<ミャンマー>久保田さん拘束事件の真相(1) 「逃げたら撃たれる!」 2人組が頭に銃を突き付けた…逮捕の瞬間

久保田徹さんが拘束直前に取材していた7月30日のデモの写真。右端にごく小さく、カメラを構える久保田さんが写り込んでいる(写真協力:AAMIJ)

ミャンマーで拘束されていたドキュメンタリー映像作家の久保田徹さんが3カ月半にも及ぶ拘束から解放され、11月18日帰国した。その後彼の口から、事件の真相が明らかになってきている。久保田さんの友人でもあるジャーナリストの北角裕樹さんが検証する。(ジャーナリスト・北角裕樹

◆デモは背後から離れて撮影

ドキュメンタリー撮影のためにヤンゴン入りした久保田さんは7月30日、最大都市ヤンゴンの南ダゴン郡区で国軍に反対するデモを取材していて拘束された。久保田さんによると、当時デモを20から30メートルほど後方から、望遠レンズ付きのミラーレスカメラで撮影していた。デモ隊の背後から撮影する彼の姿は、ヤンゴンのジャーナリストグループが公表した写真に残っている。

大通りで行われた抗議活動は30秒ほどの短時間で終了して、デモ隊は蜘蛛の子を散らすように逃げた。久保田さんは通行人のふりをして、わき道を歩いて現場を立ち去ろうとした。その直後に乗用車が到着し、中から2人の私服の男が何か叫んだと思ったとたん、ライフルのような銃を向けたという。

久保田さんは「逃げたら撃たれる」と考え、手をあげて膝をついた。男は久保田さんの頭に銃を突きつけた。そして手錠をかけ、車に押し込んだ。久保田さんによると、当初は外国人だと気づいていない様子だった。途中で「ソーリー、ソーリー」と男たちの態度が軟化したタイミングがあったという。「何やら電話していたので、今思えば外国人だと判明して手荒なことをするなと言われたのかもしれない」と久保田さんは考えている。

◆「通りかかっただけ」の男性も拘束されていた

現場には、久保田さんを拘束した2人以外にも多数の捜査員が駆けつけていたようだ。付近にいた「怪しい人」を、デモに参加していたかどうかを確認することなしに拘束していたとみられる。7人ほどの若者が拘束されていたようだ。久保田さんは警察署で、同時に拘束された男性が「自分は通りがかっただけだ」と話すのを聞いている。

この時に逮捕された6人ほどは、久保田さんとは面識がなく、一部で報じられているように取材のアシスタントや通訳ではない。同時に拘束された若者たちについての情報は多くないが、その後国軍が拷問を行っている尋問施設に連れていかれたという報道がある。真偽は確認できていないが、死亡した人がいるともいわれる。

7月下旬当時、著名民主活動家のコ・ジミー氏ら4人に死刑が執行されたことを受け、民主派の武装組織が報復を宣言するなど、ヤンゴンでは緊張感が高まっていた。久保田さんが拘束された30日には、ヤンゴン市役所裏で爆発事件が発生。街は厳戒態勢にあった。私服の捜査員や密告者が多数街に潜んでいたとみられる。
こうした状況は、現地の協力者が久保田さんに警告していた。

久保田さんが、深刻化するミャンマー情勢について伝えたいと強く思っていたことに疑いはない。その一方で、本人も「ジャーナリストというよりは、ドキュメンタリー作家」と話している通り、彼の手法は衝撃的な現場の映像を撮るというよりは、苦境に置かれている人間を丁寧に取材することで、その心情を伝えることに重きがある。

実際、今回のミャンマー渡航も、あるミャンマー人を主人公としたドキュメンタリーを撮るためのもので、当初の計画ではデモの取材は予定していなかった。それではどうして、危険なことをわかっていたはずの久保田さんはデモの現場に赴いたのだろうか。

帰国後に記者会見する久保田徹さん。11月29日東京・日本記者クラブで北角裕樹撮影。

◆ミャンマーの暴力の現場「見えづらい」

久保田さんは帰国後、「ヤンゴンに到着して、街の様子があまり前と変わっていないと感じた。しかしそれ仮初の姿にすぎないとすぐにわかった」と話している。

彼は現地で暮らす人々にインタビューし、涙を流すまでの想いをしてヤンゴンに滞在し続ける人間の話を聞く。フェイスブックに投稿しただけで投獄された市民にも出会った。しかし、それに対して街が平穏であることに違和感を覚えた。「暴力や不自由が見えづらい」と久保田さんは表現する。

久保田さんは取材を重ねるうち、ミャンマー人たちが感じている恐怖感や不自由さが現れている現場を取材する必要があるという思いを強めていった。それが、厳しい弾圧によりもはや短時間しか行うことができなくなったデモの現場だった。彼はフェイスブックの匿名のアカウントからたぐっていき、30日にデモが行われるという情報を入手する。

久保田さんはデモを取材したことを「判断が甘かった。ミャンマーに取材に行ったことも、観光ビザで入国したことも間違いではないが、デモ現場に行ったことは間違いだった」と述べている。

計画段階でリスク回避のためのルールを決めて、それを徹底するべきだったと振り返っている。また、デモが終わったなら、走って現場から離れるべきだったとも語っている。なお、久保田さんは、デモの予定が当局に漏れていた可能性を指摘しているが、この点については確認のすべがない。

次回は、久保田さんが数日間滞在した警察署での出来事について解説したい。久保田さんの過去の作品が取調官の逆鱗に触れ、事態は急激に悪化していくことになる。(続く 2へ >>

北角裕樹(きたずみ・ゆうき)
ジャーナリスト、映像作家。1975年東京都生まれ。日本経済新聞記者や大阪市立中学校校長を経て、2014年にミャンマーに移住して取材を始める。短編コメディ映画『一杯のモヒンガー』監督。クーデター後の2021年4月に軍と警察の混成部隊に拘束され、一か月間収監。5月に帰国した。久保田徹さん拘束中は、解放を求める記者会見を開くなど支援活動を行った。

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