阪神大震災「経験なくても語りたい」決意と葛藤抱える「ポスト震災世代」 発生から28年、一人一人の記憶をどう継承するか

 震災の伝承活動をする団体のメンバーと話す藤原祐弥さん(右から2人目)=2022年11月、神戸市長田区

 1995年1月17日に阪神大震災が発生してから28年。当時惨状を直接経験した世代の高齢化が、記憶や教訓の継承を巡る大きな課題となっている。直接の経験がなければ、語る資格はないのか。迷いを乗り越え、地震発生時の記憶を持たない「ポスト震災世代」が語り始めている。若者3人の決意や葛藤を追った。(共同通信=森脇江介、齊藤奏子)

 ▽動画サイトが後押し、父の背中追い語り部2世に

 兵庫県淡路島出身で今は川崎市に住む会社員米山未来さん(28)に、生後2カ月で起きた阪神大震災の記憶はない。父正幸さん(56)は、震災で地表に現れた断層を保存する北淡震災記念公園(兵庫県淡路市)で総支配人を務め、語り部としても活動してきた。
 米山さんは「幼い頃から震災の話を聞いて育ち、何度も泣いた」という。進学先の東京で「友人が震災を知らないのにがくぜんとした」のが継承への原動力だ。
 それでも「記憶がなく、語り部になりたいとはなかなか言い出せなかった」。転機が訪れたのは2018年、友人に誘われて「面白そう」と思ったインターネットのライブ動画配信サイトに登録した。「最初はファッションとか好きなことを話そうと思っていた」といい、語り部をやる場所になるとは考えていなかった。
 そのライブ動画配信サイトには視聴者の夢を応援する雰囲気があり、米山さんもある日「あなたの夢は何?」と視聴者に問われた。「実は震災の語り部をやりたいんです」。おそるおそる本音を口にしたが、娯楽を求める視聴者の反発を買うのではとびくびくした。だが予想は裏切られ、「いいじゃん。やりなよ」と応援されて驚いた。

 ライブ動画配信サイトで阪神大震災について語る米山未来さん

 2019年8月から計約数十回にわたるライブ動画配信で震災の被害や防災情報について語ってきたが、「経験者がやるべきと意見されたことがある」と明かす。話の途中で「記憶はない」と告げると、「あなたの話に信ぴょう性はあるのか」と突っ込まれた。「どんなに話を聞いて勉強しても伝聞調になってしまう」ことが課題に立ちはだかった。
 ライブ配信サイトではその後、タレントらの動画に視聴者がオンラインで送金する「投げ銭」システムが本格化。ネット上での活動に限界を感じて現在は配信を休止しており、「興味を持ってもらうのって本当に難しかった」と声を落とす。
 それでも「語り部が話す教訓は失われた命の上に成り立っている」と、活動をあきらめるつもりはない。「体験がなくてもできる。引き継いでくれるのはうれしい」と目を細める父の背中を追い、「父を継ぐ誰かが出てくるのを待っていられない。私がやらないと」と自らを奮い立たせている。

 父正幸さん(右)と話す米山未来さん=2022年12月、兵庫県淡路市

 ▽東北の被災地で感じた焦燥感

 三重県出身で神戸大4年の堀田ちひろさん(22)が震災の継承に携わり始めたのは、2019年夏に宮城県山元町を訪問したことがきっかけだった。災害ボランティアで訪れた東日本大震災の被災地と出身地・三重の風景がどことなく重なり「自分のふるさとが災害に襲われた時にどうするのか」と焦燥感に駆られた。
 到着直後に視界に飛び込んできた「田んぼや緑豊かな山々」が三重の鈴鹿山脈と田畑の組み合わせに似ていて「最初はうれしかった」。ところが地元の人から話を聞くと、田んぼに見えたのは津波に全てが流され雑草が生えた空き地だった。「うれしいと思った自分が恥ずかしくなり、故郷が同じようになったらどうしようと思った」と焦りに包まれた。
 「防災行動につながる語りを」と2022年5月、大学近くの住民から阪神大震災の体験を聞き取り、伝承活動を行う団体に参加した。経験がないことに引け目こそ感じないが、「聞き取りに応じてくれた人の本意とずれることを言ってしまうのではないか」「語る言葉が薄っぺらく感じられるのではないか」という不安は尽きない。
 同じ年の10月に高校生相手に初めて語り部として活動し、震災について説明した。被災者が家族との連絡に苦労したエピソードを紹介しようと考えたが、「携帯電話の普及率とか、今と全然時代背景が違う」と断念した。「語りだけで想像してもらう難しさがある」とこぼす。

