【コラム】新潟市出身で東北大学名誉教授、吉原賢二さんとの関わり(にいがた経済新聞社・近藤敬)

上杉氏の家臣志駄一族の盛衰をまとめた「夏戸城のロマン」

新年早々、ご親戚からの年賀状で新潟市出身で東北大学名誉教授「吉原賢二氏」が11月27日にご逝去されたことを知った。実を言えば、同氏は本来であれば以前からもっとお名前が知られてしかるべき方では有るが、地元紙の文化度もあって、ほとんど取り上げられていないのが勿体ないと思う。

高校の大先輩でもあるので「さん」付けにさせていただきたいと思うが、吉原さんには大きく三つのお顔が有る。(略歴をご参照)

一つは国際的なホットアトム化学者としての顔。

二つ目は国民運動のリーダーとしての顔。

三つ目としては歴史家・文化人の顔の三つであり、それぞれに顕著な業績を有している。

先ず、専門の放射化学の分野では明治41年に小川正孝氏(元東北大学学長)が新元素として国際的に発表し、その後存在が否定されていた「ニッポニウム」が実は元素番号75のレニウムであることを実証して大学の大先輩である小川氏の汚名を晴らしたことである。

この功績により「化学史学会学芸賞」とういう国際的な賞を受賞している。

二つ目は、吉原さんのご二男が「インフルエンザ予防注射の副作用」により脳性まひで寝たきり状態になってしまったもの。ご自身も寝たきりの子どもの面倒を見る傍ら、全国の患者の代表として20年以上の長きにわたり裁判に臨んで国庫賠償法の改正を果たした。

三つ目の文化人としては、大学進学にあたって歴史家の道も考えたとご本人も言っているとおり、歴史家としても素人の域を超えている。ご自身のルーツ研究でもある上杉氏の家臣志駄一族の盛衰をまとめた「夏戸城のロマン」は歴史の糸をたぐる面白さ、ロマンあふれる感動の人間ドラマとなっている。

また、日本エッセイストクラブの会員でもあり、その著書は分野を問わず人間性が溢れる作品となっている。

吉原賢二さんご本人は1929年新潟市内のお生まれだが、ルーツは旧中ノ口村の三ツ門にあり、現在も現地には一族が住んでいる。

近藤は中ノ口勤務時代に甥の泰蔵さんと知己を絵て、吉原さんのことを知った。平成24年(2021年)秋に村の老人会の研修ツアーとしてメディアシップでご本人をお迎えして「講演会」を開催した。講演会にはコミュニティ協議会会長以下80人以上の参加者があったが「胎内城の山古墳と弥彦神社の関係」という講演テーマは少々マニアックだったかも知れない。

旧中ノ口村最後の村長である如澤寛氏は親戚ということもあるのか、非常な文化人で村長時代には毎月広報にエッセイを掲載し、それをまとめて書籍「村長の独り言」として出版している。

数年前に亡くなられたご二男が予防注射禍に倒れられ大変なご苦労をされたものと思われるが、ご本人は日野原重明氏との親交もあったそうで、亡くなるまで執筆を続けて居られたとお聞きし改めて尊敬の念を新たにしている。

なお、吉原賢二さんは旧制新潟高校を卒業しておられ、高校の先輩でもあることから、同窓会に訃報を伝えたところ、10月に電話でお話ししたばかりだったので信じられないとのことでした。

(にいがた経済新聞社・近藤敬)

(吉原賢二氏 著書一覧)
「科学に魅せられた日本人―ニッポニウムから光通信まで」 岩波ジュニア新書
「私のヒストリア光る波のように」
「私憤から公憤へー社会問題としてのワクチん禍」 岩波新書
「宗教・教員・芸能・地域文化 日本史郷土史体系」
「卑弥呼から神武へ日本の古代史を見直す」
「のちの世に伝えるために東日本大震災、ニッポニウムのことなど」
「夏土城のロマン」 真菜書房
「科学者たちのセレンディピティーノーベル賞への道のり」
「夕映えの杜に」
「いのちの杜に歌声起こる」
「預言者ホセアについて」
「アイソトープ化学の基礎と応用(1975年)」
「日本の歴史と個人の歴史事実と真実からのアプローチドラマチックに」
「老人保健法の解説」
「歴史を貫くもの」 無協会文庫」

(吉原賢二氏 略歴)
1929年 新潟市生まれ 旧制新潟高校卒
1954年 東北大学理学部化学教室卒業
1954年 通産省電気試験所入所
1957年 日本原子力研究所研究員
1963年 西ドイツ・カールスルーエ原子核研究センター客員教授
フランス・ストラスブール原子核研究センター共同研究
1982年 東北大学理学部化学科教授
1993年 東北大学退官後名誉教授就任
2008年 「化学史学会学術賞」受賞

© にいがた経済新聞