タリバン復権で危ぶまれる世界遺産の存続 相次ぐ盗難や破壊、バーミヤンの未来を憂う―安井浩美のアフガニスタン便り

バーミヤン西大仏の「仏龕(ぶつがん)」と景観保護地区の村

 アフガニスタン中部の世界遺産バーミヤン遺跡で2001年、イスラム主義組織タリバンの旧政権が大仏2体を爆破した。そのタリバンが2021年8月、20年ぶりに復権し、世界遺産の存続が危ぶまれている。アフガン情報文化省の職員はタリバンが国を掌握する前から、バーミヤンでの貴重な発掘品を首都カブールへ移送するよう何度も中央政府に要請していたが、実現はかなわなかった。タリバンがバーミヤン中心部へ侵攻する数時間前には、何者かが日本とドイツの調査隊の収蔵庫の扉を開け、発掘品を盗み出したと当時現場にいた人々は証言する。さらには、2002年から2012年までに世界最大級の東大仏(高さ約38メートル)前から発掘された仏頭などの遺物がほぼ全て盗み出されたり、破壊されたりしたと情報文化省の職員は明かした。
 カブールに住んでいる私は、タリバン復権を受けて日本の自衛隊機で隣国パキスタンにいったん退避し、3か月後にカブールに戻った。バーミヤンの現状を見るため現地に駆けつけたかったが、厳しい冬を前にしてすぐには実現できなかった。結局、訪問できたのはタリバン復権から10カ月以上が過ぎた2022年6月と9月だった。現地の状況を報告する。(共同通信=安井浩美)

アフガニスタン・バーミヤン遺跡の位置

 ▽収蔵庫はタリバン兵の宿舎に
 バーミヤンに到着し、まず大仏の対面にある丘の上の収蔵庫に向かった。きっと取材は許可されないだろうと思っていたら、警備の男性が快く中に入れてくれた。ここは、公益社団法人「日本ユネスコ協会連盟」が日本の支援者の寄付で建築した文化センターだった。2003~13年にバーミヤン遺跡、特に壁画の修復保存作業に当たった「東京文化財研究所」のみなさんがここに滞在していたことを思い出した。
 建物は老朽化し、現在はタリバン兵の宿舎となっているようだった。同じ敷地内に5部屋ほどの収蔵庫がある。収蔵庫には調査時に発見された遺物や備品が納められ、日本隊とドイツ隊がそれぞれ2部屋ずつ使用していた。情報文化省の職員が調査に訪れたとき、壊れた鉄格子を板金処理した上で鍵をかけていた。しかし、収蔵庫として使っている部屋の扉は取っ手が破損していたので、開けて鉄格子際に収蔵庫の中をのぞくことができた。

丘の上にある博物館から見た東西大仏

 ▽思わず「あらー」
 まず石窟の壁画の修復保存を担当していた日本隊の倉庫をのぞくと「あらー」と思わず声が出た。おもちゃ箱をひっくり返したような散らかりようだ。地面がほとんど見えない。遺物の破片を入れたプラスチック製の入れ物が倉庫に散乱する隙間から「金鳥」の商標で知られる蚊取り線香の箱がやけにカラフルに見えた。いったい何がなくなっているのか把握することも難しそうだった。

おもちゃ箱をひっくり返したような日本隊収蔵庫

 もう一つの倉庫には、発掘のための備品やコンピューター、プリンターなどが置かれていたが、こちらは空箱だけがあるように見えた。同じく、足の踏み場がないほど散らかっていた。
 続いて東西の大仏の修復保存を担当していたドイツ隊の収蔵庫を開けてみた。日本隊よりは収蔵品が少ないようで、棚にきれいに収められていたトタン製の箱がいくつか引き出されていた。同じくトタン製の物持ちのような箱もねじ開けられていた。ドイツ隊収蔵庫には、2006年と08年に東大仏の修復保存作業をしていたドイツ隊が発見した二つの貴重な遺物が納められていた。タリバン復権後、カブールに戻った際、カブール博物館長にこの遺物の状況について尋ねると、「盗難されていない」と明言していた。その言葉を信じていたが、現場に来て情報文化省の職員に聞いてみると「残念ですが両方とも盗まれました」と答え、肩を落とした。

足場が組まれた東大仏

 ▽ドイツ調査隊の発見
 仏教徒なら手を合わせて祈らずにはいられないほど貴重な仏教遺物が東大仏から発見されていることは、意外にも知られていないのではないだろうか。
 タリバンが破壊した東大仏の残骸の中から2006年7月、6―7世紀の文字で書かれた「胎内経」とみられる経典の一部の経文が見つかった。専門家による解読で、7世紀にバーミヤンを訪れた中国の僧、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が漢訳し、日本にも伝わった「縁起経」の梵語(サンスクリット)原典に相当するものと判明した。建立時に大仏内部に納められた可能性が高く、謎に包まれた大仏建立の経緯解明にもつながるような発見だった。

縁起経断簡(イコモス・ドイツ調査隊提供)

 経文は、当時東大仏の「仏龕(ぶつがん)」の修復保存を担当していた国際記念物遺跡会議(イコモス)のドイツ調査隊が発見した。この場を借りて今一度、この経文について触れておきたい。