 地域住民から震災体験を聞き取る堀田ちひろさん(左)=2022年11月、神戸市灘区

 それでも震災経験世代からの励ましを受け、「いろんなものを預けてもらったような気持ち」で前を向く。「知識でも教訓でもいい。何か一つ持って帰ってもらえたら」と思う。東北で抱いた焦燥感は、今も忘れていない。
 大学進学まで縁もゆかりもなかった神戸。伝承活動などを通じて知らず知らずのうちに愛着が湧き、住み続けて就職することにした。「自分にとってもう一つの大事な場所になった。震災だけが残ると決めた理由じゃないけれど、これからも継承に携わっていきたい」と前を向いた。

 語り部として活動する堀田ちひろさん=2022年10月、神戸市灘区(本人提供)

 ▽「遺族にどう言われるか」感じた不安、後押し受け伝承団体設立

 会社員藤原祐弥さん(20)は生まれ育った神戸で就職し、毎年1月17日に神戸市中央区の東遊園地で開催される追悼のつどいの運営に携わる。藤原さんにとって、震災は生まれるはるか前の出来事だ。防災関係のコースがある兵庫県立舞子高校に漠然と興味を持っていた中学3年の1月17日に初めて東遊園地を訪れたが、「自分がここにいていいのかという感覚だった」と振り返る。
 友人と誘い合わせて参加したつどい。肌を刺すような寒さの中で午前5時46分に黙とうした。会場で涙を流す遺族らの姿を見て「災害に強い街を作りたい」と進学への思いが固まった。
 入学後は、警察や消防関係者の話を聞くなどして防災を学び、卒業前に課された論文のテーマは「身内の震災経験を聞き取る」。既に亡くなっていた祖父に正面から震災の話を聞けなかったことに、今も後悔が募る。
 震災の経験がなく語り部としての活動にはためらいもあったが、2018年、震災の犠牲者を追悼する光の祭典・神戸ルミナリエで若者が語るブースを設置した。「未経験で話していいのか」「遺族にどう言われるか」と不安だったが、訪れた人々は「若い人がもっと前に出て語って」と後押ししてくれた。

 高校生に阪神大震災の教訓を話す藤原祐弥さん=2022年12月、神戸市中央区

 2019年に若者が震災を伝承する団体を設立。聞き取りなどで学びを深めるが「どんなに被災者の表情や口調を観察しても、それをそのまま伝えられるわけではない」と苦悩する。進学や就職後も地元に残るのに、活動から離れる団体のメンバーにじくじたる思いを感じることもしばしばだ。
 一方、高校生への講演では「年が近く話が聞きやすい」との反応を得ることもある。「経験がない世代同士だからこそ耳を傾けてくれる面がある」と手応えを感じている。活動を続けるうち、団体のメンバーは50人を超えた。「自分が語らなければ誰も語らなくなる」と継承を続ける決意だ。

 取材に応じる藤原祐弥さん=2022年12月、神戸市中央区の東遊園地

 ▽「誰にでも資格」はある。経験を越えて任せてみよう

 こういったポスト震災世代の活動を「経験者」はどう思っているのか。米山さんの父正幸さんは「震災が起きた日付とか犠牲者の数といった記録は残るが、一人一人の記憶は語り継がないと残らない。誰にでも語る資格はある」と3人の背中を押す。「就職などで活動から離れていく人もいる。なりわいとして成立するよう報酬を出すことも必要だ」とも訴える。

 取材に応じる山下准史さん=2022年12月、神戸市東灘区

 両親や教え子を震災で失った神戸市の元教員山下准史さん(61)は、昨年引退するまで子どもや後輩教員に震災を語ってきた。「経験を語ることは大事だし、やりがいもあった。でも本当は忘れたいし、思い出したくない部分もある」と自身の語りに一区切りつけた。
 震災の経験がない聞き手と、気持ちの上で距離感を覚えるようにもなっていた。自身が担ってきた役目は現役の教員に任せようと思っている。「いつまでも実体験のある人間が語ることで後進に語り継ぐ気持ちを奮起させるのには限界がある。教える側に経験がなくても大事なメッセージを伝えることはできる。全ては工夫次第ですよ」とエールを送った。

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