【訃報】リサ・マリー・プレスリーが54歳で逝去。エルヴィスの娘でシンガーとしても活躍

Lisa Marie Presley - Photo: Jun Sato/WireImage
Lisa Marie Presley - Photo: Jun Sato/WireImage

エルヴィスとプリシラ・プレスリーの一人っ子で歌手のリサ・マリー・プレスリー(Lisa Marie Presley)が、2023年1月12日に54歳で亡くなった。現在77歳の母プリシラは、木曜日の夜に次のようにその訃報を公表した。

「私の美しい娘リサ・マリーが私たちのもとを去ったという悲しいお知らせを、重い心でお伝えせねばなりません。彼女は私が知る限り、最も情熱的で強く、愛情深い女性でした。この深い喪失に対処するため、プライバシーにご配慮いただけますようお願いします。愛と祈りに感謝します。現時点ではこれ以上のコメントはありません」

早すぎる死

リサ・マリー・プレスリーは心停止と報告され、カリフォルニア州カラバサスの自宅から病院に搬送された。プリシラは、このニュースが最初に流れたときに出した声明の中で、娘のために祈り続けるようファンに求めていた。また、プレスリーの家族は別の声明で、「最愛のリサ・マリーの悲劇的な死にショックを受け、打ちのめされている」とも述べている。

リサ・マリー・プレスリーは、入院する2日前にロサンゼルスで行われたゴールデングローブ賞の授賞式に、バズ・ラーマン監督による映画『エルヴィス』を支える才能の一員として、母親とともに登場していたばかりだった。この夜、俳優のオースティン・バトラーは、エルヴィスを演じたことで映画ドラマの最優秀男優賞を受賞している。彼女は、オースティン・バトラーの演技に対して次のように述べていた。

「この映画を観た後、私はどうしたらいいのか分からなかった。あまりに素晴らしくて、的確で、本物のようだったから、5日間くらい頭を処理するのに時間がかかったぐらい」

その生涯

1968年、リサ・マリー・プレスリーは、エルヴィスとプリシラ・プレスリーの一人っ子としてテネシー州メンフィスで生まれた。両親が離婚したあと、リサは母親と一緒にロサンゼルスに引っ越したが、その後に、父親が住んでいたメンフィスの大邸宅であるグレイスランドに戻ることになる。

1977年にエルヴィスが亡くなると、9歳のリサ・マリー・プレスリーは祖父のヴァーノン・プレスリー、曾祖母のミニー・メイ・フッド・プレスリーと共同で彼の遺産を相続することになった。その二人が亡くなった後、リサ・マリーは25歳の時、当時1億米ドルと評価されていた遺産の唯一の生存相続人となった。2005年、彼女は遺産のビジネス株の大半をインダストリアル・メディアに売却したが、グレイスランドの権利は保持していた。

1997年、プレスリーは父の没後20年として父のボーカルとのデュエット「Don’t Cry Daddy」を発表。その後、父の道を継いで音楽の道に進み、3枚のアルバムを発表した。『To Whom It May Concern』(2003年)、『Now What』(2005年)、『Storm & Grace』(2012年)の3枚のアルバムを発表している。

彼女は私生活では、マイケル・ジャクソンとの1年半の結婚生活を含め、4度の結婚を経験。また、慈善活動でも有名で、2011年にはテネシー州知事とニューオーリンズ市長から、その慈善活動を称えられている。

追悼の言葉

彼女の訃報を受け、すぐに追悼の言葉が寄せられており俳優のジョン・トラボルタはInstagramでこう語っている。

「リサ・ベイビー・ガール、とても残念だ。寂しくなるけど、また会えると信じている。私の愛と心は、ライリー、プリシラ、ハーパー、フィンリーに捧げます」

俳優でトム・ハンクスの妻であるリタ・ウィルソンは、こう語っている。

「リサ・マリー・プレスリーの突然の衝撃的な逝去に、私たちは心を痛めています。トムと私は、エルヴィスの映画のプロモーションツアーで、ご家族と一緒に過ごしたことがありました。リサ・マリーはとても正直で率直で、不安ながらも映画について期待に満ちた状態でした。彼女は彼女の父についてとても雄弁に語っていました」

ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンはこうつぶやいた。

「若くて生命力に溢れた人が亡くなるのは辛いことです。リサ・マリーにはとても残念に思います、彼女の子供たちと家族のために最善を尽くしたいです」

ベット・ミドラーはこう語っている。「ショックを受けています。こんなに美しく、まだ54歳なのに」

Written By Tim Peacock

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