 ▽失われた貴重な仏教遺物
 バーミヤン渓谷から発見された仏教写本の研究者である仏教大の松田和信教授に、東大仏の残骸から発見された経文の解読をお願いした。突然の依頼にもかかわらず、快諾してくださり、あっという間に解読してくださった。
 経文は、北インドからパキスタン、アフガンにまたがる地域で6―7世紀に使われた「ギルギット・バーミヤン第一型文字」で書かれていた。縁起経は、万物は永遠不滅ではないことを説く代表的な経典で、仏教思想の根幹を表し、これを「縁起」という言葉で表現する。
 経文の内容は、ブッダが修行僧に対し、「あなた方に縁起(の要点と詳細)を説明しよう。(それを聞いてしっかり)正しく(考えなさい)」などと説く冒頭部分だった。調査隊の故メルツル氏によると、経文は短冊状の樺の樹皮に書かれ、仏舎利(ブッダの遺骨)に見立てたと考えられる泥玉とともに、布に包まれた状態で発見された。花模様をあしらった円形の金属板も一緒に見つかったため、筒状の容器に入っていたとみられる。
 松田教授によると、仏像に納められた経文がアフガニスタンで見つかったのは初めて。経文の解析が進めば、バーミヤン研究の飛躍的な発展につながりそうだと言われていたのに、研究が始まる前に盗難されてしまった。

東大仏の残骸から発見された麻布にくるまれた縁起経と泥玉

 ▽大仏内に供養品
 もう一つは、2008年、イコモスのドイツ調査隊の修復専門家が、東大仏の仏龕の壁面を修復保存作業中に、右腕の部分から6世紀ごろの大仏建立時に供養品として埋葬された麻袋を発見した。袋は泥で封印してあり、獅子と馬とみられる模様の刻印が残されていた。

東大仏で遺物が発見された腕の部分を指さすイコモス・ドイツ調査隊の修復家

 7世紀にバーミヤンを訪れた玄奘三蔵は、著書「大唐西域記」の中で東大仏を「釈迦仏」と記述したが、破壊前から損傷が激しく、仏像の種類の特定には至らなかった。専門家や仏陀の伝記によると、獅子は釈迦を表し、馬は釈迦の誕生を象徴するとされ、東大仏が釈迦仏と裏付けられたことになる。
 麻袋は長さ、幅ともに約5センチ。胸の前で手のひらを見せる「施無畏印」(せむいいん、「畏れる必要はない」と人々を安心させる意)を結んでいたと思われる右腕のひじの部分に、小石と泥で目張りされた直径10センチほどの穴があった。その中に千年以上の時を経てもなお手つかずの状態で、麻袋と香とみられる乾燥した植物が納められていた。麻袋の泥の封印は2カ所で、連珠の文様の中に獅子と馬らしいものが刻印されていた。
 イコモス専門調査員のエミリング教授は、「麻袋は(大仏の)胎内に納めるため、大仏建立を祝ってインドから贈られたものだろう」と指摘している。袋の中身の確認は、封印の綿密な調査を終えてから行う予定だったが、結局調査に着手する前にこちらも盗難されてしまった。
 これらの貴重な遺物は、バーミヤンの文化センター内の博物館で目玉の展示品となるはずだったのに日の目を見ることなく盗まれてしまい、残念でならない。

東大仏の腕の部分から発見された、麻布にくるまれ泥の刻印が押された遺物

 ▽タリバン復権後、失われる世界遺産の景観
 「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群」として、2003年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産登録と同時に、存続が危ぶまれる「危機遺産」に指定されたバーミヤン遺跡群。2体の東西大仏とともに千以上の仏教石窟群と周辺のフォラデイ石窟やカクラク石窟などの古代遺跡とともに、バーミヤン遺跡周辺に広がる景観も遺産登録されている。
 2021年のタリバン復権後、バーミヤン渓谷の景観が違法建築により破壊されつつある。2体の大仏前の集落に隣接する農地が更地となったり、建物が建てられたりして、西大仏前のキャラバンサライ(隊商宿)跡は冬を前に石炭売り場となっていた。遺跡前の道路は、遺跡への振動を防ぐためにトラックなどの通行が禁止されているにもかかわらず、そんなことはお構いなしに大型トラックが石炭を運んでくる。西大仏前の旧バザールでは、ユネスコへの相談もなくタリバン政権は開発を許可したが、結局ユネスコに連絡が入り、開発は差し止めとなった。メインのバザールに続く交差点をはさみ、反対側にもバザールが伸びており、ガソリンスタンドの建設も進んでいる。

西大仏前のキャラバンサライ跡の石炭売り場

 残念な話だが、ユネスコにもこれらの建設を制止する力がないのか、現在も建設が進み、世界遺産に登録されている景観が徐々に失われているのが現状だ。バーミヤンでの遺跡の修復保存も行われておらず、遺跡群が様変わりする日もそう遠くないと思われる。一刻も早く手を打ちたいものだが、タリバン暫定政権が国家承認されない限り外国の専門家がアフガンで活動することも難しい。それどころかタリバンは世界に反抗するように、小学校以外の女子教育を禁止してしまった。恐怖政治を敷くタリバンに立ち向かえる市民はおらず、ただただ推移を見守るのが精いっぱいなのが今のアフガンだ。この国の、そしてバーミヤンの未来を憂えてならない。

景観保存エリアのはずのジャガイモ畑は今、更地になり景観を損ねている。奥に東西大仏の「仏龕」が見える

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