歴代2位!通算350勝の剛腕・米田哲也さんが語った現役ピッチャーへの「厳しすぎる」指摘の中身 プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(12)

インタビューに答える米田哲也さん=2021年4月26日、兵庫県芦屋市

 プロ野球のレジェンドに、現役時代やその後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第12回は米田哲也さん。「ガソリンタンク」と呼ばれた無尽蔵のスタミナと精度の高いフォークボールを武器に、歴代2位の通算350勝を挙げた剛腕だ。プロとしての自負を選手に求めるがゆえに、痛烈な現状批判が何度も飛び出した。(共同通信=栗林英一郎)

 ▽決め球は一番調子の良い球

 球種は高校時代から多かった。直球、シュート、スライダー、カーブ。(速球の球筋について)昔は真っすぐいくのが良いという考え。今みたいにちょっと(回転軸を)ずらすことをしたらあかん、スピードが落ちるということでね。そういう教えをずっと受けていた。人さし指と中指の長さが違うでしょ。だから力の入り具合で変化する。人さし指だったらスライダー回転、中指だったらシュート回転。それはいかんということで、きっちり定規で測ったような放り方をしてました。

プロ2年目、1957年のシーズンに臨んだ米田哲也さん。21勝を挙げた同年から19年連続で2桁勝利をマーク

 昔は何というかな、低め低めという感覚ですから。だいたい低めに多く投げるピッチャーが多かった。経験からしても低めというのは確かにホームランになりにくい。高めの球は低めを狙った時の抜け球だから、球質が軽いんですよ。ミートされたらスタンドに入っちゃう。だから高めに投げることはないということが僕の頭の中にありましたね。
 球速は(スピードガンのない時代で)知らんのですが、152キロぐらいと聞いたことがあるんですよ。ニュース映像を撮りますね、その時のコマ数。おおざっぱに、そのコマ数で勘定ができるそうです。

1966年7月の西鉄戦で力投する米田哲也さん。このシーズンは25勝で最多勝のタイトルを獲得=平和台

 自分の決め球についてよく質問されるけれど、僕はその時の一番良い球。試合前のブルペンでは50~60球は投げていた。捕手に「今日はこれが調子がいいから」って言われて、それを決め球にするんです。僕はそういうやり方。状態の良い球を使った。

 ▽新しい球種の習得には5年かかった

 フォークボールはプロで10年ぐらいたってから投げ始めた。僕は10年で180勝以上したんじゃないかな。でも、何か一つ覚えたろと思って。そうしなきゃ長く続けられないと考えてね。投げ方は教えてもらってない。昔はみんな自分で盗むんです。フォークを放るような人は、そんなにいなかった。村田兆治ぐらいじゃないか。僕は指が短いから球が挟めないんですよ。ちょっと指を開き加減で放るとか、そうやない。フォークボールというのは挟んで投げるもんやという時代ですからね。僕は指の間から抜くんです。球が手首の後ろから来るような感覚なんです。
 5年かかりましたね、放れるまで。指の力がつくのに、ほんまに時間がかかった。(練習用の)重たい硬式球があるんです。サイズが普通と変わらん、重いボールを僕は常に持っていた。家におる時は指に挟んで遊んどんねん。風呂に入ったら指の間に入れて湯の中へ漬けとった。それでやっぱり自然と力が付きます。フォークはいつでもストライクを放れた。フルカウントから何球でも。そこまで練習しなきゃいかんわ。1球を覚えるのは大変やで。

阪神時代の米田哲也さん=1975年8月29日、広島

 ▽球に操られる投手が多過ぎる

 今みたいに(フォークを)ワンバウンド放って、アホか。あれは違ってますよ。ランナーが三塁にいてワンバウンドなら(暴投になった場合に)1点入りますやん。他人任せにしちゃいかんねん、自分のピッチングを。どうしたらいいか言うたら、ノーバンで捕れるところへ放る練習をしたらええねん。
 僕らはワンバウンドやと手を挙げて(捕手に)ごめんって言いよったもん。今のやつは何もない。当たり前やと思っとるから。ワンバウンドは失礼なんですよ、プロやったら。暴投放って表情に出さんで知らん顔しとるでしょ。打者に悟られたらいかんちゅうのはあるけど。
 投げたらコースがどこにいくか、指から離れた瞬間に分かるまで追求しなきゃ。もっと練習で球数を放らないかん。放らないとコントロールは身に付かないって。指先とバランス、それと下半身ですよ。上半身は後から付いてくる。下半身をぎゅっと踏ん張っていないピッチャーは四球が多い。制球が悪いやつは体が突っ立っとるし、フォームも一定してないしね。

1977年7月の阪急戦に登板した近鉄時代の米田哲也さん。同年限りで現役を引退した=日生

 村山実さんは(闘志あふれる豪快なフォームで)投げ終わると、右手が左脇の下に来とったね。今、そこまで来るやつ、おらんもん。だからインハイのボール球が多いねん。下半身がしっかりしないと、村山さんのように、あんなに低く重心が下がらないです。家でもそうやないですか。きっちりしたもん(土台)の上に(建物が)乗っかるから、しっかりするんですよ。
 一流はやっぱり球を操らなきゃいかんですよ、自由自在に。今は操られているピッチャーが多過ぎるんです。思い通りにいったら面白いし、ほんまにうれしいよ。そういうの今の選手は考えとるんかな。

 ▽クオリティースタート? アホかって

 打たれた時に捕手の出来がどうとかこうとか言うけど、違いますよ。サイン出してここへ来いといって、そこへ投げたら、まず打たれない。打たれてるのはコースが甘くなっとんねん。要求されたところよりゾーンの内側に入っとるわけ。
 そういうのを解説者がもっと言わんとあかんわな。球種ばっかり言うとるからね。問題はコースですよ。投げてみて、その結果で(リードを)組み立てるようじゃいかんです。それを評論家はみんなキャッチャーのせいにする。構えたミットから大きく外れたところへいっとったら、考える余裕ができないですよ。
 チームというのはね、勝ち星ばかりの問題とちゃうんですよ。勝率6割やから3勝2敗。それの積み重ねを考えればええんですよ。そういうピッチャーがおったら勝率を稼いでいるわけで、チームも優勝に絡んでくる。10勝して15敗もしとったらあかん。負けが多いのは、なんぼ勝ち星を挙げても貢献度ゼロやから。

2000年1月、野球殿堂入りで稲尾和久さん(左)と金田正一さん(右)に祝福される米田哲也さん=東京ドーム内の野球体育博物館(後の野球殿堂博物館)

 味方が10点取ってくれたら9点取られてもええんですよ。「ああ今日は勝てるわ」と思ったら、流してもええんです。勝てるピッチャーというのは先に点を取られないということや。5回までゼロやったら、どうにかなるもん、野球っちゅうのは。今なんて甘いわ。6回で3点(クオリティースタート)とか、アホかって。相手がエース級やったら、援護は1点やと思って頑張らなきゃいかん。3点取られたら負けですよ。そう考えなければ、うまくなっていきませんよ。
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 米田 哲也氏(よねだ・てつや)鳥取・境高から1956年に阪急(現オリックス)入団。2年目の21勝以後は19年連続で2桁勝利。25勝で最多勝に輝いた66年の8月に200勝へ到達した。68年は29勝で最優秀選手、73年は最優秀防御率。阪神と近鉄でもプレーし、77年に引退。949試合登板、350勝、5130投球回、3388奪三振はいずれも歴代2位。38年3月3日生まれの84歳。鳥取県出身。

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