視界は「5円玉の穴くらい」…41歳で難病になった男性 子どもは2人、会社辞め盲学校へ

資格習得のため実習を重ねる玉村隆信さん=福井県福井市の県立盲学校

 福井県越前市の男性(51)があん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得するため、県立盲学校で学んでいる。41歳のときに視野が狭くなり、物が見えにくくなる「網膜色素変性症」と診断された。「失明したとしても自分の力で稼いで、家族を守っていきたい」と49歳で勤務先をやめ、一念発起した。現在は生徒会長として2度目の高校生活を送っている。

 男性は玉村隆信さん。視野は「5円玉の穴くらい」といい、外では白杖を持って歩く。最初に目に違和感があったのは24歳のとき。目がかすみ、月が何重にも見えた。「特殊な乱視」と診断された。41歳になると症状が顕著になり、難病と診断された。医師からは「失明する可能性がある」と告げられた。

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 勤務先の社長は「気にしないで会社に来い」と言ってくれた。「働き口を失わなくてすむことが唯一の救いだった」。43歳で運転免許証を返納し、障害者手帳を申請した。同僚たちは、自宅から会社まで交代で送迎してくれた。

 視野は年々狭くなっていった。仕事がこなせなくなり、会社に居づらくなった。そんなとき、県立盲学校が事務局となり視覚障害者の支援を行うネットワーク「羽二重ねっと」を見つけた。盲学校で資格習得のために学べることを知り、入学を決意し退職した。

 入学後は、専門的な勉強の連続。何度も実習を繰り返し、手に体のつくりを覚え込ませる。玉村さんは「悩んでいる時間がないのはありがたい」と笑う。

 30歳で結婚し、子どもは2人。「盲学校に入るまでは、障害者は周囲で自分一人だった。学校にいると、頑張ろうと思えるし、失明しても自分の力で稼げるように手に職をつけたい」

 高等部2年生の本年度は、生徒会長を務める。「することがたくさんあって大変」と言いながら、前向きに高校生活を送っている。

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