めた、そんな年のメガヒットだった。

あの頃のCHAGE&ASKAは無敵だった

先に、当時のCHAGE&ASKAの状況を振り返っておく。1991年は「SAY YES」に続き、アルバム『Tree』も勢いそのままに200万枚を超える大ヒットを記録。さらに翌1992年3月のベストアルバム『SUPER BEST II』は、同年のアルバムランキング第1位を獲得…… と、飛ぶ鳥を落とすどころか、飛ばない鳥でも飛ばせてしまいそうな “チャゲアスブーム” は、まさしく社会現象と呼ぶにふさわしいものであった。

余談だが、幼き日に私が通っていた幼稚園でも「SAY YES」は人気で、お遊戯会の発表にも使われていたことを思い出す。日本中どこへ行ってもふたりの歌声が流れていた時代――。決して大袈裟ではなく、あの頃のCHAGE&ASKAは “無敵” だった。

全国12カ所30公演のツアー『BIG TREE』を終えると、まるで喧騒から逃れるかのようにASKAは6月、CHAGEは7月にロンドンへと旅立った。ロックの聖地でレコーディングしたアルバム『GUYS』は140.7万枚のミリオンセラーを記録。この時期に発表した楽曲はどれもクオリティが高く、この作品をCHAGE&ASKAの最高傑作に推す声もある。

後に会報や雑誌のインタビューなどで語っているが、この時期の彼らは “売れること” よりも楽曲の質を追求することにこだわっていたようだ。サビの主旋律がCHAGEと女性コーラスの混声から成る「no no darlin'」をシングルで出したことにも、こうした姿勢が垣間見える。

力強く前向きな応援歌「YAH YAH YAH」

1992年のCHAGE&ASKAは貪欲にヒットを狙うよりも、納得できる音楽作りに没頭した。メディア露出も控え、最高傑作と称されるアルバムの発表により、見事にその思惑を果たしてみせた。余裕すら感じさせる仕事ぶりには王者の風格が漂う。同時に、ASKAはこのロンドン滞在中にMacやハード機材を駆使してシングル候補の新曲を完成させていた。翌年、この曲は「YAH YAH YAH」というタイトルで世に送り出されることになる。

依然として絶好調を維持するCHAGE&ASKAを横目に、日本経済は深刻な危機に直面していた。後に「失われた30年」と呼ばれる未曾有の不景気が、いよいよ市民生活にも暗い影を落としつつあったのだ。「失われた30年」は、そのまま平成の御世に一致する。平成とはつまり、陰鬱な経済衰退の時代でもある。そんな時代に甘美な恋愛ソングを聴いても、どこか白々しく感じてしまうものだ。

トレンディドラマのような華やかで煌(きら)びやかな時代はあっという間に終焉を迎え、人々は不安とストレスを抱えながら毎日を過ごしていた。1993年1月13日、ドラマ『振り返れば奴がいる』の主題歌として初めてお茶の間に流れたCHAGE&ASKAの新曲「YAH YAH YAH」は、そんな時代の変化を敏感に察知したかのような、力強く前向きな応援歌だった。

“バラードのチャゲアス” というイメージを覆す

CHAGE&ASKAといえば、繊細でロマンティックなラブソングの名手として鳴らしてきたアーティストだ。特に1980年代後半以降はそうした傾向が強くなり、「SAY YES」はその集大成ともいえる作品だった。その彼らが「♪勇気だ愛だと騒ぎ立てずに」とか、「♪傷つけられたら牙をむけ」とか、泥臭くて男っぽい言葉を拳を振り上げながら歌っているのだ。そしてサビは「♪YAH YAH YAH」の連呼である。

“バラードのチャゲアス” というイメージを覆すキャッチーなアッパーチューンに、初めは戸惑ったファンもいるかもしれない。だが、これが見事にハマった。ドラマがクライマックスを迎えた3月に満を持してリリースされたシングルは、初動売り上げ75万枚という驚異的なヒットを記録。耳に残るサビは瞬く間に日本列島を駆け巡り、最終的な売り上げは241.9万枚にまで伸びた。この年最大のメガヒットは、自身二度目のダブルミリオンとなった。

ロンドン帰りのCHAGE&ASKAが放った渾身の一撃。多くの人々に希望を与えた名曲として今なお愛され続けているが、この曲は単なる「頑張ろう」系の応援歌ではない。Cメロの「♪病まない心で」というフレーズに象徴されるように、むしろ頑張りすぎて弱ってしまった人達への優しさ―― 他者なんか気にせず自分らしくやっていこうぜ―― という癒しに満ちたメッセージソングだと解釈できるのだ。

♪今から一緒に これから一緒に 殴りに行こうか

ジャパニーズ・ビジネスマンが24時間働いた結果、未曾有の大不況が訪れたという悲しすぎる現実。そんな閉塞感あふれる日本社会、ひいては日本人に対して、CHAGE&ASKAは「♪今から一緒に これから一緒に 殴りに行こうか」と、力いっぱい背中を押す。重要なのは「一緒に」というフレーズだ。無責任に背中だけ押して見放すような真似はせず、彼らは歌を通して「一緒に」寄り添ってくれるのだ。なんという包容力!

このように時代性を反映させ、多くの病める人々を癒し、鼓舞した「YAH YAH YAH」こそ、 “平成のアンセム ”と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。

いや、平成だけではない。本曲のリリースからちょうど30年が経ち、今この国にはかつてない閉塞感と鬱屈さが漂っている。やり場のない怒り、先行きへの不安からストレスを溜め込みがちな令和の世においても、その力強くも優しいメッセージは少しも色褪せることなく、むしろ新鮮さすら伴い、現代人の胸に突き刺さるはずだ。

着飾った言葉はいらない。拳を振り上げ、シンプルな3文字――「YAH YAH YAH」と連呼するだけで、僕らはいつだって元気になれる。

カタリベ: 広瀬いくと

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