悔しさか栄転か…ワールドカップ「直後」に海外移籍した日本人11名

世界の祭典であるワールドカップは、選手の品評会としての側面を持っている。

2022年カタール大会で評価を高めた日本代表の谷口彰悟は、大会後、同国のアル・ラーヤンに移籍した。

今回は、過去ワールドカップ後に海外移籍を果たした11名の日本人選手をご紹介しよう。

中田 英寿

移籍:ベルマーレ平塚 ⇀ ペルージャ(イタリア)

ワールドカップで活躍して海外移籍を果たした日本人の第一号は、中田英寿だった。

日本代表の初出場となった1998年ワールドカップで、グループステージ全3試合にフル出場。チームは3連敗に終わったものの当時21歳だった中田のプレーは世界に認められた。

移籍先の候補にはビッグクラブの名前も挙がったが、中田が選択したのは十分な出場機会が見込まれたイタリアのペルージャだった。

その計算通り、中田はペルージャでセンセーショナルな活躍をみせ、短期間でローマへと移籍している。

鈴木 隆行

移籍:鹿島アントラーズ ⇀ ヘンク(ベルギー)

“金狼”鈴木隆行といえば、自国開催となった2002年ワールドカップだろう。

ベルギーとの初戦で値千金の同点ゴールを決め、日本に歴史的な初勝点をもたらすと、大会後、対戦相手だったベルギーの強豪ヘンクに期限付き移籍を果たした。

ただ当時のヘンクにはヴェスリー・ソンク、ムムニ・ダガノという看板ストライカーが君臨しており、鈴木はシーズン無得点に終わることに。

日本代表からも遠ざかり、ステップアップすることはできなかった。

小笠原 満男

移籍:鹿島アントラーズ ⇀ メッシーナ(イタリア)

言わずと知れた鹿島のレジェンドも、短期間ながら海外でのプレー経験がある。

2002年日韓大会、2006年ドイツ大会と2大会連続でワールドカップに出場した小笠原は、2006年8月、セリエAのメッシーナへ移籍した。

結果としては、出番を得られず1シーズンで日本へ復帰。黄金世代の一人であり、早くから鹿島の王様として君臨していた小笠原にとって、残留争いをするクラブの水は合わなかった。

ただもともと攻撃的MFだった彼は、このイタリアでの1年間で守備を磨き、ボランチとして鹿島のレジェンドとなっていく。

内田 篤人

移籍:鹿島アントラーズ ⇀ シャルケ(ドイツ)

内田篤人は、2010年ワールドカップの大会前にシャルケへの移籍が決定した。

大会には、移籍前の最後の晴れ舞台として臨むはずだったが、自身のコンディション不良やチームの不振によるメンバーの大幅な刷新でまさかの先発落ち。

右サイドバックのポジションを駒野友一に明け渡し、チームがベスト16を達成するなかで一度も出場機会を得られなかった。

ただこの悔しさをバネにドイツで奮闘。代表でのポジションも奪い返し、2011年のアジアカップ制覇や2014年ワールドカップ出場を果たしている。

川島 永嗣

移籍:川崎フロンターレ ⇀ リールセ(ベルギー)

2022年大会に4大会連続でメンバー入りを果たした川島。出番はなかったものの、精神的な支柱としてチームを支えた。

そんな彼もまた、南アフリカで開催された2010年のワールドカップ後に世界へと羽ばたいた一人だ。

同大会は本来であれば楢崎正剛が正GKを務めるはずだった。しかしチームの不振により、岡田武史監督は直前で守護神の交代を決断、そこで抜擢されたのが川島だった。

川島はこの起用に応え、チームのベスト16入りに大きく貢献。大会後、昇格したばかりのリールセに完全移籍している。

長友 佑都

移籍:FC東京 ⇀ チェゼーナ(イタリア)

