国立映画アーカイブ 上映企画『日本の女性映画人①──無声映画期から1960年代まで』が2月7日(火)より開催

日本における女性映画人の歩みを歴史的に振り返る、国立映画アーカイブによる上映企画『日本の女性映画人①──無声映画期から1960年代まで』が2月7日(火)から3月26日(日)まで開催される。 上映企画「日本の女性映画人」では、日本における女性映画人の歩みを歴史的に振り返り、監督・製作・脚本・美術・衣裳デザイン・編集・結髪・スクリプターなど様々な分野で女性が活躍した作品を取り上げる。従来の日本の製作現場では男性が圧倒的多数を占めており、スタッフとして貢献した女性たちの存在の多くはこれまで見過ごされてきた。 本企画は、Part 1として、無声映画期から1960年代以前にキャリアを開始した女性映画人80名以上が参加した作品を対象に、劇映画からドキュメンタリーまで、計81作品(44プログラム)を上映する大規模な特集上映。近年再評価が進んでいる、女性監督第1号の坂根田鶴子、女優から監督に進んだ田中絹代や望月優子、脚本の水木洋子や田中澄江、編集の杉原よ志、衣裳デザインの森英恵のみならず、多様な領域で手腕を発揮した女性映画人たちにスポットライトを当てる。

▲『お父さんの歌時計』[無声短縮版](1937年、原作・脚本:鈴木紀子)

また、戦前の日本映画の黄金期に大手映画会社で健筆をふるった鈴木紀子(1909-1985)を中心として、戦前の女性脚本家の小特集も行なう。 脈々と築きあげられてきた女性映画人たちの歴史を掘り起こし、その仕事を見直すことによって日本映画への新たな視座が切り拓かれることを願っての上映企画だという。

『日本の女性映画人』の見どころ

▼無声映画期から戦後にかけての女性脚本家たちの活躍

戦後には文芸映画を中心に女性脚本家の活躍が目立ちましたが、無声映画期には幅広いジャンルで女性たちが執筆しており、剣戟時代劇を多作した林義子や社喜久江、松竹蒲田で母ものや少女ものに携わった水島あやめを取り上げます。また、無声映画期から戦中にかけて活躍した鈴木紀子は、『チョコレートと兵隊』(1938、佐藤武)や『花つみ日記』(1939、石田民三)などの秀作を手がけました。そして、戦後にデビューした水木洋子、田中澄江、橋田壽賀子、楠田芳子、和田夏十らが個性豊かな作品群を送り出しました。

▼戦前から専門職として確立されていた結髪やスクリプターに注目

無声映画期には、撮影所に女優が誕生するよりも先に結髪部の女性スタッフが定着していました。増淵いよのと伊奈もとは、1917年から日活向島で女形の結髪を手がけて以来、戦後にかけて活躍しました。また、製作現場での記録を担当するスクリプターは女性採用がある限られた職種でしたが、戦前から女性が主力の専門職として確立され、40年以上の長いキャリアを歩んだケースや、スクリプターを出発点に監督やプロデューサーなどへ進んだケースもありました。日本の女性スクリプター第1号と推定される坂井羊子はじめ、戦前からの草分けである三森逸子、鈴木伸、藤本文枝、城田孝子から、戦後にデビューした中尾壽美子、秋山みよ、宮本衣子、野上照代、白鳥あかね、梶山弘子、高岩禮子まで、日本映画黄金期の多大な貢献に光を当てます。

▼文化・記録・教育映画で手腕を発揮した女性監督たち

戦前より先駆的活動をした脚本家の厚木たか以降、文化・記録・教育映画の発展を背景として1950年代から女性監督たちが実績を上げていました。科学映画で定評のあった中村麟子、岩波映画でデビューして活躍した時枝俊江と羽田澄子、教育映画の西本祥子、PR映画なども含め幅広く手がけたかんけまり、人形アニメーションの神保まつえ、さらに1960年代に監督デビューした藤原智子と渋谷昶子を取り上げます。 上映作品の詳細につきましては、下記のURLからご覧ください。 企画HP:https://www.nfaj.go.jp/exhibition/women202212/#section1-2

▲『キクとイサム』(1959年、脚本:水木洋子)

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