「殺しの愛の詩」 巨匠ガリン監督初のホラー、CGなしで作り出す恐怖 【インドネシア映画倶楽部】第47回

Puisi Cinta yang Membunuh

2023年の第一作目は、巨匠ガリン・ヌグロホ監督が初めて手がけるホラー。「従来とは異なるジャンルを作るべきだと考えた」と監督が語る、「新しいホラー」とはどのようなものか。CGはいっさい使用せず、ほとんどのシーンは昼間でありながら、恐怖感を作り出す。人の心に潜むトラウマを描き、詩的なせりふも物語のキーとなる。

文と写真・横山裕一

2023年、新年最初の映画館鑑賞作品がホラー映画はいかがなものかとも思ったが、巨匠ガリン・ヌグロホ監督が初めて手掛けるものとあれば、新年1本目に相応しいともいえる。同監督が1990年代に出版した詩集「アダム、イブ、そしてドリアン」をベースに映画化したもの。監督自ら「新しいホラー分野を目指した」と話す作品とはどんなものか。

冒頭、恐怖ではなくエロティシズム漂うシーンから始まり、ガリン監督作品「我が素晴らしき肉体の記憶」(Kucumbu Tubuh Indahku /2019年作品)の延長線上の雰囲気を漂わせる。しかし早々に猟奇的な場面へと転換しホラー作品であることを実感させる。

物語は美しい詩を好むファッションデザイン専攻の女子大生ハヌムが主人公で、彼女に好意を寄せる登場人物が背信行為に及ぶたびに、次々と謎の残酷な死に至っていく。自らの周囲にただならぬことが起き始めていると感じ、恐怖するハヌム。自らも忘れてしまっている遠い過去の記憶、トラウマに起因すると気づき始めるハヌムは不思議な現象にとらわれていく。

本作品は従来のホラー作品でよくある「見た目の恐怖」とは一線を隠した、心理的恐怖に訴えかける。ほとんどのシーンが日中であるのも特徴的だ。物語が進行するにつれて、疑問として引っかかるシーンがいくつか出てくる。現実的な事象なのかそうでないのか、何を意味するものなのか? 主人公の心の中で膨れ上がる恐怖、深層心理を映像化させているのか、などと鑑賞しながら色々と考えさせられる。

このため本作品はホラー映画というよりも、超常現象を含めたサイコサスペンス的な作品かと感じながら見入っていくが、最後にはやはりサイコホラーだったのだと確認する。見た目、雰囲気に驚き恐怖感を味わう従来のホラーにとどまらず、鑑賞する者にあれこれと思考を深めさせ、恐怖の可能性を考えさせるところにこの作品の魅力があるといえそうだ。

タイトルにあるように、詩的な言葉をたずさえた愛情はエロティシズムを含めた甘美なものでもあるが、一度それが裏切られると愛情は憎悪に変わり、血塗られた惨劇へと至る。愛情と憎悪、甘美な世界と悲劇の二面性を人間は持ち合わせている、ということが本作品のテーマの一つでもある。タイトル通り、作品中のセリフは詩的な内容が多く、時に物語のキーにもなるため、じっくりと会話を噛み締めながら聞いていただきたい。

冒頭紹介したように、ガリン・ヌグロホ監督は作品の試写発表の際、「アジアで最も人気なホラー映画を発展させるには、従来とは異なったジャンルを作るべきだと考えた」と話していて、本作品は愛情や暴力などと共に「人間一人一人に潜むトラウマについて描いた」としている。誰もが過去に抱えるトラウマは時に恐怖、ホラーとして心に蘇ることもあり、これをベースにラブロマンスを交えながら筋の通ったストーリが展開されている。またCGなど特殊効果を一切使用せず、通常撮影の中で恐怖感を作り出している点も特徴だ。

まさに従来のホラー作品群とは異なり、新たな試みが感じられる作品である。定番のホラー作品を好む方には物足りなさを感じる場合もあるかもしれず、地元の評価も二分しているようだ。個人的には非常に魅力ある作品として鑑賞できた。主人公を演じた女優、マワル・デ・ヨン(Mawar De Yongh)の好演が光り、映画「べバス/自由」(Bebas /2019年作品)で愛嬌あるゲイの高校生を演じた俳優、バスカラ・マヘンドラ(Baskara Mahendra)が一転して落ち着いた青年を演じているところも興味深い。巨匠が挑戦した「新たなホラー」がどのようなものなのか、是非とも鑑賞して従来のホラー作品との違いを感じていただきたい。

以下は全くの余談だが、平日の昼間に鑑賞したため、筆者の上映回の観客は珍しく一人きり、完全な「貸切映画館」となった。上映が終了し明かりが灯ると、清掃員のおばさんが背後から声をかけてきた。

「お連れさんはどこへ行ったの?」

やや驚きながら聞き直すと、二人以上で映画鑑賞に来るのが通常なので純粋に尋ねただけだったようだ。もし仮に上映中、おばさんが筆者の隣に人影を見ていたのだったら、それこそ本当のホラーだなと思いながら劇場を後にした。

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