2022年大会に4大会連続で出場した長友佑都。そんな彼の世界デビューともいえる大会が、2010年のワールドカップだ。

長友は、左サイドバックとして鉄人ぶりを遺憾なく発揮。大会後にはその活躍が評価され、セリエAに20シーズンぶりに昇格したチェゼーナへ移籍した。

当時所属先だったFC東京の退団セレモニーで「世界一のサイドバックになって、また青赤のユニホームを着たいです」と涙ながらに語った長友。

全てがその言葉通りにはならなかったものの、チェゼーナ移籍後にはインテルで活躍。そして約束通り、2021年にはFC東京へと復帰を果たしている。

矢野 貴章

移籍:アルビレックス新潟 ⇀ SCフライブルク(ドイツ)

大型ストライカーとして知られた矢野だが、2010年当時、所属するアルビレックス新潟ではシーズン無得点だった。

しかしそれまでの経験や高さ、プレッシング能力を岡田武史監督にかわれ、ワールドカップにサプライズ選出。

矢野はその期待に応え、大事なグループステージ初戦のカメルーン戦で途中投入されると、チームの逃げ切りに貢献した。

ただ出番は限られており、大会後、「自分はこのままではダメだと感じました」と移籍期限ぎりぎりでドイツのフライブルクへと移籍している。

阿部 勇樹

移籍:浦和レッズ ⇀ レスター(イングランド)

イビチャ・オシムに愛された万能MFは、岡田武史監督の日本代表でも重用された。

ベスト16入りを果たした2010年ワールドカップで、アンカーとして全試合にスタメン出場。阿部の働きぶりはMVP級に評価された。

大会後、オランダの名門フェイエノールトなどからも関心が寄せられる中、当時イングランド2部チャンピオンシップだったレスターへ移籍。

レスターでは出場機会を得たものの、2012年1月22日、日本に残していた家族を最優先したいとの理由で契約を解除。プレミアリーグでプレーする機会はなかった。

柿谷 曜一朗

移籍:セレッソ大阪 ⇀ バーゼル(スイス)

天才と呼ばれながらも伸び悩んでいた柿谷曜一朗。

2013年のEAFF東アジアカップ(現E-1選手権)で日本代表デビューを飾ると、同大会の得点王に。2014年ワールドカップのメンバーに滑り込みを果たした。

ただ本大会では大迫勇也やサプライズ招集された大久保嘉人の存在もあり、出場はわずかの25分。その悔しさが海外移籍を決断させた。

しかしスイスのバーゼルでは怪物ブレール・エンボロの台頭もあり、1シーズン半で日本に復帰している。

植田 直通

移籍:鹿島アントラーズ ⇀ セルクル・ブルッヘ(ベルギー)

植田直通は、日本においては貴重な武闘派センターバックとして大きな期待を集めた。

2018年ワールドカップは選出されたものの出番を得られず。大会後、「世界の舞台で戦う選手たちと勝負するためには、もっともっと成長しなくてはいけないという思いを強くしました」と語り、セルクル・ブルッヘに移籍した。

ただそれからの4年間は苦難の連続であった。その間、コパ・アメリカにこそ出場したものの、日本代表からは遠ざかり、2022年ワールドカップ出場も逃すことに。

再起をかけ、今シーズンから再び鹿島でプレーする。

遠藤 航

移籍:浦和レッズ ⇀ シント=トロイデン(ベルギー)

ロシア開催の2018年ワールドカップで一度も出番を得られなかった遠藤。同大会後、シント=トロイデンに移籍した。

当時浦和のサポーターに謝罪したように、急転直下の海外移籍だった。それほどロシア大会は苦い経験だったのであろう。

ただこの決断は彼を劇的に変えることとなる。1シーズンでドイツのシュトゥットガルトへの移籍を果たすと、デュエル王と呼ばれるまでに急成長。

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日本代表でも欠かせない存在となり、2022年ワールドカップでも素晴らしい活躍をみせている。

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