「まるで皮膚」のような独自生地 火災で全従業員解雇も…技術力生かし再建「1人でも職場に戻れるように」

ものづくりの粋が詰まったバレエ用タイツなどを紹介する長尾勝社長=サン・エース

 起業前に「3度のクビ」を経験した経営者がいる。取引先のブランドで衣料品を企画製造するサン・エース(兵庫県姫路市御国野町深志野)の創業者、長尾勝さん(75)。資本金1千万円の小さな会社だが、ヒットした着圧ストッキングの開発製造元だったり、世界的なブランド向けタイツはパリコレでモデルが身に着けたり。1982年の創業から約40年、社長として会社を盛り立ててきたが、2年前、全従業員を解雇せざるを得ない苦境が襲った。全てを失っても再建へと立ち上がった胸の内には、ある思いがあった。

 2020年師走。姫路市東部の住宅街を何台もの消防車がサイレンを響かせ、駆け抜けていった。火元はサン・エースの本社事務所兼工場。放水にも火勢は衰えない。長尾さんは消火活動を見守るしかなかった。

 幸いけが人はいなかったが、建屋も設備も全焼。設備のショートが原因だった。「いつ再建できるか見通せない。区切りをいったん付けさせてください」。長尾さんは2カ月後、全従業員41人を焼け跡に集め、解雇を告げた。自身も職を失った経験があるだけに、コロナ禍の中で生活の基盤をなくす従業員に対し、心苦しい思いでいっぱいだった。

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 長尾さんが、親類の知人が経営する九州のストッキングメーカーに入ったのは1970年。団塊世代が社会へと出る時期と重なり、パンストは売れに売れた。

 ところが、急拡大がたたった。生産と販売のバランスがとれずに収支が悪化。人員整理だけでは経営を立て直せず、会社ごと売却されることに。「経営者は身内同然で会社に残りづらかった。最初のクビです」

 再就職先は婦人服メーカー。チーフに抜てきされ、企画から製造、販売まで手がけた。ものづくりの面白さを感じていた入社5年目、社長に呼び出された。「クビや」。当時、兄が姫路でストッキングメーカーを設立し、長尾さんを呼び戻そうとしていた。それを知った社長の気遣いだった。

 30歳で入社した兄の会社は積極投資を続けた。設立3年目の年商は12億円、6年目は24億円と急拡大。ただ、競合他社もこぞって24時間フル操業を続けていた。市場は供給過多になり、格安な通信販売も広がったことで、兄の会社は安値競争から抜け出せず、設立6年半で倒産。長尾さんら社員120人が職を失った。

 残務整理を終えた後、「生きないかんし、パンスト以外に開拓できる市場はまだまだあるはず」と、自ら会社を起こした。それがサン・エースだった。ニッチな新商品を企画開発し、取引先に売り込む経営スタイルが受けた。

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 全てを失った焼け跡で、長尾さんは取締役の次男逸人(はやと)さん(47)と再建への道筋を探り始めた。総額6億円を超える資金が必要だった。火災の翌週には旧知の会社を訪ね「設備を貸してください」と頼み込んだ。計4社の協力を得て生地を作ってもらい、21年1月には焼け跡のプレハブで出荷を始めた。

 夏には建屋の再建にこぎつけた。可能にしたのは「まるで皮膚」のような手触りの独自生地、かかと部分の立体仕上げなど、ものづくりへのこだわりだ。「取引先もサン・エースの技術を失いたくなかった」(日本政策金融公庫)

 現在、バレエ用タイツ、むくみ・下肢静脈瘤(りゅう)改善機能のあるタイツなど、生産規模は火災前の4割程度を確保。解雇した全従業員のうち、21人が職場に戻れた。長尾さんの再建への原動力もそこにある。

 「『また働きたい』と言ってくれる元従業員が今もいてくれる。何とか注文を増やし、1人でも多く戻ってこられる会社にしたい」

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